古代日本の国産コインは、なぜ消滅したのか?

「和同開珎」という日本のコインの名前は
みなさん一度は聞いたこと、目にしたことがあるだろう。

かつて、日本最古の貨幣として教科書で紹介されてたはずだ。

あるいは、
ある年代以降では「富本銭」のほうが記憶にあるという方もおられるかもしれない。
現在、教科書で日本最古の貨幣として扱われているコインである。

富本銭

富本銭

更に言えば、
実は、日本最古の貨幣としては「無文銀銭」というものがある。

ただし、これは私鋳貨幣(政府が発行したものではない貨幣)であるらしく、
流通はしていなかったというのが主流の見解のようだ。

結局のところ、
諸説あるものの富本銭が最古の公的に鋳造された貨幣であり、
和同開珎が最古の本格的に流通した貨幣であるというのが一般的理解である。

このように始まった日本での貨幣鋳造史であるが、
その歴史は一旦途切れてしまう。

中学校の教科書などを覗いてみると、
鎌倉時代の中国からの主な輸入品に「宋銭」がある。
室町時代には「明銭」を輸入している。

どちらも当時の中国王朝が発行したコインだ。

ここで、「あれ?国産コインはどこに?」と思ったことはないだろうか。

そう、この時点で既に日本では貨幣鋳造は行なわれておらず、
専ら輸入に頼るようになっているのである。

国産コインはどうなってしまったのか。
少しだけ、当時の様子を見てみることにしよう。

貨幣経済導入への努力

和同開珎が発行された8世紀、
日本は奈良時代から平安時代冒頭にあたる時期である。

隣の先進国たる中国では超大国唐王朝が栄え、
限定的ながら法治国家を実現させ、
貨幣流通による経済発展を遂げていた。

8世紀中頃の唐王朝と周辺諸国

8世紀中頃の唐王朝と周辺諸国

ようやく大規模な都を造営し、
中央集権的な支配体制を整えることができた発展途上国日本にとって、
唐は目標であり、追いつけ追い越せと頑張っている状態であった。

その政策の一環として、貨幣の導入が図られたのだ。

物々交換がメインであった当時の日本に
貨幣という概念を導入し、経済を複雑化、
活発化させようというのである。

そのために様々な施策がなされた。

税の銭納の奨励、
国家事業に携わる労働者への賃金などを銅銭で払う等々である。

また、せっかくの貨幣を富裕層が溜め込むだけで流通の阻害とならないよう、
蓄銭納銭叙位法なる法律も定められた。

すなわち、より上位の官位を得るためには
蓄財した銭を政府に献納しなければならないという決まりである。
政府に収められた銭は政策財源として利用される。

有力者に蓄銭を奨励して、
貨幣を流通させる原動力にするとともに、
その貨幣を回収して再流通させることで
市場における貨幣の量も保つという一石二鳥の方策であった。

努力の甲斐あって
貨幣は全国満遍なくとはいかないまでもそれなりに流通し、
前途洋々かと思われたが、落とし穴が待っていた。

インフレの発生である。

古代貨幣経済の限界~インフレ発生と貨幣の信用問題~

周知のようにインフレとはインフレーションの略であり、
貨幣価値が下落し、物価が上昇する経済現象である。

市場にある商品に対し、市場にある貨幣が多すぎる場合に生じるものだ。

古代日本で順調に流通量を増やしていった貨幣であったが、
その貨幣増加に商品の増加がついていけなかったのだ。
当時の日本の工業力や農業力が未熟だったとも言える。

こうなると、どんどん価値が下がっていく貨幣に人々は愛着を持てなくなる。
政府としてもコストをかけてコインを鋳造しても
その価値が低いのでは魅力がなくなってしまう。

そこで、朝廷はいわゆるデノミネーションを実施したのである。
新通貨を発行し、旧通貨より高値に設定したの手ある。
具体的には和同開珎の十倍の価値があると定めた「万年通宝」の発行だ。

しかし、これでインフレが停止するわけではない。

そのため、こうしたデノミネーションは何度も行なわれ、
交換比率がわかっている最後の古代国産貨幣である
「延喜通宝」はなんと和同開珎の1億倍の価値を持つことになってしまっている。

延喜通宝

延喜通宝

さらに、インフレを加速させるような別の原因も生じていた。

和同開珎の後に発行された万年通宝などのコインは
国内の銅不足もあって銅含有率の低い言わば悪貨である。

貨幣経済が成熟していれば、
「悪貨は良貨を駆逐する」という「グレシャムの法則」が成立する。

つまり、コインの金属としての価値が高いほうを手元に残し、
支払いは政府が額面を保証してくれる悪貨で行なうようになるという法則だ。

金属としての価値が高ければ、
いざというときに溶かすこともできる。
そんなわけで良貨は死蔵され、悪貨が市場に出回るというわけである。

しかし、当時の日本人は全く逆の行動を起こした。

それまで流通の基本であり、良貨であった和同開珎に絶大な信頼と愛着を持ち、
使用を続けたのである。

他方、悪貨であり、
信用が構築されていない新通貨は死蔵されることになる。

「良貨は悪貨を駆逐して」しまったのだ。
背景には国家の通貨保証というものが
まだ信用されていなかったこともあるのかもしれない。

人々は和同開珎を使い続けるが、
国家から出されるのは法定価値が何倍ものコイン。

当然経済は混乱し、和同開珎の価値はさらに下落し、
インフレが進んでいくことになる。

こうした事態に銅の枯渇が重なり、
ついに朝廷は国産貨幣による経済政策の廃止、物々交換経済への回帰を決定する。

再び国産貨幣が日本史に登場するのは
中国銭によって貨幣経済が成熟したのち、戦国時代になってからである。

全国的な政府による貨幣の供給は江戸時代の到来を待たなければならない。

江戸時代の寛永通宝

江戸時代の寛永通宝

古代日本の国産コインは、なぜ消滅したのか?アンティークコインギャラリア | 旧ナミノリハウスで公開された投稿です。