57名の継承者をごぼう抜き!現イギリス王室の始祖のジョージ1世とは?

発行日: 2018年11月02日

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現代のイギリス王朝の開祖であるイギリス・ハノーヴァー朝の初代国王・ジョージ1世とは、いったいどのような人物であったのでしょうか。彼が統治した時代の情報も合わせて、彼の人物像と歴史を紐解いていきましょう。 

 

イギリス生まれではないのに、イギリス国王になったジョージ1世

ジョージ1世は、54歳という高齢でグレートブリテン王国の国王として迎えられ、1714年~1727年の間イギリスを治めました。


実は生粋のイギリス人ではなかった!?

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ジョージ1世はドイツのハノーファー出身の、今でいうイギリスとドイツのハーフです。彼が生まれたハノーヴァー家はドイツの名門であり、ハノーファー選帝侯でもあったのです。 選帝侯とは神聖ローマ帝国において、神聖ローマ帝国の君主に対する選挙権(選定権)を持った諸侯たちのことをいいます。

宗教のおかげで継承者になったジョージ1世

ジョージ1世の母親・ゾフィーは、スチュアート朝の初代ジェームズ1世の孫でありました。ジェームズ1世の跡を継いだアン女王は嫡子がおらず、また健康状態が悪化したため、血縁から継承者を探すことになりました。

この時、次のイギリス国王を選ぶ際に重視されたのは宗教でした。ジョージ1世の母であるゾフィーよりも承継順位が上にあった56人は皆カトリック信者のため排除され、56名を飛び越えて、ゾフィーはアン女王の継承者となりました。

ゾフィーが死去し、すぐにアン女王死後したため、ゾフィーの息子であるジョージ1世が国王となりました。


ジャコバイト発起に南海泡沫事件・・・波乱万丈、ジョージ1世統治時代のイギリス

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57名を飛び越えて国王となったジョージ1世が統治時代のイギリスでは、どのようなことが起こったのでしょうか。ちなみに1714年の日本では徳川吉宗が八代将軍となり、享保の改革が始まる2年前のことです。


王位継承まもなくホイッグ党が圧倒的権力を持つことに

ジョージ1世が王位を継承してから1年ほどで行われたイギリス総選挙(1715年)では、ホイッグ党が大勝しました。しかし、これに対して不満を抱いたトーリー党の一部がジャコバイト蜂起(15年の乱)に加担し、スコットランドにおいて大きな反乱となりましたが大失敗に終わり、勝利したホイッグ党が権力を圧倒的に持つことになります。

ロバート・ウォルポールが名をあげた「南海泡沫事件」

1720年、イギリスで起こった、南海会社の株式の「バブル崩壊」、それが南海泡沫事件です。1719年から1720年半ばまでに10倍に高騰した南海会社の株は年内に大きく弾け、最初の金額を下回る大暴落を起します。その際の大混乱を短期間のうちに鮮やかに収めていったのが財政の専門家として名をあげていたロバート・ウォルポールでありました。この大活躍で、ロバート・ウォルポールはジョージ1世の絶大なる信頼を得ることとなったのです。

絶世の美女を幽閉し、政治をほとんどしなかった?ジョージ1世の仰天エピソード

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54歳で即位したジョージ1世は、実はほとんど英語が分からず、また、イギリスの政務にもあまり興味がなかったようです。 数年ごとに故郷であるドイツに戻り、イギリスでの知世の5分の1をドイツで過ごしたと言われています。

「君臨すれども統治せず」の原則で王室を安泰に導いた?

英語が分からず、もともとドイツ生まれのジョージ1世はドイツに帰ることも多く、そのため、政務はロバート・ウォルポール首相に任せきりにしていました。

そのことが、内閣が議会に責任を負う、というイギリスの責任内閣制、つまり国王は「君臨すれども統治せず」の発達を促すことになったのです。王は政治を行わないので政治問題が起きても影響を受けることがなくなり王室は安泰となったのです。

現在のイギリス王室はウィンザー朝となっていますが、第一次世界大戦でドイツがイギリスの敵国となったためその名称を変更しただけで、実態はジョージ1世を始祖とするハノーヴァー朝なのです。

ジョージ1世は離婚が成立した妻を幽閉していた!

ジョージ1世の妻は、彼の従妹であるゾフィー・ドロテア・フォン・ツェレで、絶世の美女として有名でした。子どもを2人もうけたものの徐々に疎遠になり、最終的に2人の結婚は解消されます。

しかしその後もジョージ1世はツェレのアールデン城に幽閉。親や子との面会も許されず、再婚も禁止とし死去するまで解放されることはなかったということです。


ジョージ1世が描かれたコインとその刻印の意味

ジョージ1世が登場するコインは数種類あります。

供給元で刻印が異なる1シリング銀貨

表面は月桂冠を戴いた、右向きのジョージ1世の肖像と、(GEORGIVS・DG・M・BR・FR・ET・HIB・REX・F・D・)の文字。

これには(グレートブリテン、フランス、アイルランドの国王にして信仰の擁護者であり神の恩寵を受けしジョージ1世)の意味があります。裏面は4つの盾のハノ―ヴァー家の紋章と供給元の刻印と、(BRVN ETL・DVX SRI・A・TH ET・EL・年度を表す数字・)の文字。意味は(ブルンスヴィク・リューネブルク公及び神聖ローマ帝国選帝侯)となります。

当時のイギリス貨幣には材料の供給元を示す刻印が打たれており、ジョージ1世のシリング銀貨にも3種類あるそうです。1つはピットコール&シーコール社の「薔薇と羽飾り」、ウェールズ銅会社の「WCC」、そして南海会社の「SSC」となっています。

肖像が5種類もあった5ギニー金貨

1714~1727年まで毎年製造されました。肖像は5種類あることが確認されています。例えば1726年のものは、表面は月桂冠を戴いた、右向きのジョージ1世の肖像です。文字やデザインは、シリング銀貨とほぼ同じとなっています。

「君臨すれども統治せず」を創り出したジョージ1世

現在のイギリス王朝の基礎を作ったと言っても過言ではないジョージ1世にまつわるエピソードのご紹介でした。彼とイギリスの歴史に興味を持っていただくきっかけになれば嬉しいです。
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