古代コインで最も有名なアンティークコイン「アテネのフクロウ」
アテネは古代ギリシャにおいて巨大な軍事力を持ち、西洋文明と民主主義誕生の地の一つと考えられています。 紀元前490年のマラソンの戦いでペルシャ人を破った後、アテネは黄金時代に入りました。
この繁栄期に、アテネは政治や経済的な影響力をギリシャの世界に拡大。今までにない速度で芸術や知的進歩が繁栄することを可能にしました。彼らの軍事力と海軍力は、ローリオンの銀の採掘による資金流入にかなり助けられ、同様に現在のアテネにもつながるデロス同盟からの資源も組み合わさっていました。
アテネ人によって銀の量が支配されたことで、古代ギリシャの権威ある貨幣を造ることができました。それは厚くて重いアテネのフクロウのテトラドラクマ貨であり、今日において最も有名な古代のコインでもあります。このコインは当時最大の銀貨であり、コインの表面を「頭」として裏面を動物の「尾」として使うことを普及させました。
コインは400年以上にもわたり製作。時間とともに芸術的なスタイルは変化しましたが、そのテーマは一貫して残りました。表面には知恵と戦争の女神であるアテナ、裏面にはアテネの守護動物であるフクロウが描かれています。この一貫性は国際的なメッセージを強め、アテネの経済力の象徴となったのです。
最初の古風なタイプのアテネのフクロウの造幣刻印は紀元前512年ごろに始まり、紀元前5世紀初頭まで続きました。これら初期のコインはとても粗雑に作られており、一般的にも質の悪いものでした。そのスタイルは次の数十年で急速に変わり、より洗練されて芸術的なものになります。そして、紀元前460年ごろにピークに達しました。紀元前449年、ギリシャ美術の初期古典時代にデザインは再び改訂され、大規模な建築事業や紀元前431年から始まったペロポネソス戦争の資金需要に追いつくために生産が指数関数的に増加。これら後期のコインは初期のものより格段に一般的になり、この流行によってアテネは繁栄しました。
アテネの人々は貨幣を商取引の促進や政治的イメージを拡大する手段として使用するだけでなく、ビジネスとしても扱いました。鋳造されたそれぞれのフクロウの利益をもたらしたのです。
テトラドラクマ貨幣の価値は日常の取引によって高くなりました。しかし、この貨幣は建築事業、大規模な商取引、国際貿易、そして戦争準備の資金として使われてきました。また、丁寧に管理することによって、テトラドラクマ貨幣は高品質の金属であり、一定した重量であることが知られるようになったのです。その結果、他の都市から来た商人たちも、携帯性が良くて世界的にも受け入れられているこの貨幣を使うようになります。
エギナの「カメ」というコインは国際的に広く受けられた最初のコインでした。しかし、アテネのフクロウはそれよりもはるか大量に鋳造され、ギリシャ中を旅して、世界初のユビキタス貿易通貨となります。
守護神であるアテナの表面の肖像画はアテナの性格の両面を示すように、女性らしさと戦争ヘルメットの存在を通した脅威という面白い組み合わせで描かれています。彼女はよく「瞬き目」という表現をされました。そのため、アーモンドの形をした大きな目という古風な描写は意図的なものであり、神話の起源を持っている可能性があります。
ギリシャ人は鳥を神であるとは考えていませんでした。しかし、多くの鳥は様々な神々の象徴的な動物となったのです。フクロウのテトラドラクマ貨幣の裏面に描かれたフクロウの種族は、コキンメフクロウ属として識別されています。小型のフクロウです。コキンメフクロウは地中海領域で発見され、体長はたったの6〜8センチ、体重は2.5〜4.5オンスです。
碑文「ΑΘΕ」はΑΘΕΝΑΙΟΝの略語であり、「アテナ人の」 という意味です。これらのコインはとても人気があり、他の国によく真似されました。そのため、本物のフクロウのテトラドラクマ貨幣の実証的な資質に関連した通貨がもたらされることを願って、この碑文を残したのです。
