複雑な外交関係に翻弄された、歴史上最後のカトリック国王ジェームズ2世

ジェームズ2世アンティークコイン

ジェームズ2世が王位に就いた1685年。

国外ではブルボン王朝最盛期で太陽と言われたルイ14世率いるヨーロッパ最強の軍隊を誇るフランスの脅威。

そして国内でも兄チャールズ2世は王政復古後、議会の混乱は収まらないまま、更には死去前にカトリックに改宗し、国内の知世は非常に難しい状況での就任となりました。

 

プロテスタントの国であがき続けた、カトリックの君主ジェームズ2世

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1633年に生まれた、ジェームズ2世。少年期に清教徒革命が起き、父を失います。兄チャールズ2世と共に外国に亡命したジェームズ2世は、フランスやスペインの軍に参加して戦闘の経験を積みました。

将軍としての才能は申し分なかったようで、高い評価を受けています。また、後にはイングランドの海軍司令としても活躍しました。1660年になると共和制イングランド政府が弱体化し、チャールズ2世は王として、ジェームズ2世も国に帰ることが出来ました。

兄チャールズに世継ぎがなかったため、ジェームズが後継者と目されましたが、大きな問題がありました。ジェームズはカトリックの信者だったのです。

イングランドの国教はプロテスタントであり、要人が皆プロテスタントであったため、カトリックであるジェームズの王位継承を阻もうとする勢力は強力でした。1685年に兄王の死によってイングランド・スコットランド・アイルランドの王に即位しましたが、3年後にはイングランドから追い出されることとなります。

悪名高きジェームズ2世の統治。近年では見直されつつあるとは言いますが

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王としてのジェームズ2世はあまりよい評価を受けていません。カトリックの信徒であったジェームズは側近をカトリックで固め、抵抗するプロテスタント勢力を放逐していきました。

ついに堪えきれなくなった七名の主教がジェームズに対して方針の転換を迫りましたが、これを捕らえてしまいます。結果的には、反ジェームズ派はオランダのウィレム3世に要請し、イングランド王として招き入れ名誉革命が起き、ジェームズ2世は失脚します。

軍隊にも見放され、ジェームズはフランスに逃れ、フランスの客将として、フランス外交の材料として過ごすことになります。オランダやドイツと戦争中だったフランスにとっては、オランダと手を結んだイングランドに打ち込めるくさびには価値があったのです。

しかしその戦争も終結すると、フランスがジェームズを支援する理由もなくなり、イングランド王への復位を望みながら、1701年、パリに近いサン=ジェルマン=アン=レーで没しました。

ジェームズ2世の、将軍としての活躍

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軍人としては高い評価を受けたジェームズ2世。フランスで起きた最後の貴族の反乱、フロンドの乱を戦ったのは10代半ば過ぎ。このときはフランスのテュレンヌ将軍の下で戦ったわけですが、後にフランスとスペインが争った際にはスペインに味方してテュレンヌと戦っています。

戦いには敗北しましたが、ジェームズ自ら先頭に立って突撃を敢行する勇猛さを見せたと言われています。

たった3年の在位期間で彫られたコイン

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在位期間が1685-1688と短かったためジェームズが描かれた金貨というのはあまり多くはありません。2ギニーと5ギニーの金貨、大砲などを溶かして使ったた6ペンス銀貨は「ガンマネー」と呼ばれています。

カトリック信仰の最後の国王「ジェームズ2世」

ジェームズ2世が生きた時代のヨーロッパの強国のカトリック国「フランス」と対立したプロテスタント「イギリス」

国王は失脚しましたが自身のカトリック信仰を貫き、フランスで最後まで復位を夢見たジェームズ2世が残したのは、今でも力強く残るイギリス議会と国王に寄らない統治のあり方だったのかもしれません。