フランツ・ヨーゼフ1世 戴冠40周年 100コロナ金貨が語るオーストリア=ハンガリー帝国秘話!

▲白馬にまたがって丘を登り、サーベルを抜いて東西南北の天空に十字を切るフランツ・ヨーゼフ1世。 国民を外敵から守ることを象徴する、ハンガリー国王戴冠式に伴う伝統的な儀式
わずか18歳で皇帝に即位してから68年に及ぶ長い在位と、国民からの絶大な敬愛から国父とも称された皇帝フランツ・ヨーゼフ1世。晩年は不死鳥とも呼ばれ、オーストリア・ハンガリー帝国の象徴的存在でした。
今回ご紹介する「フランツ・ヨーゼフ1世 戴冠40周年 100コロナ金貨」は、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世が1867年にハンガリー王としても戴冠してから40周年を迎えた1907年に、その節目を祝って発行された金貨です。
本記事では、この金貨に秘められた華麗なデザイン、歴史的背景、コレクターズアイテムとしての魅力、そしてなぜこの金貨が今もなお多くの人々を魅了し続けるのか、その答えを深堀していきます。
フランツ・ヨーゼフ1世 戴冠40周年 100コロナ金貨

基本データ
コイン名 | ハンガリー フランツ・ヨーゼフ1世 戴冠40周年記念 100コロナ金貨 |
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通称 | フランツ・ヨーゼフ 戴冠40周年 100コロナ金貨 |
発行年 | 1907|1907年にリストライクが発行 |
国 | ハンガリー |
額面 | 100コロナ |
種類 | 金貨 |
素材 | 金 |
発行枚数 | 10,973枚 |
品位 | Gold (.900) |
直径 | 37mm |
重さ | 33.8753g |
統治者 | フランツ・ヨーゼフ1世 |
デザイナー | Josef Reisner , Károly Gerl |
KM | KM# 490, ÉH# 1487, H# 2213, Adamo# K10.1 |
表面のデザイン | フランツ・ヨーゼフの右向きの頭部、レジェンド |
表面の刻印 | FERENCZ.JÓZSEF I.K.A.CS ÉS M.H.S.D.O.AP.KIR. 1907 (フランツ・ヨーゼフ1世 オーストリア皇帝 兼 ハンガリー・クロアチア・スラヴォニア・ダルマチアなどの使徒的国王) |
裏面のデザイン | 戴冠式で司祭から王冠を授けられるフランツ・ヨーゼフ、レジェンド |
裏面の刻印 | MEGKORONÁZTATÁSÁNAK NEGYVENEDIK ÉVFORDULÓJÁRA 1867 - 1907 100 KORONA(戴冠40周年記念 1867 - 1907 100コロナ) K·B |
エッジのタイプ | - |
エッジの刻印 | - |
ハンガリー フランツ・ヨーゼフ1世 戴冠40周年記念 100コロナ金貨とは?

▲ハンガリー王として戴冠するフランツ・ヨーゼフ1世
こちらでは、ハンガリー フランツ・ヨーゼフ1世 戴冠40周年 100コロナ金貨についてご案内します。
表のデザインに込められた威厳と誇り
このコインの表面には、ハプスブルク家皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の胸像が堂々と刻まれています。王冠を戴かず、古代ローマから皇帝のシンボルの勝利者を象徴する月桂冠を冠した姿は「神聖なる支配者」「国家の秩序を守る最高権威」というメッセージを人々に与えました。
周囲には「FERENCZ JÓZSEF I•K•A•CS•ÉS M•H•S•D•O•AP•KIR•」と題号が巡り、オーストリア皇帝にしてハンガリー王であることを誇示しています。また年号「1907」は、1867年のハンガリー戴冠から40年を記念する数字として刻まれ、コインそのものが帝国の歴史を映す証となっています。
金含有率は 0.900(90%)、重量は約 33.8753グラム、直径は約 37mm。1907年、クレムニッツ(Kremnica, 現スロバキア)造幣所(刻印 K.B.) で製造されました。
裏(リバース)に刻まれたハンガリー王国の戴冠式

