[3/16 最新]【偉大なる彫刻家シリーズ最新作!】幻の彫刻家が創る「請願クラウン」のご案内!
こんにちは!れーこです!
花粉がバッシバシ飛んでるのがわかりますね🤧つらいです🤧
イギリスのロイヤルミントから、2019年に開始された「グレートエングレーバーシリーズ」から新作のご案内です!
今回はペティションクラウン(Petition Crown)です。
ペティションとは「請願」という意味です。
このペティションクラウン銀貨が発行されたのは1663年。
今年はその発行から360年という記念の年です。
現存枚数が20枚以下というコインを現代の技術で美しく鮮明に復刻しました。
商品ラインナップ
今回のペティションクラウンは、2枚セットでのリリースです!
👇2オンス金貨セット【限定300枚セット】
https://antique-coin-galleria.com/products/the-great-engravers-thomas-simon-2oz-gold
👇5オンス金貨セット【限定125セット】
https://antique-coin-galleria.com/products/the-great-engravers-thomas-simon-5oz-gold
👇2オンス銀貨セット【限定3,250セット】
https://antique-coin-galleria.com/products/the-great-engravers-thomas-simon-2oz-silver
オリジナルのペティションクラウンが「銀貨」なので、2オンス銀貨は良いですよね。
ロイヤルミントのシリーズの最新作はいつ発行されるかわからないので、このお知らせが届いてからが勝負。早い者勝ちです!
なお、5オンス銀貨、10オンス銀貨も僅かながら在庫ございます。ご興味のある方は、お問い合わせください。
それでは、このコインにまつわる歴史を一緒におさらいしましょう。
もはや幻のエングレーバー?トーマス・サイモンの創るコインとは?
イギリスのコインのエングレーバーといえば、ウィリアム・ワイオンやベネデット・ピストルッチなどが思い浮かぶかもしれません。
▲トーマス・サイモン
しかし、歴史に埋もれてしまった「幻のエングレーバー」トーマス・サイモンをご存知ですか?今回ロイヤルミントからリリースされた復刻版「ペティションクラウン」の元になった銀貨は1649年〜1660 年までロイヤルミントのチーフエングレーバーだったトーマス・サイモンがデザインしました。
ちなみにオリバー・クロムウェルの肖像のブロード金貨のデザインも、サイモンによるものです。
ペティションクラウンって何?
ペティションクラウン銀貨は、1663年にイギリスのメダルやコインのデザイナーであるトーマス・サイモン(Thomas Simon)によって製作されたパターン銀貨です。
ペティションとは「請願」という意味があり、エッジに小さな文字で請願が刻印されていることからその呼び名がつきました。
トーマス・サイモンとは?
トーマス・サイモンは1618 年頃にロンドンで生まれました。1635 年にロイヤルミントの主任彫刻家であったエドワード・グリーンの下で見習いを始めました。その後サイモンは、フランスのメダルのデザイナーだったニコラス・ブリオから教えを受けたと言われています。
イングランド内戦中、清教徒革命において議会を支持していた人々であるラウンドヘッズ(円頂党)がタワーミント(当時はロンドン塔にロイヤルミントの拠点がありました)の支配権を掌握しました。
その時、どちらの味方をするのか迫られたため、サイモンは議会への忠誠を宣言しました。そしてロイヤルミントの他のスタッフとチャールズ1世が設置した”緊急造幣局”で働くために共にロンドンに留まりました。1649年に国王が処刑された後、サイモンは主任彫刻家に任命され、オリバー・クロムウェルのブロード金貨含む連邦政府向けの新しいコインの作成に携わりました。
サイモンはチャールズ1世の息子であるチャールズ2世が王位に就いた王政復古の後も、造幣局に留まりました。
レターエッジの起源!?
イギリスのコインのエッジに文字を刻印するレタリングエッジが採用されたのは、サイモンがオリバー・クロムウェルのもとのロイヤルミントで金型(ダイ)の製作を担当していた時に始まりました。
古代の時代から、コインのエッジを少しだけ削り取り、その地金を集めて売却することでこっそり不正な利益を得る問題が横行しました。エッジのレタリングはそのような「不正」を防ぐことが目的です。
その後、チャールズ2世のコインの製造時には、ラテン語で「DECVS ET TVTAMEN (飾りと保護)」と刻印されるようになりました。
締め切りに間に合わなかったため不採用だった「幻」のデザイン
1658年、フランスが始めた新しいコインの製造方法に興味を持ったイギリス議会は、フランス人技術者のピーター・ブロードをロンドンに招きました。
当時のロイヤルミントはハンマー打ちを採用していましたが、最新の機械打ちに切り替えるためです。しかし、機械打ちは受け入れられず、ブロードはフランスに帰国してしまいます。
1661年、国王は「全てのコインを機械打ちに変更する命令」を出しました。
機械打ちの技術者であるブロードを連れ戻すために、サイモンがフランスに派遣されました。その間、清教徒革命で亡命を余儀なくされていたチャールズ2世が、新しい王として戻ってきました。
その時、亡命していたチャールズ2世を助けた金細工師のロッティエ夫妻との約束で、その3人の息子たちをロイヤルミントのエングレーバーとしてオランダから招待しました。
国王は新しいコインのデザインをロッティエ兄弟とサイモンに依頼しました。
▲サイモンが描いたデザイン画
しかし、フランスから帰国したばかりのサイモンには時間が無く、新しいコインのデザインを提出しましたが、締め切りに間に合わなかったといいます。
正確な状況は不明ですが、いずれにせよ、新しい金貨と銀貨に使用するための君主の新しい肖像画はジョン・ロッティエのデザインが選ばれ、さらにはチーフ・エングレーバーに選ばれました。
ロイヤルミントのエングレーバー達はこの結果にまったく満足しておらず、黙ってはいませんでした。ロイヤルミントの役人と国王に、このジョン・ロッティエのデザインを決定したことがどれほど間違っていたかを示すため、この怒りを新しいデザインに向けました。
▲エッジには「ペティションクラウン」の名前の由来になった「請願」が刻印されている
サイモンがデザインしたコインのエッジには「技術に優れたトーマス・サイモンを唯一のチーフ・エングレーバーに任命するよう求める嘆願」がレタリングされています。
そのため、「ペティション(請願)クラウン」と呼ばれています。
しかし、締切に間に合わなかったため、サイモンが提出した緻密なデザインの方は採用されませんでした。**トライアル(試鋳貨)として打刻され、現存枚数は20枚以下と言われています。**そのほとんどが博物館に収蔵されています。
サイモンは1665年8月に47歳という若さで突然亡くなりました。死因はペストです。
サイモンがあと15年か20年生きていたら、彼の才能ある手からどんな素晴らしい作品が生まれていたでしょうか。ウィリアム・ワイオンのように、今でもなおその名を轟かせるエングレーバーとして歴史に名を残していたかもしれません。
その後、この美しい裏側のデザインは、1763年に発行されたコインに採用されました。
イギリスのクラウン銀貨を語る上で欠かせないエングレーバー、トーマス・サイモン。
まだまだ知らない歴史の1ページがありそうです。
是非、大事なコレクションの1枚に🙆🏻♀️
ご注文お待ちしております!