女癖が悪すぎるイングランド国王ヘンリー8世

ヘンリー8世のコイン

歴史上の権力者には、しばしば女癖の悪い人物が。しかし、権力者といえども特別な場合を除けば一夫一婦制が守られているキリスト教圏のヨーロッパ。カトリックの教義が、重婚や離婚を認めないためです。

しかし例外を変えた王がいます、テューダー朝第2代目イングランド君主ヘンリー8世。
眉をひそめるくらい女性関係にまみれたヘンリー8世ですが、女性を求めた理由や政治家としても優秀だったことはあまり知られていません。

いったいどういう人物だったのか、今回はイングランド君主ヘンリー8世をご紹介していきましょう。



王室史上最高のインテリとも呼ばれるヘンリー8世

ヘンリー8世のコイン
ヘンリー8世は1491年生まれ。180cmを超える身長を持ち、武芸を修め、自ら馬上槍試合に出場しています。音楽や文芸にも秀で、ヘンリー8世が作曲したという楽譜が残されています。

母国語となる英語だけでなく、ラテン語、スペイン語、フランス語にも精通していたといいます。これらのことからイングランド王室史上最高のインテリと評されます。このように多様な才能を持つとなると、13世紀の神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世を彷彿とさせるものがあります。



不安定な王座と、フランスとの戦い

ヘンリー8世のコイン
ヘンリー8世が君主になる数十年前にイングランドで争乱が起き、それまでのランカスター朝からチューダー朝へと移り変わりました。2代目のヘンリー8世の治世下は、権力基盤が安定しておらず、どこかの有力者が王位を請求して兵を挙げる危険性がある時代でした。

内部に不安を抱えてはいますが、対外的にも弱気にはなれません。慣例としてヘンリー8世もフランスの王位を請求し、フランスとも戦っています。

この時期の大国としては、フランスとスペインが挙げられます。特にスペインは、カール五世の下で神聖ローマ帝国と同君連合となっており、ヨーロッパ史上類を見ない巨大国家となっていました。

それこそ古代ローマ帝国まで遡らないと匹敵する国はありません。ヘンリー8世はそのカール五世と共同してフランスを攻めますが、経済的に困窮して失敗に終わります。スコットランドとの戦いには勝利しましたが、得るものはありませんでした。 




結婚歴は6回。血まみれの離婚と宗教改革

ヘンリー8世のコイン
不安定ではありながらも強力な王権を行使し、国を主導したヘンリー8世でしたが、女性を後継者にすることを心配していました。最初に結婚したキャサリン王妃はメアリー王女を生みましたが、男子に恵まれなかったのです。

王妃の侍女に目を付け、手を付けはじめ、正式な結婚を求められて困ったヘンリー8世は、離婚を決意します。ところがカトリックの教義上、そう簡単には離婚が出来ません。教皇の許可が必要でした。

そこで、イングランドの宗教改革に乗り出します。こうして英国国教会が誕生するのです。これでだいぶ簡単に離婚できるようになったヘンリー8世は、次々と妻を乗り換えていきます。エリザベス王女は生んだものの2人目の妻アンは、流産後に処刑されました。

3人目の妻がエドワード王子をもうけたものの、直後に亡くなったためにまた新しい妃を探しました。結局はエドワード王子が世継ぎとなりますが、それまでに6度の結婚をし、邪魔になった妻やその支援者が失脚処刑されたのは、一人二人ではすまなかったのです。



ヘンリー8世時代のコイン

ヘンリー8世のコイン
ヘンリー8世の時代にも何種類ものコインが発行されています。エドワード4世の時代から続いているエンジェル金貨の他に、父ヘンリー7世の時代から鋳造が始まったソブリン金貨などもあります。この時代のソブリン金貨は1604年に生産が打ち切られていますので、19世紀のソブリン金貨とは別のもので、旧ソブリン金貨と呼んで区別されています。エンジェル金貨には、名前の通りコインに天使が描かれています。

 

男子の世継ぎのために

ヘンリー8世のコイン
国内の安定を重視したヘンリー8世は、どうしても男子の世継ぎを必要としました。それも、一人だけでは不安で、もっと多くの後継者を求めたものの、叶いませんでした。結局エドワード6世は15歳で早世し、その後を継いだ二人の女王も子供がいなかったためチューダー朝は断絶し、スコットランドのスチュアート朝へと受け継がれていくことになります。結果論にはなりますが、血を流してでも男子を求めたヘンリー8世は正しかったのかも知れません。

ただ、後に女王となったエリザベス1世が生涯結婚しなかったのは、過激なやり方で妻を取り替えていったヘンリー8世の行いにショックを受けたからとも言われています。ヘンリー8世が生涯妻を愛する人物だったとしたら、エリザベス女王も結婚し、後継者を儲けていた可能性もあったのかも知れません。