これらのコインの裏面には、オリーブの小枝があり、これはアテネの主要輸出品の一つでもあるオリーブオイルを示しています。 同時に、皮肉なことによく戦争資金として使われたことから平和の象徴としても働いているのです。三日月型、あるいは下弦の月のように見えるものがほとんどですが、その意味ははっきりしていません。多くの推測では、 夜行性のフクロウが最も活動する時間帯を示しているとされています。または、アテネの有名なサラミスでのペルシャ艦隊に対する夜間での海軍勝利を示しているとも言われています。
アテナの横顔は単純化した優雅さと謎めいた古風な笑顔で描かれています。他のものよりもより自然な目と女らしい肖像画になっており、ヘルメットには上部に自然の花がデザインされています。裏面には3枚の異なる尾羽を持つフクロウが殊の外細かく、印象的かつリアルに描かれています。これは、初期のものと続けて大量に排出されたものとを区別する重要な属性です。
文体の進化に加えて、アテネのテトラドラクマ貨幣の構造は時間とともに大きく変化しました。最終的には平らになり、紀元前2世紀に鋳造された「新しいスタイル」のテトラドラクマ貨幣が広がっていきます。.
紀元前5世紀の古典的なテトラドラクマ貨幣は凝縮されたフランズ(コインの地金)で作られていました。多くの場合、摩耗した凸状の表面と裏面のフクロウは高浮き彫りで作られています。中心が合っている場合、フクロウはダイズ型のために深い凹型枠内に描かれます。表面のデザインは大抵コインとしては大きすぎることが多く、アテナのヘルメットの紋章はあまり描かれません。また、高い浮き彫りのダイズは鋳造過程にある勢いや高い金属の温度によって、よく打つ時に縁が割れてしまいます。
この特定のコインは初期の「移行型」のテトラドラクマ貨幣であり、紀元前470年代後半から450年代前半に鋳造した一部のコインです。有名なアテネのドラクマ硬貨と同じ時期になります。 これらのコインはアテネのコインの中でも芸術的なスタイルにおいて頂点であると考えられています。また、多くの人々が全てのギリシャコインの中で最も魅力的であると指摘しているのです。セオドア・ルーズベルト大統領はフクロウのテトラドラクマ貨幣をポケットに入れており、20世紀におけるアメリカ貨幣の再設計を命じるきっかけとなりました。
このコインは「ペンテコンタエティア(古代ギリシャの歴史期間を示す用語)」「50年間」と呼ばれる紀元前479〜431年に導入されました。その間、アテネの勢力は強くなり、スパルタ(古代ギリシャ時代の国家)とスパルタを盟主とするペロポネソス同盟に対抗できるほどの帝国の力を持つようになっていたのです。文体的には、このコインはこの期間の前半に年代が定められており、大きな排出の前にはいくつかの変更によって続いています。紀元前465〜462年の時代に、紀元前463年にタソス島(ギリシャにある島)の征服へと向かったアテネの遠征に使われた可能性が高いです。
アッティカ、アテネ; 紀元前465〜462年、テトラドラクマ貨幣 16.82g Starr Group.V.A. 166c (同じ裏面のダイズ型). アテナの右頭、正面の目と額の上の髪のなめらかな輪、面頬の上に3枚のオリーブの葉っぱと円形の螺旋から草で飾られたクレステッドアティックヘルメット、 中央に素晴らしい紋章のΑΘΕが描かれた丸いイヤリング着用、4分の3ほど右に立っている3つの尾羽を持つフクロウ、背景にオリーブの小枝と三日月、正方形のダイズ型の輪郭。高浮き彫りがよく中心に彫られています。 非常に美しい細部の描写。EF
本記事は、『COINWEEK』の翻訳記事です(掲載許可有り)。元記事は以下のリンクより確認できます。
参考:https://coinweek.com/ancient-coins/ancient-coins-famous-coin-antiquity/