▲ハンガリー王の象徴:聖イシュトヴァーンの王冠、王剣、聖球
コインの裏面には、1867年マーチャーシュ聖堂で行われたフランツ・ヨーゼフ1世のハンガリー王戴冠式の様子が繊細に描かれています。司祭とハンガリー王国初代首相アンドラーシ・ジュラ伯爵が、王の頭上にハンガリー王の証である聖イシュトヴァーンの王冠をささげています。
そしてフランツ・ヨーゼフ1世がハンガリー王として戴冠してから40周年を祝う刻銘「MEGKORONÁZTATÁSÁNAK NEGYVENEDIK ÉVFORDULOJÁRA 1867–1907」が大きく刻まれています。これは「戴冠40周年を記念して」という意味を持ち、帝国の安定と繁栄を象徴するものです。
中央には額面「100 KORONA」が力強く配され、その周囲を飾る装飾や縁のミルド加工は、まるで戴冠式の舞台を想起させる荘厳さを演出しています。
戴冠40周年記念とは?

▲1867年のヨーロッパ地図
フランツ・ヨーゼフ1世の1867年のハンガリー王としての戴冠は、オーストリア=ハンガリー二重帝国誕生の契機でした。
この歴史的出来事から40年後の1907年、帝国の威信を示すため記念金貨が発行されたのです。
つまり「戴冠40周年」とは、1867年の戴冠を起点にした1907年の祝典を指します。この発行は、二重帝国の安定と権威を内外に誇示する象徴的な意義を持ちました。
オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世がハンガリー皇帝戴冠40周年記念ー100コロナ金貨が作られた当時の時代背景

▲ハンガリーの都市ジェール(ドイツ語名はラープ)に進軍するフランツ・ヨーゼフ1世
ここでは、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世がハンガリー皇帝としても二重戴冠するまでの歴史的背景をご紹介します。
血に染まった若き皇帝 ― ハンガリー蜂起の弾圧
オーストリア帝国領内のハンガリーでは、三月革命以前から貴族コシュート・ラヨシュを中心とした独立運動が激化していました。彼のカリスマと熱弁は、ハンガリー人の抑圧された心に火をつけ独立への熱狂的なうねりを生み出します。
若き皇帝フランツ・ヨーゼフ1世は、この危機に対し断固たる姿勢で臨みました。1848年12月16日、彼は名将ヴィンディシュ=グレーツ侯爵を派遣し首都ブダペストを陥落させ、コシュートは国外へ逃亡します。しかし、広大なハンガリーに根付いたオーストリア支配への反感は想像以上に深く、1849年4月にはハンガリー人勢力によってブダペストが再び奪還されるという劇的な展開を迎えます。
大軍を差し向けたものの、ハンガリーの抵抗は激しく、鎮圧は難航。皇帝は追い詰められ、ついに「ヨーロッパの憲兵」と恐れられたロシア皇帝ニコライ1世に軍事援助を要請する禁じ手を使います。ロシア軍の介入により、独立蜂起は最終的に鎮圧されました。

▲ハンガリー元首相バッチャーニュ・ラヨシュ伯爵の処刑
しかし、その代償は甚大でした。降伏後、元首相バッチャーニュ伯爵を含む114名の指導者が次々と処刑されるという流血の結末が待っていたのです。
この残忍な鎮圧と大量処刑は、フランツ・ヨーゼフ1世をたちまち血に染まった若き皇帝として歴史に刻みました。この惨劇は、オーストリア帝国が抱える民族対立の根深さを露呈させ、ヨーロッパ各国に大きな衝撃を与え、皇帝の名声を傷つけました。ハンガリーの壮絶な独立闘争は、帝国とヨーロッパの未来に拭い去れない暗い影を落とすこととなったのです。
冷たい忠誠と温かい拒絶 ― 皇妃シシィとハンガリー愛

▲新婚の皇帝夫妻
反乱を鎮圧したのち、フランツ・ヨーゼフ1世はハンガリーとの関係改善に努めました。
1852年には各地を行幸し、しばしば熱狂的な歓待を受けています。しかしその熱気の裏にあるのは真の忠誠ではなく、恐怖と複雑な感情でした。
村人たちは皇帝を迎える際にドイツ語で「万歳」と叫びました。これを不思議に思った皇帝が理由を尋ねると、村長は「ハンガリー語で叫べば、つい『万歳、コシュート』と口走ってしまうからだ」と答えたと伝えられています。
つまり表面上の歓呼の声は支配者への忠誠ではなく、潜在的な抵抗心を隠すためのものだったのです。メッテルニヒがかつて「ハンガリー人を熱狂させるのは容易だが、統治するのは難しい」と述べた言葉は、この状況を如実に表しています。

