「プリンス・オブ・ウェールズ」の生みの親?エドワード1世のグロート銀貨

イギリス王室に関連するコインには多くの種類があります。イギリスといえば世界にその名をとどろかせた大国、というイメージがあります。

しかしイギリスにも、周辺国としのぎを削っていた時代がありました。イギリスの中世を語るうえで名前があがるのが「エドワード1世」です。エドワード1世の政策や王としての姿は、後世のイギリス国王たちに多大な影響を与えました。

エドワード1世は「グロート銀貨」の発行者であり、現在まで続く「プリンス・オブ・ウェールズ」の概念を生み出した王でもあります。

イギリスの歴史を語るエドワード1世のグロート銀貨について、特徴や種類について詳しく解説します。

イギリス エドワード1世 グロート銀貨

基本データ

コイン名 エドワード1世 グロート銀貨
通称 グロート銀貨
発行年 1279-1307
イギリス
額面 1 Groat (1⁄60)
種類 銀貨
素材
発行枚数 不明
品位 Silver
直径 27 mm
重さ 5.7 g
統治者 エドワード1世
デザイナー -
カタログ番号 Sp# 1379A, North# 1007
表面のデザイン サークル内の四隅に4つの花、放射状の葉の中に小さな前向きの胸像、レジェンド
表面の刻印 EDWARDVS : D'I : GRA' : REX : ANGL’(エドワード、神の恩寵によるイングランド王)
裏面のデザイン 4分割されたスペースの中に3つずつのペレット、2行のレジェンド
裏面の刻印 DN'S HIBNE DVX AQVT LONDONIA CIVI(アイルランド公、アキテーヌ公 ロンドン市)
エッジのタイプ プレーン
エッジの刻印 -

 

イギリス エドワード1世 グロート銀貨とは?

エドワード1世によって建設されたウェールズのカーナーヴォン城

エドワード1世のグロート銀貨とはどのような特徴があるのでしょうか。名前の由来やサイズについて詳しく解説します。

グロート銀貨の名前はラテン語から

グロート銀貨(The Groat coin)の名前は、「Grosso(グロッソ)」というラテン語に由来しています。「グロッソ」とは「大型の」とか「ごつい」という意味があり、1280年頃から発行が始まった銀貨の特徴がそのまま呼び名になりました。4ペンスに相当する貨幣です。

中世の技術で作られたエドワード1世のグロート銀貨は、サイズが均一ではありません。重さは5.05g~5.71gまでさまざまです。直径は2.5cm前後。

グロート銀貨は、1280年頃から1856年まで発行されました。17世紀には発行が中断されていましたが、14世紀から15世紀にかけてサイズは小さくなっていった経緯があります。

グロート銀貨のデザイン

いかにも中世のコインという趣のグロート銀貨。エドワード1世のグロート銀貨は、彼が即位した1272年から1307年頃にかけて発行されたといわれています。
まず、王の肖像画が刻まれた面を見てみましょう。

四つ葉のクローバーのような形状の中に、王冠をかぶったエドワード1世の肖像画が描かれています。当時の技術では王の容貌の特徴までは分かりませんが、豊かな髪ととがった顎が印象的です。
王の肖像を囲むように文字が刻まれています。

EDWARDVS: DI: GRA: REX: AnGL(神の恩寵を受けたイングランド王エドワード)

また裏面のデザインは十字架によって四等分され、それぞれに丸が描かれています。
刻まれた文字は、

DN'S hIBn E DVX AQVT(アイルランド、アキテーヌの貴族)
LOn DOn IA C IVI(ロンドン市)

つまり、当時のイギリス国王の称号や所属が記されているわけです。

グロート銀貨発行は孫に引き継がれる

エドワード1世が発行を決定したグロート銀貨は、高額な貨幣の使用が一般的でなかったという事情もあり、当時は不評であったと伝えられています。

グロート銀貨の発行は、エドワード1世の孫、エドワード3世によって引き継がれました。エドワード3世の時代のイギリスは毛織物工業が盛んになり、経済的な繁栄を享受します。インフレによって賃金が上昇し、グロート銀貨も経済界で大きな役割を果たすようになったのです。

