ウィリアム3世の5ギニー金貨とは?ニュートンによるデザインとその背景、コインの価値を解説
今から300年以上前の1701年にイギリスで発行された「ウィリアム3世5ギニー金貨」。
誰もが名前を聞いたことがある天才物理学者の指揮の下で制作されたこの大型金貨は、表面にデザインされたウィリアム3世の長い巻き毛がいかにも時代を感じさせます。
オランダ人であるウィリアム3世がなぜイギリスのコインに彫り込まれているのか、そして裏面にはなぜフランスの紋章があるのか、その謎に迫ります。
ウィリアム3世5ギニー金貨(1701年)
基本データ
コイン名 | ウィリアム3世 5ギニー金貨 |
通称 | 5ギニー(ウィリアム3世) |
発行年 | 1701年 |
国 | 英国(イギリス) |
額面 | 5ギニー(5 Guineas = 107 Shillingsと6 Pence) |
種類 | 金貨 |
素材 | 金 |
発行枚数 |
不明
|
品位 | Au917 |
直径 | 37.00mm |
重さ | 41.94g |
統治者 | ウィリアム3世 |
デザイナー | ジョン・クローカー(John Croker) |
KM | #508 |
表面のデザイン | ウィリアム3世(第二肖像)とレジェンド |
表面の刻印 | GVLIELMVS· III·DEI·GRA(William the Third by the Grace of God:神のみ恵により) |
裏面のデザイン | 王冠と盾、笏(Crowned shields in cruciform, scepters at angles)、真ん中にはナッソーのライオン |
裏面の刻印 | MAG· BR·FRA· ET·HIB REX·17 01·(King of Great Britain France and Ireland:イギリス、フランスそしてアイルランドの王) |
エッジのタイプ | レタリングエッジ |
エッジの刻印 | + DECVS • ET • TVTAMEN • ANNO REGNI • DECIMO • TERTIO + |
1701年ウィリアム3世5ギニー金貨とは?
1701年にイギリスで発行されたウィリアム3世の5ギニー金貨は、アフリカ西海岸のギニアで産出された金を使って製造したものです。5ギニーの「ギニー(Guinea)」という単位は、まさにギニアからとった貨幣の単位です。
この金貨は、重量が41~42gで、正確な大きさ(直径)は不明です。
発行当時に直径が発表されなかったのか、または、どこかで失われてしまったのか定かではありません。しかし、いずれにしても年月がたっているため、その経過がわからず今でも正式な直径は発表されていません。
発行枚数についても資料が残っていないため、他の5ギニー金貨同様”不明”です。ただ、鑑定枚数が少ないため希少性が高く、グレードによりますが近年ではほとんどが1000万円以上の価格で落札されています。
デザインから読み解くイングランドの複雑な歴史
表面にはウィリアム3世の横顔が彫刻され、裏面にはイングランド、スコットランド、アイルランドそしてフランスの4つの紋章の上に王冠が載り、王だけが持つのを許される笏と、それらの紋章を十字型に配置したものがデザインされています。
ウィリアム3世の肖像、特に長い巻き毛の表現がみごとですが、裏面の紋章の彫りの深さや精巧さも大きな魅力になっています。
なぜフランスの紋章がデザインされているのでしょうか?それに、この金貨の発行当時、それぞれ一つの国として存在していたスコットランドとアイルランドの紋章が含まれているのはなぜなのでしょうか。フランスの貴族の血を引くウィリアム3世は、フランスの王であることも主張したのでした。
イングランドの戦国時代ともいえるこの時期、イギリスでは覇権争いが激しさを増していました。スコットランドは経済的な理由から1707年にイングランドに正式に併合されますが、アイルランドに関しては、イングランドに侵略されたということもあり、現在でもイングランドとはあまり良い関係が築かれているとは言えません。
このことから、ウィリアム3世は「1701年ウィリアム3世5ギニー金貨」にそれぞれの紋章を入れることで、イングランドの覇権を誇示しようとしたのではないでしょうか。
天才物理学者、ニュートンとコインの深いつながり
▲アイザック・ニュートン(Sir Isaac Newton、1642年12月25日 - 1727年3月20日)
