オーストリア フランツヨーゼフ1世 4ダカット金貨、激動の時代を生きた皇帝の生涯と時代背景の解説と関連のコインをご紹介
「オーストリア フランツヨーゼフ1世 4ダカット金貨」は19世紀後半から20世初頭にかけてオーストリア帝国で発行された金貨です。このコインの特徴と表面に描かれたフランツヨーゼフ1世の生涯に焦点をあて、どのような時代背景の下に発行されたのか詳しく解説します。併せて、関連のコインを紹介します。
オーストリア フランツヨーゼフ1世 4ダカット金貨
基本データ
コイン名 | オーストリア フランツヨーゼフ1世 4ダカット金貨 |
---|---|
通称 | オーストリア 4ダカット |
発行年 | 1854年〜1915年 |
国 | オーストリア帝国 |
額面 | 4ダカット |
種類 | 金貨 |
素材 | 金 |
発行枚数 | 95,000枚 |
品位 | Au 986|K23 |
直径 | 39.5 mm |
重さ | 13.96 g |
統治者 | フランツヨーゼフ1世 |
デザイナー | ジョゼフ・ダニエル・ベーム(Josef Daniel Böhm) |
KM | # 2274 |
表面のデザイン | 右向きのフランツヨーゼフ2世とレジェンド |
表面の刻印 | FRANC.IOS.I.D.G.AVSTRIAE IMPERATOR A(Franz Joseph I, by the grace of God, Austrian Emperor|フランツヨーゼフ1世、神の恩恵を受けるオーストリアの皇帝) |
裏面のデザイン | 王冠の下でオーブと王笏を持つオーストリアハンガリー帝国の双頭の鷲とレジェンド |
裏面の刻印 | HVNGAR.BOHEM.GAL.LOD.ILL.REX.AA1872 4(King of Hungary, Bohemia, Galicia, Lodomeria and Illyria, Archduke of Austria.|ハンガリー、ボヘミア、ガリシア、ロドメリアそしてイリュリアの王、オーストリア大公) |
エッジのタイプ | リーデッド |
エッジの刻印 | - |
オーストリア フランツヨーゼフ1世 4ダカット金貨の特徴
オーストリア フランツヨーゼフ1世 4ダカット金貨の特徴を見ていきましょう。
全体的な特徴と発行の詳細
オーストリア フランツヨーゼフ1世 4ダカット金貨は、直径39㎜と大きめでありながら厚さが0.7㎜という非常に薄い金貨です。そのため重量も13.96gしかありません。このように薄い金貨が作られたのは、当時ヨーロッパには十分なゴールドがなかったためだと言われています。オーストリア フランツヨーゼフ1世 4ダカット金貨は、1854年から1915年にかけ、オーストリア帝国のウィーンで発行され流通金貨として使われていました。その後1920年から1936年にかけ復刻版が発行されました。復刻版コインには「1915」の年代が刻まれています。
表面の特徴
オーストリア フランツヨーゼフ1世 4ダカット金貨の表面には、その名称にあるように、オーストリア帝国の皇帝フランツヨーゼフ1世の肖像が描かれています。エッジに沿って刻まれているのは「 FRANC·IOS·I·D·G·AVSTRIAE IMPERATOR」のラテン語の文字です。これは「フランツヨーゼフ1世、神の恩寵により、オーストリア皇帝」を意味します。
裏面の特徴
裏面の中央に描かれているのはオーストリア帝国の紋章である「双頭の鷲」の絵です。鷲は向かって右の足で地球儀をつかみ、左足で笏を持っています。頭が2つある鷲はローマ帝国が東西に分裂した際にその両方を統治することを意味して紋章に使われたと言われています。その後も、ヨーロッパ諸国により権力のシンボルとして広く使われてきました。帝国主義が終わった現在、オーストリアの紋章では、頭が一つの鷲の絵が描かれています。
裏面のエッジに沿って刻まれているのは「HVNGAR·BOHEM·GAL· LOD·ILL·REX A·A」の文字でこの後に発行年数が続きます。刻印文字は「ハンガリー、ボヘミア、ガリシア、ロドメリア、イリリアの王、オーストリアの大公」を意味します。
