17回の妊娠でも跡継ぎを残せなかったスチュワート朝最後の女君主、アン女王の生涯に迫る!
合計17回の妊娠を経験したスチュワート朝最後の女君主、アン女王(Anne Stuart)。
1665年2月6日 - 1714年8月1日(在位:1702年4月23日-1714年8月1日)
※イングランド王国・スコットランド王国君主を含む
彼女は最後のイングランド王国、スコットランド王国君主であり、ならびに最初のグレートブリテン王国君主として歴史に名を刻みました。 ブランデー好きでも有名で、幼少期は勉強よりも乗馬などのアクティビティを好んだ幼少期を過ごし、 メアリー2世そしてウィリアム3世が1702年に没した後、イングランド、スコットランド、アイルランドの女王に即位しました。
今回は、彼女の治世時代のイギリスと彼女が描かれたコインをご紹介します。
在位期間はほぼ全てがスペイン継承戦争に
アン女王統治中のヨーロッパは、1701年から1714年までスペイン継承戦争が行われ、在位期間を全てをその戦争で過ごしました。 スペイン継承戦争とは、スペインの王位継承権を争ってヨーロッパ・アメリカで行われた戦争の総称を言います。
大枠としては、神聖ローマ帝国(ハプスブルク家)とフランス(ブルボン朝)が争う構図で、周辺国が巻き込まれてました。 イングランドはオランダと共に神聖ローマ帝国と同盟して、フランスおよびスペインと戦うことになりました。 結果としては1713年、各国はユトレヒト条約を結び、長い戦いに終止符を打ちました。
またイギリスとフランスが北アメリカの植民地で繰り広げた戦いはアン女王戦争と呼ばれ、こちらは決着がつきませんでしたが、実質的にはイギリスが領土を拡張しました。 スペイン継承戦争ではハプスブルクとブルボン朝に大きな被害を出しつつ、最も大きな利益を得たのはイギリスと言われ、北アメリカの植民地帝国の基盤を築きました。
イングランド王国とスコットランド王国を合同し、グレートブリテン王国へ
スペイン戦争中の1707年5月1日には、イングランド・スコットランド両国の合同法が成立させグレートブリテン王国とし、アンは最初の君主となりました。 またこの時、グレートブリテン王国はジャックユニオンの国旗となりました。
しかし、統一した王国をつくったものの1714年、後継ぎがないまま死去し、スチュアート朝は断絶しました。 その後、スチュアート家との血縁関係からドイツのハノーヴァー選帝侯が継承することとなり、ジョージ1世が即位し、イギリスはハノーヴァー朝となりました。
ブランデー、紅茶とクイーンアン・スタイル
"ブランデー・ナン"の異名をもつほど、ブランデーを好んだアン女王。 その背景には多くの子どもの不幸が関係していたと言われています。17回の妊娠を繰り返したにもかかわらず、スチュアート朝は断絶。 全ての子どもが生き残ることはできませんでした。
また、紅茶をこよなく愛したアン女王、その茶の様式を始めとしたスタイルが、「クイーン・アン・スタイル」と呼ばれました。 茶器やインテリア、建築様式にまでも影響を残しました。
ブランデーと共にアン女王のコイン
帝国イギリスの基盤をつくりつつ、多くの不幸を持ったアン女王を思いながら、ブランデーを頂くのはいかがでしょうか。短期間の在位期間に残された希少なギニー金貨
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グレートブリテンの最初の君主没後300年を記念した5ポンド金貨
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