ブラジルの2万レイス金貨とは?その特徴と時代背景、最近の落札価格など徹底解説!

18世紀前半にブラジルで作られた2万レイス金貨。ブラジル国内で作られたものの、ポルトガルやイングランドに送られ、流通貨幣として使われました。ブラジルの2万レイス金貨とはどのようなコインなのでしょうか。そしてその誕生と流通の背後にはどんな時代背景があったのでしょうか。

 

ブラジル 20,000レイス金貨

ブラジル2万レイス金貨

基本データ

コイン名 ブラジル 20,000レイス
通称 -
発行年 1724年〜1727年
ブラジル
額面 20,000レイス
種類 金貨
素材
発行枚数 -
品位 Au917
直径 37.8mm
重さ 53.78 g
統治者 ジョアン5世
デザイナー Vieira Lusitano(ヴィエラ・ラスティアーノ)
KM # 117
表面のデザイン 十字架の中に4つのMと5つの花、レジェンド(「M 」はブラジルを代表する金鉱山「Minas Gerais(ミナス・ジェラス)」を表す
表面の刻印 IOANNES.V.D.G.PORT.ET.ALG.REX 20000(João V, by the Grace of God, King of Portugal and Algarves.|神の恩恵を受けるポルトガルとアルガルヴェの王ジョアン5世)
裏面のデザイン ポルトガルの紋章と20,000レイス
裏面の刻印 INHOCSIGNOVINCES* 1725 MMMM(With this Sign you will Win.|勝利のサイン)
エッジのタイプ リーデッド
エッジの刻印 -

 

2万レイスとは?

2万レイスは1724年から1727年にかけてブラジルのミナスジェライス州で発行されました。ダブルーンまたはダブロン金貨とも呼ばれています。まずは、その特徴から見ていきましょう。

2万レイス金貨の形状と発行

2万レイスは直径が37㎜ある大型の丸形金貨です。重量は53.78g。卵1個分の重さとほぼ同じで、コインとして持った時にずっしりとした感覚が伝わってきます。これほど大きく重量感のあるコインであるため、何の記念コインとして作られたのかと思ってしまいますが、実は流通貨幣として作られました。最初に発行されたのが1724年、そして1727年までの4年間毎年発行されました。なお、各年代の発行枚数はわかっていません。

2万レイスの表面デザイン

2万レイス金貨の表面

出典:https://en.numista.com/catalogue/pieces17002.html

2万レイスはブラジルで作られましたが、当時はポルトガルの植民地でした。そのため金貨表面の中央にはポルトガルの紋章が描かれています。そしてその紋章の向かって左側に「20000」の数字が刻まれています。エッジに沿って刻印されているラテン語の表記「IOANNES V DG PORT ET ALG REX」は「ジョアン5世、神の恩寵により、ポルトガルとアルガルヴェの王」を意味します。ジョアン5世は当時ポルトガルを支配していた国王。アルガルヴェはポルトガル最南端の地方で、当時はポルトガルとは税金体制などが異なる半自治地域として存在していました。ただし、国王はポルトガルの王が兼ねていました。

2万レイスの裏面デザイン

2万レイス金貨の裏面

出典:https://en.numista.com/catalogue/pieces17002.html

裏面の中央には十字架をモチーフにした絵柄が描かれており、その中に「M」の文字が4つ並べられています。このMは2万レイスが発行された「ミナスジェライス州」の頭文字です。エッジに沿って刻まれた文字を見てみると、まず一番上には発行年の数字があります。そしてその下に「IN HOG SIGNO VINCES」の文字が刻印されています。直訳すると「この印しがあれば、勝利するだろう」になります。ここでいう印しとは「十字架」のことです。かつてローマのコンスタンティヌス帝(ローマに初めてキリスト教を取り入れた皇帝)は、戦争前に兵隊たちに十字架を刻印したコインを渡し士気を鼓舞しました。その結果、戦いに勝ったという逸話が伝えられています。この逸話は後にポルトガルにも伝えられました。統治者たちは長きにわたり、この表現をポルトガルの貨幣に使用していたのです。