オーストリア フランツヨーゼフ1世 4ダカット金貨が作られた時代背景
オーストリア フランツヨーゼフ1世 4ダカット金貨はどのような時代背景の下に作られたのでしょうか。その詳細を解説していきます。
19世紀オーストリアの時代背景
▲オーストリア帝国、フランツヨーゼフ1世
ヨーロッパには数多くの民族が住み、宗教も習慣も異なることから常に争いが絶えませんでした。ヨーロッパのほぼ中央に位置するオーストリア周辺でもそうした争いが続いていました。
1804年、オーストリアはハプスブルグ家により帝国として成立しました。そして1848年、皇位継続が決まっていたフランツヨーゼフが18歳の若さで皇帝に即位し、1867年にはハンガリー王国を併合しました。これにより、フランツヨーゼフはハンガリー王国の国王も兼ねることになりました。
フランツヨーゼフは1916年に86歳で亡くなりましたが、オーストリア皇帝として68年間もの長きにわたり君臨していたことになります。このことからフランツヨーゼフはオーストリアの「国父」と呼ばれています。この時期、オーストリア帝国は繁栄期を迎え、後年にはスラブ諸国(ボスニア、ヘルツェゴビナ)も組み入れるなど領土を拡大していきました。オーストリア フランツヨーゼフ1世 4ダカット金貨の裏面に刻まれた複数の国名はオーストリアが当時支配していた国々の名前です。
妻エリザベート
▲オーストリア帝国、エリザベート皇后
フランツヨーゼフの結婚相手であるエリザベートも歴史に名前を残しています。二人は母方のいとこ同士でしたがその出会いは劇的なものでした。フランツヨーゼフが適齢期を迎えたとき、フランツの母親は姪のヘレネをフランツの妻にと考え、ハプスブルグ家の避暑地バート・イシュルで二人を会わせることにしました。この時、社交経験の目的でヘレネの妹エリザベートもいっしょに来ていました。フランツは、花嫁候補のヘレネではなく、このエリザベートに一目ぼれしてしまったのです。
エリザベートはわずか15歳でしたが、ヨーロッパ宮廷一の美女と言われるほど容姿に恵まれた人物でした。フランツの母親は二人の結婚に反対でしたが彼の心を変えることはできませんでした。翌年二人は結婚しました。後年、エリザベートはオーストリアに併合されたハンガリーに対し強い思いを持つようになり、ハンガリーの自治権を認める運動を陰で支えたと言われています。また、旅好きであちこち旅行に出かけていました。
そんな時不幸が訪れました。1898年スイスのレマン湖で散策中、イタリア人の無政府主義者に暗殺され非業の死を遂げてしまったのです。
ウィーンの改造
▲城壁の取り壊しと建設中のリングシュトラーセ(1863年)
フランツヨーゼフの功績の一つにウィーンの改造があります。当時、オーストリア帝国の中心地として栄えていたウィーンは人口が爆発的に増加し住みにくい場所になっていました。
そんな社会変化に対し障害となっていたのが中心地を囲むように建てられていた城壁でした。戦いの絶えなかった中世では、主要都市を守るために城壁を作ることは常でした。ウィーンの街もこれにもれず、城壁が作られていました。
ところが反逆者や革命家はこの城壁をうまく利用しバリケードを作って反抗したり事件を起こしたりしていました。もちろん城壁を取り去ることで「敵」が攻め込んでくる心配もあり、撤去反対の声もあがりました。ただ、すでに弓矢の時代は終わり、城壁がその役割を果たせなくなっていたこともあり、1857年、フランツヨーゼフは城壁撤去を決定しました。この撤去によりウィーンの街の治安は格段に向上したと言われています。
後にこの城壁跡には「リングシュトラーセ」と呼ばれる環状道路が作られ今に至っています。また、新しい建物が建てられることにより建築、美術などの文化が花開いていきました。
第一次世界大戦
第一次世界大戦は、オーストリアの大公が暗殺されたことに端を発していることは広く知られていると思います。
