ヨーロッパの覇者~神聖ローマ皇帝カール5世の憂鬱~

中世ヨーロッパ。
古代ローマ帝国やフランク王国による安定などはるか昔となり、
いくつかの大国に加えて無数の中小国家が入り乱れる混乱の時代であった。

そんな中世も後半に差しかかると、
いくつもの国の王位を兼任することで
ヨーロッパ全土に影響力を行使する化け物といえる家系が現れた。

オーストリアのハプスブルク家である。

ハプスブルク家の武器はその多産であった。
彼らは積極的に政略結婚を繰り返し、王位継承権を手に入れ、
武力を用いることなく国々を傘下に収めていった。

この家の家訓に言う。
「幸いなるオーストリアよ、戦いは他のものに任せるがよい。汝、結婚せよ。」

この家訓に忠実に従った歴代当主の結実として、
ひとりのヨーロッパ覇者を産んだ。

彼こそはカール5世。
神聖ローマ皇帝にして
スペイン王、シチリア王、ナポリ王、ブルゴーニュ公、ブラバンド公、
フランドル伯、ルクセンブルク公、ネーデルラント領主、ミラノ公・・・(以下略)であった。

カール5世時代のハプスブルク家領土。彩色されている部分はすべて領土である。

カール5世時代のハプスブルク家領土。彩色されている部分はすべて領土である。

しかし、彼は紛れもなくヨーロッパの覇者でありながら、
憂鬱な問題をいくつも抱え、苦悩の絶えない在位であったのである。

宗教問題の憂鬱

1519年に神聖ローマ皇帝に即位したカール5世だが、
その直後、キリスト教の守護者としての役割をもつ皇帝としては
看過できない事件が発生した。
マルティン=ルターによる反カトリック活動すなわち宗教改革の開始である。

ルターの肖像画

ルターの肖像画

当時腐敗しきっていたカトリック教会に反感を覚えていた人々は
ルターの思想に共感を覚え、受け入れていった。
キリスト教世界は分裂の危機にさらされたのだ。

これに対し、カール5世は武力や思想弾圧による暴力的な解決ではなく、
カトリックとルター派が討論する宗教会議を開催することで平和的解決を目指した。

ところが、一方の側であるローマ教皇は
ルター派による主張にも理があることを認めようとせず、
また、カール5世の絶大な権力を警戒してそれを削ろうと画策しさえした。

様々な努力を経て、
1545年にようやく宗教会議開催にまでこぎ着けたが、時すでに遅しであった。
ルター派はすでにプロテスタントとして、
カトリックから独立した別組織を創り出していたのである。

今更、宗教会議での和解を前提にした討論など無駄であると判断したか、
ルター派は会議への参加を拒絶した。
皇帝の努力むなしく、キリスト教世界の分裂は決定的になったのである。

カトリックとプロテスタントの対立は内戦に発展し、
カール5世はカトリック側として戦わざるをえなかった。
それでも、なんとか勝利した皇帝は
1555年のアウクスブルクの和議において、
カトリックとルター派の共存を実現させた。

外交問題の憂鬱

キリスト教世界分裂の危機が内憂であれば、
外患はフランスとオスマン帝国であった。

フランスはカール5世の支配下にない数少ない大国のひとつであるが、
領土がバプスブルク家の領土に包囲される事態となり、危機感を募らせていた。
両者は対立し、実際に王と皇帝が出陣して戦闘が行なわれることもあった。

一方、13世紀末に成立したイスラム教国オスマン帝国は着実に勢力を広げ、
1453年にはビザンツ帝国の首都であったコンスタイティノープル
(現在のイスタンブール)を占領、
16世紀に入るとヨーロッパに直接侵攻してくるようになった。

16世紀末のオスマン帝国領

16世紀末のオスマン帝国領

神聖ローマ皇帝カール5世はオスマン帝国の脅威に対し、
遠征軍をもってあたることを決意する。
1534年、オスマン帝国と結んだ海賊バルバロスが占領した
チュニス解放のために彼は軍を率いていき、
勝利を得て目的をなし遂げた。

しかし、ここでとんでもない事態が発生する。
皇帝軍の勝利が面白くないフランスが
あろうことかオスマン帝国と同盟を結んだのだ。
フランスはもちろんキリスト教国である。
異教徒の国と同盟を結ぶなど前代未聞であった。

その後、カール5世は度々全ヨーロッパを結ぶ
対オスマン帝国同盟を結ぼうとするが、
フランスの妨害にあって全て失敗する。
業を煮やして自身だけでなんとかしようと
北アフリカに派兵するも惨敗してしまった。

最終的に皇帝はオスマン帝国との戦争を諦めざるをえなかったのである。

コインについて

ベルギー ブラバント公国 カール5世 1553年 クロヌドゥール 金貨

ベルギー ブラバント公国 カール5世 1553年 クロヌドゥール 金貨

今回ご紹介するコインは
カール5世がブラバント公国の君主として1553年に発行したクロヌドゥール金貨だ。
クロヌドゥール(Couronne D’or)とはフランス語で金色の冠の意味であり、
コインの意匠から名付けられたものであろう。

カール5世はブラバント公国君主としてはシャルル2世という名だ。
シャルルはカールのフランス語読みである。

片面は盾の上に王冠が載っている図柄である。
この紋章はカール5世の使用していた紋章を簡略化したものであろう。
盾の中をよくよく見ると、5つに分かれているのがわかる。

左上がオーストリア、右上が古代ブルグント王国、左下がブルゴーニュ公国、
右下がブラバント公国の紋章となっている。
中央配置されているのがフランドル伯の紋章だ。
カール5世はこれら全ての王冠を得ていたというわけである。

周囲の文字はブラバント公国においてカール5世の持つ地位を記している。
すなわち、ブラバント公国の君主であり、神聖ローマ帝国皇帝であるということだ。

もう片面の中心にある意匠は十字架である。
十字架の隙間に配置されているのが城砦と双頭の鷲だ。
双頭の鷲は古代から権威の象徴として図案化されており、
ハプスブルク家もこれを家の紋章に取り入れていた。

周囲にある文字はキリスト教聖歌のひとつ
アヴェ・レジーナ・チェロールムの一節である。
意味としては「あなたの敵達に対抗する力を与えたまえ」といったところだろうか。

ヨーロッパの覇者でありながら様々な憂鬱な問題を抱えていたカール5世である。
引用された聖歌の一節はまさに彼の魂の叫びと言えるのではなかろうか。

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