▲ハンガリー王妃戴冠時のエリザベート(1867年)
この冷たい忠誠と温かい拒絶のはざまで、フランツ・ヨーゼフは苦悩を深めました。そんな中で希望となったのが、美貌と知性を備えた皇后エリザベート(シシィ)の存在です。
姑ゾフィー大公妃のハンガリー嫌いとは対照的に、シシィはハンガリーに心を寄せ、末娘マリー・ヴァレリーをハンガリーで出産するほどの愛情を注ぎました。民衆もまた彼女を心から敬愛し、オーストリアとハンガリーの距離を和らげる精神的支柱となったのです。
彼女の自由を愛する気質とハンガリー文化への共感は、皇帝の硬直した統治姿勢を和らげるきっかけとなり、帝国における和解への道を開く力となりました。
和解の冠 ― 二重帝国の誕生と黄金の証

▲1867年のフランツ・ヨーゼフとエリザベートの戴冠式
1866年、プロイセン戦争で敗北したオーストリアは国際的地位を失い、内政の再編を迫られました。帝国内では民族主義が高まり、反政府運動が各地で活発化。さらに一連のイタリア戦争の大敗により、多くのイタリアの領土を失ったことで南方からも退き、中・東欧に活路を求めざるを得なくなります。この敗戦を契機に「ドナウ君主国」という構想が浮上しました。
なかでも最大の懸念は、過去の反乱で深い遺恨を残していたハンガリーでした。「強権で抑え込むか、それとも和解を図るか」皇帝フランツ・ヨーゼフ1世は選択を迫られます。
しかしハンガリーとオーストリアは、宗教が同じカトリックであることや、ウィーンとブダペストの近さなどを踏まえ、協調が現実的と判断。さらにハンガリーを愛する皇后エリザベート(シシィ)の助力もあり、皇帝は和解の道を選びました。
実はハンガリーとの交渉はプロイセンとの戦前から続けられており、敗戦後もハンガリーは条件を変えず、一貫して同じ妥協を求めました。皇帝はその誠実さに感謝し、1867年に「アウスグライヒ(妥協)」を成立。こうしてオーストリアとハンガリーは対等な二国として並び立つ、二重帝国オーストリア=ハンガリーが誕生したのです。
フランツ・ヨーゼフはブダペストのマーチャーシュ聖堂で行われた戴冠式において、歴代のハンガリー皇帝と同じように白馬にまたがり、サーベルを掲げて四方に十字を切り、国土を守る決意を示しました。血で始まった皇帝とハンガリーの関係は、この瞬間に新たな章を迎えたのです。
以後、帝国は半世紀にわたり二重体制のもとで存続し、その統治の象徴が1907年に発行された「戴冠40周年記念100コロナ金貨」でした。それは和解と共存の歴史を刻む黄金の証でもあったのです。
フランツ・ヨーゼフ1世のその他のコイン
美しくコレクターにも人気の高いフランツ・ヨーゼフ1世のコインは、それぞれに時代を物語るものが多く魅了されます。
こちらでは、フランツ・ヨーゼフ1世のその他のコインについてご紹介いたします。
オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世とバイエルン公女エリザベートの御成婚記念 1グルデン銀貨

このコインは 1854年発行の「1グルデン銀貨」 で、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世とバイエルン公女エリザベート(後の「シシィ」皇后)の結婚を記念したものです。
材質は銀でウィーン造幣局による発行。重量は12.99gで直径29mmです。
表面はオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世とバイエルン公女エリザベート二人の肖像、裏面はウィーン大司教ラウシャー枢機卿による結婚式の場面を繊細に表現しています。
2人はフランツ・ヨーゼフ1世がエリザベートに一目惚れした末結婚します。彼女の数奇な運命はオペラや演劇や映画など現在まで制作されつづけ、当時もこの結婚には国民の熱狂的な祝福があったと言われています。
1875年オーストリア ウィーン・トリエステ南部鉄道開通記念 2ターラー銀貨
このコインはオーストリアのウィーンと、イタリアのアドリア海に面した港湾都市トリエステを結ぶ鉄道完成を記念して発行されました。材質は銀で重量37.04g、直径41mmの2ヴェラインターラー銀貨です。
表面に若き皇帝の肖像、裏面に「南オーストリア鉄道完成(1857)」の記念銘文、灯台を中心にして機関車と船のモチーフが近代化の象徴として華々しくデザインされています。
彫刻家のカール・ラドニツキーの作で、こちらも非流通記念貨幣として稀少なコインです。
「雲上の女神」1908年オーストリア フランツ・ヨーゼフ1世 在位60周年記念 100コロナ金貨