こうしてグロート銀貨は、エドワード1一世からエドワード3世へ、そして歴代のイギリス王によって発行され続けました。
イギリスのコインというと近世の金貨が人気ですが、グロート銀貨も希少性の高さで有名です。

 

イギリス エドワード1世 グロート銀貨が作られた当時の時代背景

 ▲議会を招集するエドワード1世

グロート銀貨が発行されたエドワード1世の時代。エドワード1世は1272年から1307年まで、35年もの間イギリスを統治していました。当時のイギリスはどんな国だったのでしょうか。中世のイギリス事情を解説します。

ノルマン王朝からプランタジネット王朝へ エドワード1世の時代

イギリスの王室の歴史がいつ始まるのか。これには諸説ありますが、一般的にはフランスのノルマンディー伯爵ギョームが名前をイングランド風に変えてウィリアム1世となった1066年に始まるとされています。これがノルマン王朝です。

ノルマン王朝は男系が絶えた後、1154年にアンジュー家の血を引くヘンリー2世が王となります。アンジュー家の紋章が「エニシダ(英語名:プランタジネット)」というマメ科の植物であったことからプランタジネット朝と呼ばれ、エドワード1世はその5代目でした。

エドワード1世は、皇太子時代から父ヘンリー3世を助けて国政を担っていたといわれています。即位したときは30代前半、十字軍の遠征先から父の死とともに帰国して王となり、封建王政を確立させました。

さまざまな法制を整備したことから「イギリスのユスティニアヌス」と呼ばれ、のちのイギリスの王政にも大きな影響を与えました。

グロート銀貨の発行によって貨幣制度の再整備を試みたのも、法律の制定に熱心だったエドワード1世の製作の一環であったのです。

「プリンス・オブ・ウェールズ」の誕生

現在のイギリス王室では、皇太子のことを「プリンス・オブ・ウェールズ」と呼びます。この慣習は、エドワード1世の時代から始まりました。その理由は、当時のイギリスを巡る情勢にあります。

当時、ブリテン島の南西部ウェールズや北部のスコットランドでは貴族同士の抗争が激化していました。エドワード1世は内紛に乗じてウェールズ地方を支配下に置き、生まれたばかりの長男エドワード(のちのエドワード2世)に「ウェールズ大公(プリンス・オブ・ウェールズ)」の称号を与えたのです。この慣習が、現在まで続くことになりました

ちなみに、エドワード1世の王妃はイベリア半島(現在のスペイン)生まれのエリナー・オブ・カスティル。政略結婚としてはまれに見る夫婦仲のよさで知られていた2人、1290年にエリナーが死ぬとエドワード1世は嘆き悲しみ、「エリナークロス」と呼ばれる十字架の記念碑を建てたことで知られています。

エドワード1世の功績と影響

エドワード1世は、後世に大きな影響を与えたイギリス国王の一人です。

高位聖職者や貴族、各都市の代表を招集して開催した「模範議会」は、後世の議会制度の先駆けとなりました。増長していた教会の権力を司法によって抑止したり、土地の保有制度を秩序化するなど、バランスのとれた政策は高く評価されています

ウェールズやスコットランドを支配下に置くなど外交面でも優れていましたが、フランスとは領土をめぐっての抗争は長引きました。エドワード1世の孫、エドワード3世の時代に始まる英仏100年戦争の要因は、エドワード1世の時代から断ち切れなかった禍根によるものだったのです。

 

イギリス グロート銀貨の種類・その他のコイン

ハープを演奏するヘンリー8世。ヘンリー8世のグロート銀貨には彼が好んだハープがデザインされています。

1280年頃から1856年まで発行されていたグロート銀貨は、数多くの種類があります。
そのなかでも特に人気のあるグロート銀貨について、ご紹介します。

ヘンリー6世のグロート銀貨

エドワード1世の時代からおよそ100年後に登場したのが、ヘンリー6世です。ヘンリー6世はわずか1歳で即位し、40年近く王位にありました。在位は1422年から1461年。