「サラエボ事件」と称されているもので、事件が起きたサラエボはボスニアの首都です。そしてボスニアは1908年にオーストリア帝国に併合されていました。ボスニアにはいくつかの民族が住んでいましたが、この事件はボスニアに住んでいたセルビア人の民族主義者がオーストリアの支配に反対して起こしたものでした。暗殺されたフランツフェルディナント大公はフランツヨーゼフの甥にあたり、帝位継承者に指名されていました。
この事件をきっかけに、オーストリアはセルビアに宣戦布告しました。そしてそれぞれの同盟国がこの争いに参戦し世界を巻き込んだ第一次世界大戦に発展していったのです。フランツヨーゼフはこの戦争のさ中、肺炎にかかり86歳でこの世を去りました。
オーストリア フランツヨーゼフ1世 4ダカット金貨の種類・その他のコイン
オーストリア4ダカット フランツヨーゼフの種類と関連コインを紹介します。
時代ごとに移り変わるフランツヨーゼフの肖像
現在オークション市場に出ているオーストリア フランツヨーゼフ1世4ダカット金貨は、そのほとんどが1915年の年数の入った復刻版ですが、このコイン、実際には1854年から発行されていました。コインに描かれたフランツヨーゼフの肖像は最初から最後までずっと同じではなく、4つの時代に分かれ、各時代を代表するフランツヨーゼフの横顔が描かれています。
【1854年~1859年】一番最初に発行されたオーストリア フランツヨーゼフ1世 4ダカット金貨。まだひげを生やしていない若きフランツヨーゼフの初々しさが伝わってきます。
初期のタイプは市場への流通量が少ないため、なかなかオークションでも見かけません。
【1860年~1865年】
この時代からひげを生やした肖像が描かれます。壮年時代の活気に満ちた表情が印象的です。
【1867年~1872年】
やや落ち着いた雰囲気の中年のフランツヨーゼフ。
【1872年~1915年】
老年のフランツヨーゼフ。オークション市場に多く出ているのはこの肖像の描かれたオーストリア4ダカット フランツヨーゼフ金貨です。こちらはリストライクのため、発行枚数が多く、比較的手に入れやすいコインです。
オーストリア フランツヨーゼフ1世 1ダカット金貨
フランツヨーゼフの肖像を描いた金貨には、オーストリア フランツヨーゼフ1世 4ダカット金貨の他に1ダカット金貨があります。直径20㎜、厚さ0.8㎜で重量はわずか重量3.49g。4ダカット金貨と比べると、ずっと小型の金貨です。裏面の双頭の鷹の紋章は同じですが、表面には首から上の部分を描いたフランツヨーゼフの横顔が描かれています。
オーストリア フランツヨーゼフ1世 4ダカット金貨の価格推移
オーストリア フランツヨーゼフ1世 4ダカット金貨の価格推移をみていきましょう。オリジナルは肖像の時代とコインの状態により、値段の幅があります。
1915年銘はすべてリストライクですが、デザインが人気でコインのクオリティが高いため、価格は地金+αほどで手に入れることができるため人気です。
1911 MS63
2020年1月12日に$3,600で落札。
1884 MS62
2021年10月29日に$5,280で落札。
1912 MS64+
Top Pop(最高鑑定)
2023年1月17日に$9,000で落札。
1915 PR68
1915年銘はリストライクのため、流通枚数も多く、状態の良いものが$800〜手に入ります。
2022年1月23日に$1,860で落札。
激動の時代を象徴するオーストリア フランツヨーゼフ1世 4ダカット金貨
68年という長きにわたりオーストリア皇帝の座に就いたフランツヨーゼフ1世。オーストリアの国父と言われるように、現在のオーストリアの形成に大きな影響を与えました。そのフランツヨーゼフの肖像を表面に描き、オーストリア帝国の紋章「双頭の鷲」を裏面にあしらったオーストリア フランツヨーゼフ1世 4ダカット金貨。この金貨からは、激しく変化していくオーストリア帝国の様子とその激動の時代を生き抜いたフランツヨーゼフ1世の生涯を垣間見ることができることでしょう。
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