万有引力の法則で有名なアイザック・ニュートンは、1699年に「イギリス王立造幣局(ロイヤルミント)長官」に就任します。偽金製造のシンジケートの首謀者を逮捕するなど、当時大量に出回っていた偽コインに対処するため、コインのエッジに独特の溝を刻む方法を考え出すなど、イギリスの通貨を改正し、その手腕によって偽金製造が激減しました。
ニュートンの指揮のもとに「1701年ウィリアム3世5ギニー金貨」が製作されました。
この頃ニュートンはすでに54歳で、研究の仕事から離れていました。造幣局長官になったニュートンは、それまでの古い造幣方法を改め、科学的な手法を使って、ジェームス・ブルやジョン・クロッカーなど新鋭のデザイナーを起用し、コインの製造を指揮したと言われています。
ウィリアム3世はどんな王だったのか
これまではコインの特徴や製造にまつわる話をお伝えしましたが、表面に彫られたウィリアム3世とはどんな王だったのでしょうか。
運命が変わったメアリーとの結婚
ウィリアム3世は1650年にオランダで生まれ、イギリスの王になる前はオランダの総督を務めていました。オランダもイギリスもそれぞれ一つの国でしたが、当時のヨーロッパでは、各国の王室の間で婚姻関係を結ぶことが風習になっていたようです。
この頃ヨーロッパではフランスのルイ14世が大きな力を持ち、周辺諸国を圧倒。フランスはこうした国々を衛星国のように扱っていました。この状況に不満を抱いたウィリアム3世はオランダ国内の統制を別の人物に任せ、自身は、フランスに対抗するためにイギリスと結託することにしたのです。
1677年、いとこに当たるイギリスのメアリーと結婚しました。これはまさに政略結婚でした。その翌年、ウィリアム3世はイギリスに到着。英国の反対派を追放します。その反対派の一人はメアリーの父である、当時の王ジェームズ2世でした。この出来事は、一人も死なせずに追放に成功したことから、「名誉革命」と呼ばれています。
ウィリアム3世とメアリー2世の誕生
名誉革命後、妻のメアリーが「メアリー2世」として即位。ウィリアム3世はこれを不服とし、自身の王位も要求します。結果として、イギリスは2人の王が君臨する二頭体制がとられることになるのです。当然、イギリス史上初めての出来事です。
イギリスには「ウィリアム&メアリー」というフレーズがありますが、これはウィリアム3世とメアリー2世のことを意味し、この時期2人によって造り出された家具のデザイン様式の名称になっており、またいくつかの学校の名前にも使われています。
このような状況の中で妻とともに王位についたウィリアム3世でしたが、1694年にメアリー2世が亡くなります。そのため、ウィリアム3世は単独の王として君臨することになります。
その一方で、フランスとの小競り合いはずっと続いていました。この争いはスペイン、イタリアなどを巻き込みヨーロッパ全体を不安定な状態に陥れました。特にスペインの王位継承が大きな問題となり、それを解決するために、1700年にウィリアム3世はフランスのルイ14世と「ロンドン条約」を結び、フランスとの和平が確立します。
ウィリアム3世王位継承の後日談
さて、フランスとも和平を結び、すべてがうまく行ったかのように見えたウィリアム3世の王位でしたが、これには後日談があります。
金貨が発行された翌年1702年、ウィリアム3世の乗っていた馬がモグラの穴につまづいて転び、王は落馬してしまいます。様態はどんどん悪くなり、肺炎を患いそのまま亡くなってしまいます。もともとオランダ出身であるにもかかわらず、イギリスを統治したウィリアム3世でしたが、それだけにイギリス人からは良く見られていなかったようです。
妻のメアリー2世の父である前王ジェームズ2世を支持する「ジャコバイト」と呼ばれる人々がウィリアム3世の死を喜び「黒のチョッキを着た小紳士」とバカにして酒の杯をあげたという逸話が残っています。ちなみにウィリアム3世の死後、この王には子供がいなかったため、妻メアリーの妹であるアンが王位を継ぐことになります。
ウィリアム3世5ギニー金貨のグレード別価格推移
Fine Work 5 Guineas 1701 NGC MS64
$188,000
"Fine Work" 5 Guineas 1701 MS61+ NGC
$102,000
From the Paramount Collection
"Fine Work" 5 Guineas 1701 MS60 NGC
$78,000
"Fine Work" 5 Guineas 1701 AU58 NGC
$72,000
From the Paramount Collection
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