 

2万レイスが作られた時代背景

ブラジルで発行されながら、ポルトガルの王の名前や紋章が刻印された2万レイス。この金貨がどのような時代背景のもとに作られたのか詳細を見ていきましょう。

17~18世紀のブラジル

ジョアン5世

出典:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:John_V_of_Portugal_Pompeo_Batoni.jpg

2万レイスが発行された18世紀前半は、ブラジルがポルトガルの支配下に置かれていた時代でした。ポルトガル人がブラジルに到着したのは1500年といわれています。その後もフランスやオランダなどが次々にやってきたため、ブラジル国内の情勢は不安定でした。一方ヨーロッパでも各地域で争いがあり、ポルトガルもスペインとの間で衝突がありました。そんな中、1640年、ポルトガルはスペインの影響を断ち切り完全に独立を宣言しました。このことを機にポルトガルは当時ブラジルで勢力を伸ばしていたオランダを抑え、1661年ハーグ講和条約を結んでブラジル全土を完全にポルトガルのものにしたのです。スペイン語を話す中南米の国々の中でブラジルだけがポルトガル語を話すのはこうした時代背景があります。2万レイスが発行されたのは、ポルトガルによるブラジルの完全支配が始まってから約60年たった頃で、統治者はジョアン5世でした。ジョアン5世は1706年から1750年まで在位しました。

2万レイスとゴールドラッシュ

出典:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Rodolfo_Amoedo_-_Ciclo_do_Ouro,_Acervo_do_Museu_Paulista_da_USP.jpg

2万レイスは重量が53.78gもあります。流通コインとしては大変大きなものですが、なぜそのような大型の金貨が作られたのでしょうか。その背景には「ゴールドラッシュ」があります。ゴールドラッシュといえば、米国カリフォルニア州のゴールドラッシュが有名ですが、ブラジルのゴールドラッシュはカリフォルニア州のゴールドラッシュより約150年前の1692年に始まりました。実際には、ブラジルをきっかけに、アメリカ大陸の各地で本格的なゴールドラッシュが始まったのです。ブラジルの金は、2万レイスの発行場所でもあるミナスジェライス州で大量に採掘されました。

ポルトガルを潤した金

以上のように、ポルトガルの支配下にあったブラジルでは金鉱が発見されたことにより、金貨が作られるようになりましたが、発行された2万レイスはブラジル国内で使われることはほとんどありませんでした。その多くは本国のポルトガルとイングランドに送られ流通されたからです。ジョアン5世の44年に及ぶ在位中、ブラジルからポルトガルに送られた金の総量は8トン以上にのぼると言われています。またこの時代、ブラジルではダイヤモンドも多量に産出されました。。そうしたものを本国に持ち込むことによりポルトガルの財政は大いに潤い、ジョアン5世は権力を強めていくことができました。

  

ブラジル2万レイス金貨の価格推移

MS64

MS64

2022年1月10日に$21,000で落札。

MS62

MS62

2022年5月15日に$14,400で落札。

MS61

MS61

2022年1月10日に$13,200で落札。

AU58

AU58

2021年10月28日に$7,800で落札。

 

2万レイスはポルトガル統治下のブラジルで誕生

2万レイスは、1724年から1727年までのわずか4年間にブラジルで発行された丸型金貨です。当時ポルトガルの統治下にあったブラジルのミナスジェライス州で金が発見されたことからゴールドラッシュとなり、その産物の大型金貨として発行されました。金貨の多くは本国ポルトガルを初めイギリスに送られて流通用に使用されました。現在残っているコインでは1724年発行の初年度のものが最も希少価値が高くなっています。53g以上もあるその重さから、ブラジル産の金により繁栄した当時のポルトガルの様子が伝わってくるような気がします。

 

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