ジェームズ2世5ギニー金貨とは? 「象と城」のデザインや過去の落札価格を徹底解説!
1685年に兄の後を継いでスチュアート王朝の4代目のイギリス国王となったジェームズ2世。わずか3年の在位の間に、彼は6種類もの金貨を発行しています。
2人の娘はそれぞれ女王として即位し、英国の王位がスチュアート家からハノーヴァー家へと変遷していく過渡期に生きた王でもありました。当時のイギリスの複雑な宗教観とジェームズ2世の王としての足跡を追ってみましょう。
ジェームズ2世 5ギニー金貨
基本データ
コイン名 | イギリス ジェームズ2世 5ギニー 金貨 |
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通称 | ジェームズ2世 5ギニー 金貨 |
発行年 | 1686年〜1688年 |
国 | イギリス |
額面 | 5ギニー |
種類 | 金貨 |
素材 | 金 |
発行枚数 | - |
品位 | Au 917 |
直径 | 37 mm |
重さ | 41.94 g |
統治者 | ジェームズ2世 |
デザイナー | ジョン・ロティエール(John Roettier) |
KM | # 460 |
表面のデザイン | 左向きのジェームズ2世の肖像とレジェンド |
表面の刻印 | IACOBVS·II· DEI·GRATIA(James the Second by the Grace of God:神の恩恵を受けるジェームズ2世) |
裏面のデザイン | 王冠の下に4つのシールドとレジェンド、発行年 |
裏面の刻印 | MAG· BR·FRA· ET·HIB· REX·16 88·(King of Great Britain, France and Ireland:フランスとアイルランドそしてイングランドの王) |
エッジのタイプ | レターエッジ |
エッジの刻印 | QVARTO(在位4年目) |
ジェームズ2世の誕生とイギリスの複雑な宗教問題
ジェームズ2世は1633年に誕生しました。父はイギリス国王とスコットランド王を兼ねていたチャールズ1世、母はフランスの王女ヘンリエッタ・マリアです。父の家系も母の家系も、まさに欧州の「青い血」を引く生粋の貴族でした。
▲少年期のジェームズ2世
幼少期から青年期まで、イギリスの内戦である清教徒革命(ピューリタン革命)や海外への亡命など辛い経験を体験します。しかし、兄チャールズ2世の即位によって、1660年に母国であるイギリス・イングランドへやっと帰国することが叶います。
カトリックvsプロテスタントになったイギリス
▲国王即位時のジェームズ2世
1685年には兄の跡を継いで、イギリス国王として即位します。51歳でした。しかし、彼の国王としての在位は僅か3年間と短いものでした。
ジェームズ 2 世は、カトリックとプロテスタントの関係が緊張状態であった時期に王位に就きました。君主制と英国議会の間にもかなりの摩擦がありました。
当時のイングランドでは、カトリック、プロテスタント、イギリス国教会の3つが対立。そんな中で、ジェームズ2世はカトリック信仰を隠しもせず王位に就き、カトリック教徒を優先した政策を行ったため国民の怒りを買いました。そして、ジェームズ2世は兄が行ってきた専制政治を続け、更にはカトリックの復活と絶対主義の再建に努めました。
17世紀のイングランドにおいて、王がカトリックを信仰することは「イングランド固有の法と伝統の破壊者」そして「絶対王政を行き渡らせる暴君」といった烙印を押されることを意味します。
2度の結婚と宗教観の違いによる跡継ぎ問題
ジェームズの最初の妃アン・ハイドは、亡命時代のスチュアート家を支えたエドワード・ハイドという貴族の娘でした。
▲妻アンと2人の娘たち
アン・ハイドは、ジェームズとの間に7人の子どもを産みますが、育ったのは後に女王となるメアリーとアンの2人だけでした。アン自身も、1671年に8度目のお産で亡くなり、王妃になることが叶いませんでした。
その2年後、1673年にジェームズはイタリア貴族の娘メアリー・オブ・モデナと結婚します。2人の年の差はなんと25歳。信仰面について、プロテスタントのイギリス国民を気遣って自らの思いをあからさまにしなかった兄チャールズ2世と異なり、ジェームズははっきりと「カトリック教徒であること」を明言していました。しかし、敬虔なカトリック教徒でありイタリア貴族のお姫様が妃としてやってきたため、イギリス国民はこの2人に子供が生まれないことを祈ったといわれています。