幼王を巡ってイギリスでは貴族間の抗争が激しくなり、平和主義のヘンリー6世の心労は大変なものがあったと伝えられています。

ヘンリー6世のランカスター王家とヨーク家が王位をめぐって戦った薔薇戦争が起きたのもこの時代。結局ヘンリー6世はロンドン塔に幽閉され、悲劇的な最期を遂げています。

温和なヘンリー6世は教育に力を注いだ王で、パブリックスクールとして有名なイートン校やケンブリッジ大学を創設しました。

ヘンリー6世の時代に発行されたグロート銀貨は直径が26.6mm、重さは3.82g。
エドワード1世のグロート銀貨とデザインはほぼ同じです。王の肖像画を囲む花のような輪が、少しだけ異なっています。

ヘンリー8世のグロート銀貨

ヘンリー8世はかの有名なエリザベス1世の父。彼自身も、イギリスの歴史に大きな足跡を残した王です。在位は1509年から1547年。チューダー王家の2代目の王です。

ヘンリー8世は典型的なルネッサンス時代の君主で、その宮廷はとても華やかであったと伝えられています。政略結婚から恋愛結婚まで、生涯に6人の妻を持ちました。後の女王となるエリザベス1世は、2番目の妻との間にできた王女です。

ヘンリー8世のグロート銀貨には、ハープが描かれているものもあります。ハープはアイルランドのシンボルといわれているほか、ヘンリー8世自身がハープを好んで演奏していたという説もあります。

直径は23~24mm、重さは2.3~2.5g。

チューダー王家の紋章である獅子と百合に格式を感じます。

メアリー1世のグロート銀貨

メアリー1世はヘンリー8世の長女であり、エリザベス1世の異母姉。母はカスティリア・アラゴン王国王女キャサリン、夫はスペイン王となるフェリペ2世で、まさに純血のサラブレット並の高貴な血筋を誇ります。

しかしその栄光とは裏腹に、メアリーの人生は苦難に満ちたものでした。母のキャサリンは英国王妃として国民の尊崇の的でしたが、王子を産むことができませんでした。ヘンリー8世は年上のキャサリン妃と離婚し、メアリーは庶子の身分になったこともありました。

父の跡を継いでメアリーは女王となり、従弟のスペイン王太子フェリペと結婚。在位は1553年から1558年。メアリー1世のグロート銀貨には、英国王としてメアリーとフェリペの名前やイニシャルが刻まれています。

メアリー1世のグロート銀貨は直径は27mm、重さは約3g。

悲しくも誇り高く生きた女王の生きざまが、グロート銀貨から伝わってきます。

 

イギリス エドワード1世 グロート銀貨の価格推移

第三者鑑定機関の鑑定済みのものが少ないため、スラブ入りのものはオークションでの取引もあまりありません。そのためハイグレードのものは高値で取引されています。未鑑定の流通痕のあるものであれば、3万円ほどから見つけることができます。

未鑑定(VF程度)

未鑑定ですが、ここまでの良い状態で残っているものは大変希少です。
まさにサバイバー(Survivor)と呼んで良い状態です。

2024年4月4日に13,800ドルで落札。

AU50

数少ないスラブ入りのものです。 AU50というと低いグレードのような印象ですが、TopPop(世界最高鑑定)です。この時代であれば「ハイグレード」という評価です。

それぞれの時代に合ったグレードの推移を鑑定ページをみながら意識しましょう。

2021年1月21日に$19,200で落札。

 

ヨーロッパの歴史を語るうえでも興味深いグロート銀貨 

グロート銀貨の歴史は古く、13世紀の後半に発行された歴史を持ちます。

イギリスの中世、法の整備や税制改革や貨幣改革を行ったエドワード1世によって発行されたのがはじまり。彼に続く歴代のイギリス王たちが発行したため、多くの種類が残っています。

複雑に絡み合うヨーロッパの歴史を語るうえでも興味深いグロート銀貨、ぜひお手に取ってその魅力を感じてみてください。

 

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