「フランスの酒」を創りあげた壮大な仕掛け

日本のアルコール飲料といえばなんだろうか。
色々ご意見はあるだろうが、おそらく日本酒と答える人が大半であろう。

では、フランスのそれはなんだろうか。
これも恐らく大半の人が同じ答えになる。

しかし、そうした印象が根付いたのは実は19世紀後半である。
その仕掛け人は当時のフランス君主、皇帝ナポレオン3世。
彼によってどのようにフランスの国民的飲料が形成されたのか見ていこう。

仕掛け人、ルイ・ナポレオンという男

フランス革命期に登場し、
欧州を席巻したナポレオン・ボナパルトを知らない人は少ないだろう。
「余の辞書に不可能という言葉は無い」という言葉が一般に知られている。

この後に皇帝ナポレオン1世となった男の甥に、
ルイ・ナポレオンという人物がいた。
彼はナポレオン1世失脚後、
フランスに王政が復活したことから亡命を余儀なくされる。

ナポレオン3世肖像画

ナポレオン3世肖像画

しかし、1848年に故国の革命で王政が倒れ、
共和政に移行したのを切っ掛けに帰国する。
そしてルイ・ナポレオンはなんと大統領選に打って出た。

彼の正式な名はシャルル・ルイ=ナポレオン・ボナパルト。
その後半の名の知名度は圧倒的であった。
亡命者は瞬く間に共和国大統領に変身してしまったのだ。

だが、大統領は再選禁止で任期はわずか4年。
この権力の脆弱性を打破すべく、
初代大統領はクーデターを決行し、議会を倒してしまった。

大統領の権力は強化され、任期は10年に伸び、再選も可能になった。
そこからこの男はさらにもう一歩足を踏み出すことを決意する。
叔父と同じ、皇帝への即位である。

ルイ・ナポレオン、ボルドーに乗り込む

当時、フランスには王党派が根強く残っていた。
ナポレオンによる帝政ではなく王政を支持する人々だ。
この王党派の基盤のひとつがボルドーであった。

ボルドーの位置

ボルドーの位置

ルイ・ナポレオンはそこに乗り込み、
商工会議所主催の宴会で人々を前に演説する。

「『帝国とは戦争だ』という人々がいますが、
私はこう言いたいです。『帝国とは平和』であると。」

さて、筆者はフランスの国民的飲料の名前を意図的に避けてきた。
しかし、ボルドーの名がでたのであるから、明確にしよう。

ここからのキーワードはワインである。

ボルドーのぶどう畑

ボルドーのぶどう畑

ボルドーの歴史的特色はイギリスとの結びつきにある。
この地方の君主がイギリスの王位を継承したことから
ボルドーはイギリス領となり、
100年戦争によってフランスに奪還されるまでそれは続く。

当時からボルドーはワインの特産地であったが、
このような経緯からこのワインはイギリス本土で主に消費されることになる。
フランス復帰後もフランス王から特権を認められ、イギリスへの輸出は続いた。

しかし、ナポレオン1世はイギリスと戦争を始め、
大陸封鎖令によってイギリスとの通商を禁止してしまう。
これにより、ボルドーのワイン産業は大打撃を受けた。

大打撃の元凶の甥。
警戒されて当たり前だったが、
演説によって「平和」が強調されて評価が一変する。
ここで支持を得たルイ・ナポレオンは2カ月後の12月2日、
ナポレオン3世として即位した。

ナポレオン3世の仕掛け

新皇帝ナポレオン3世は、
ボルドーにおける支持基盤を固めるため、
国内外にボルドー産ワインを宣伝する秘策を繰り出す。
それが1855年パリ万国博覧会におけるボルドーワインの格付けである。

パリ万博

パリ万博

ボルドーワインはフランスでは無名だが、
イギリスをはじめ諸外国では有名であった。

国賓に最高級のワインを提供するため、
まずはボルドーワインの最高級を決めるべく格付けを行なったのだ。

国賓に加え、招待されてきた国内地方自治体の長たちも
ボルドーワインの提供を受け、その味を知ることになる。
国内への宣伝という意味でも良策だった。

格付けされたボルドーワインは
海外において権威あるワインとして珍重されることになる。
そうした海外の視線がボルドーのワイン生産者達に
世界一流としての自覚とプライドをもたらした。

そして、このボルドーワインの飛躍が
他のフランスワインの地位をも引き上げる形となり、
「フランスワイン」は国内外における地位を磐石のものとしたのである。

ワインは「フランスの酒」になったのだ。

コインについて

【PCGS AU50】フランス ナポレオン3世 100フラン金貨 1869年

【PCGS AU50】フランス ナポレオン3世 100フラン金貨 1869年

今回ご紹介するコインは
1869年にフランスで発行された100フラン金貨だ。

「フランスワイン」を作り出したナポレオン3世の肖像が刻印されているもので、
ナポレオン金貨のひとつに含む場合もある。

コインを語る上で、ナポレオン金貨は厳密には
ナポレオン3世が登場する20フラン金貨だけを示すことに注意したい。

ここから意味が拡大してフランスの20フラン金貨全体を指したり、
ナポレオン3世時代の金貨全体を指したりすることがあるのだ。

片面には当時のフランス国章が刻印されている。
これはナポレオン3世時代、
すなわちフランス第2帝政期にのみ使用されていた紋章だ。
杖、王冠、マント、そして鷲が印象的である。

鷲を国家のモチーフにしていたことで有名なのはローマ帝国であり、
後継を称する団体や国家が好んで鷲を紋章にした。
フランス「皇帝」としてはやはり鷲を使うのが王道ということか。

“EMPIRE FRANCAIS”は「帝政フランス」、
”100FRs”は「100フラン」を意味している。
紋章の下に年号があり、その左側にAの文字がある。

これはコインを鋳造した場所を示すミントマークというものであり、
Aはパリで鋳造されたことを示している。

もう片面は上記したようにナポレオン3世の横顔が打刻されており、
その周囲には”EMPEREUR NAPOLEON Ⅲ”の文字がある。
フランス語で「皇帝 ナポレオン3世」である。

ナポレオン3世がかぶっているのは月桂冠である。
月桂冠は古代ローマではオリンピア競技の勝利者及び戦勝を記念して
指揮官に与えられるものだった。

ローマ帝国の軍団最高司令官はもちろん皇帝であるので、
ローマ軍団勝利の暁には皇帝が月桂冠をかぶることになる。
月桂冠は皇帝の象徴的装飾品でもあるのだ。

この金貨を眺めながら、
ボルドーワインをナポレオン3世とともに嗜むのもまた風流といえるのではなかろうか。

 

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