ジェームズが先の結婚でもうけた2人の娘、メアリーとアンはプロテスタントとして育てました。この2人ならイギリスの長として問題ないものの、再婚から生まれるカトリックの王子が王になることだけは避けたい、というのがイギリスの政府や国民の思いであったのです。
▲再婚したメアリーと娘
再婚当時、40歳と15歳であった夫婦の間には1男4女が生まれるものの、すべて夭折してしまいます。ところが、ジェームズ2世として即位した2年後、王妃メアリーが懐妊します。プロテスタントの重臣も国民もこれを信じようとせず、その妊娠が作り話であることがまことしやかにささやかれるようになります。
そのため、メアリーはイギリスの王妃としては初めて「出産確認者」立会いのもとで出産しました。こうして生まれたのが、王子ジェームズ・フランシス・エドワードです。
この王子の誕生は、まったく人気がなかったジェームズ2世を廃位に追い込む動きに拍車をかけました。
プロテスタントの家臣たちの思いは、ジェームズ2世の娘メアリーを女王にすることに尽力します。
名誉革命による亡命と退位
1688年11月、プロテスタントのイギリス人がメアリーの夫オレンジ公ウィリアムの兵力を頼ります。オランダのオレンジ公が1万4千の兵を率いてイングランドに上陸します。
▲オレンジ公ウィリアムが上陸した際の様子
側近は寝返り、自前の兵はほとんどおらず、自らの敗北がわかったジェームズ2世はフランスへの亡命を決意します。55歳でした。
これを「名誉革命(Glorious Revolution)」といいます。イングランドでは流血や暴力はほとんど無かったため、「無血革命」と呼んだりします。
その後、解散中であった議会を招集し、国王即位の承認を受けたウィリアム3世とメアリー2世の共同統治の時代がはじまります。そして「権利の章典」を定めます。
ウィリアム3世とメアリー2世ではなく、ジェームズ2世こそ正統なる王であるという人々は「ジャコバイト」と呼ばれ、ジャコバイト運動はたびたび名誉革命体制のイングランドを脅かしました。
ちなみに「ジャコバイト」とは「ジェームズ」のラテン語名です。
ジェームズ2世の晩年
▲晩年のジェームズ2世
1701年に脳出血により67歳で最期を迎えます。
最後までイギリスの王位を諦めきれなかったのか、「遺体はウェストミンスター大寺院に埋葬してほしい」という遺言が残されていました。しかしその想いもかなわず、ジェームズ2世は今もフランスのサン・ジェルマンの地に眠っています。
その結果、ジェームズ2世は歴史上において最後のカトリック教徒の国王だったとされています。
時代に翻弄されたジェームズ2世。カトリック絶対王政を目論んだ人間として伝えられてきましたが、近年では再評価されつつあり、「名誉革命」は単なる「クーデター」とされる動きもみられます。
ジェームズ2世の5ギニー金貨の価格推移
AU58
2021年3月26日に$78,000で落札。
パラマウントコレクションより。
MS60
2020年1月13日に$72,000で落札。
MS62
2021年8月19日に$174,000で落札。
MS60 " Elephant & Castle(象と城)"
「エレファント&キャッスル(Elephant & Castle:象と城)」と呼ばれる5ギニー金貨もあります。
ウィリアム3世ポートレート下に小さなエレファント(象)の刻印があります。
▲肖像のすぐ下に小さな「象」が刻印されている
6種類あるジェームズ2世5ギニー金貨のうち、1687年の金貨と1688年の金貨にだけ背中に「城を載せている象」のデザインが彫られています。これは、奴隷貿易で知られた王立アフリカ会社のシンボルマークです。ジェームズ2世が王立アフリカ会社の筆頭理事を務めていたことからデザインされたと考えられます。
もともとギニー金貨の「ギニー」という単位は、金を産出しているアフリカのギニアを表す言葉です。その中でもこの「エレファント&キャッスル」というマークがついているものは、ギニア産出の金で作られたものです。
ギニー金貨の中でも、この「エレファント&キャッスル」が付いているものが高く評価されています。
MS60 "2nd bust"
1687年と1688年の2年号のみの発行の「2nd bust(第二肖像)」です。
エッジにラテン語で1687年の在位3年目を意味する「TERTIO」と1688年の在位4年目を意味する「QVARTO」が刻印されています。
▲髪のカールの先などに変化がみられます
2014年1月6日に$16,450で落札。
2nd bustはほとんど市場で見かけないため、オークション履歴も数年前の過去のものになります。
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