いつの時代もコレクターを魅了し続けるこちらのコインは、フランツ・ヨーゼフ1世の治世60周年を記念して発行されました。
材質は金、重量は33.875gで直径37mm。発行地は現スロバキアのクレムニツァ造幣局です。
表面には彫刻家ルドルフ・マルシャル-ネウベルガーによって制作された晩年のフランツ・ヨーゼフ1世の右向きの肖像。
即位60周年を示す銘文「DVODECIM LVSTRIS GLORIOSE PERACTIS(60年を栄光と共に過ごした)」とあり、縁文字に「VIRIBVS VNITIS(力を合わせて)」とあります。
裏面にはコレクターの間でも人気の高い「雲上の女神」が描かれています。女神は雲の上に座り、右手に月桂冠、左手にハプスブルグ家の象徴である双頭の鷲の盾が描かれています。
この女神は1898年に暗殺された愛する皇妃エリザベートをモデルにしているといわれています。女神になった皇后が天から祝福している姿がとても美しいコインで、現在も高い人気を誇ります。
フランツ・ヨーゼフ立像 100コロナ金貨

こちらは1907–1908年に発行された重量33.875gの直径37mmの100コロナ金貨です。
表面に描かれた皇帝の立像の肖像はとても珍しく、雄々しい姿の皇帝がハンガリー独特の丸みを帯びた聖イシュトヴァーンの王冠を頭上に頂いています。
裏面に描かれた紋章はオーストリア=ハンガリー帝国の時代に使用されたハンガリーの聖イシュトヴァーンの王冠諸邦の紋章です。この紋章の中心には、二重十字が印象的なハンガリーの国章が見え、クロアチア、スラヴォニア、トランシルヴァニア、リエカの紋章で構成されています。
コインに刻まれたデザインを眺めると、当時の時代背景を深く象徴的に思い浮かべてしまいます。
オーストリア・ハンガリー皇帝フランツ・ヨーゼフ1世最後の100コロナコイン

こちらは オーストリア帝国フランツ・ヨーゼフ1世100クラウン金貨で、1909年から発行。額面は100コロナで材質は金、重量は33.875g、直径は37mmです。1916年に皇帝が崩御されたので、こちらがフランツ・ヨーゼフ1世最後のコインです。
表面は彫刻家シュテファン・シュヴァルツによる80歳になるフランツ・ヨーゼフ1世の肖像。裏面はハプスブルグ家の象徴である双頭の鷲に、額面「100 COR.」とVIRIBVS VNITIS(力を合わせて)」の文字が。そしてローマ数字による発行年が施されています。造幣局はウィーン造幣局です。
オーストリア=ハンガリー帝国の皇帝フランツヨーゼフ1世の統治を記念して1909年から1914年まで通常発行されましたが、それ以後は1915年付のリストライクが発行されています。
フランツ・ヨーゼフ1世 戴冠40周年 100コロナ金貨の価格推移
リストライクも多いため、比較的手に入りやすいコインです。
プルーフとマットのコントラストも美しい大型金貨です。
MS64

2025年1月13日に$12,600で落札。
MS65★

2024年1月8日に$25,200で落札。
PR69 Ultra Cameo リストライク

2025年8月29日に$4,080で落札。
不死鳥とよばれた皇帝、国父フランツ・ヨーゼフ1世ー黄金に刻まれた帝国の記憶
▲フランツ・ヨーゼフ1世皇帝 - 1885年頃
約70年にわたり帝国を統べたフランツ・ヨーゼフ1世の治世は、伝統と多民族の複雑さを映す鏡でした。幼少からの過酷な教育、若き日の即位……。その生涯は「皇帝であること」そのものに捧げられていたのでしょう。
しかし彼は冷徹な支配者ではなく、皇后エリザベートへの愛、国民への温かな眼差しを忘れぬ人でもありました。アウスグライヒを経て誕生した二重帝国を導いた手腕は、今も称賛に値します。
戴冠40周年記念100コロナ金貨は、単なる貨幣ではなく国家の誇りと栄光を物語ります。黄金の輝きの中に帝国の栄華と哀惜が重なり、手にする者は、遥か彼方へと過ぎ去った時代の鼓動を、今もなお胸の奥で静かに感じ取ることでしょう。

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