ナポレオン1世 20フラン金貨の魅力とは?時代背景や種類・相場も解説!
ナポレオン1世といえば、フランス革命期の英雄として誰もが知るほどに有名ですが、その金貨について知っている人は少ないかもしれません。
ナポレオン1世の20フラン金貨は、本人の有名さにも関わらず、比較的安価に入手することができるのです。
今でも安価に手に入りやすい理由は、ナポレオン1世と20フラン金貨の歴史を紐解いていくことで明らかになります。
今回はナポレオン1世の20フラン金貨の歴史や種類・価格についてご紹介します。ナポレオンのアンティークコインが欲しいと考えている方におすすめです。
ナポレオン1世 20フラン金貨
コイン名 | フランス ナポレオン1世 20フラン金貨 |
---|---|
通称 | ナポレオン1世 20フラン金貨 |
発行年 | 1803年〜1815年 |
国 | フランス |
額面 | 20フラン |
種類 | 金貨 |
素材 | 金 |
発行枚数 | 500万枚以上 |
品位 | Au 900 |
直径 | 21 mm |
重さ | 6.45 g |
統治者 | ナポレオン1世 |
デザイナー | ジャン=ピエール・ドロー(Jean-Pierre Droz) |
KM | # 661,# 674,#695 |
表面のデザイン | 左向きのナポレオン1世の肖像とレジェンド |
表面の刻印 | NAPOLEON EMPEREUR·(皇帝ナポレオン) |
裏面のデザイン | 月桂樹のリースと単位、レジェンド、発行年 |
裏面の刻印 | REPUBLIQUE FRANÇAISE. 20 FRANCS 年号. ミントマーク|(フランス共和国、20フラン) |
エッジのタイプ | レタリング |
エッジの刻印 | DIEU PROTEGE LA FRANCE (神はフランスを護る) |
ナポレオン1世 20フラン金貨とは?
ナポレオン1世 20フラン金貨とは、ナポレオン・ボナパルトが第一統領になってから皇帝の座を降りるまでの1801年〜1815年にかけて発行されたフラン金貨です。
日本人にとってナポレオン1世といえば、乗馬した凛々しい姿がイメージされる人も多いでしょう。しかし、20フラン金貨の肖像では、古代ローマ皇帝のシンボルである月桂冠を被った横顔姿が多いです。これは、ナポレオン1世が自身のことを古代ローマ皇帝になぞらえて宣伝していたからだと言われています。
ナポレオン帝政時代に支配していたヨーロッパを中心とする各国で発行されていたこともあり、発行枚数はアンティークコインの中でも多いです。
しかし、ナポレオン1世が非常に知名度の高い英雄的人物であることから、市場でもすぐに売れるほどの人気があります。
金貨に刻まれたミントマークとは?
全てのフランス金貨には、金貨の製造地をアルファベット1文字で表すミントマークが刻まれています。例えば、「A」はパリ、「BB」はストラスブール、「G」はジュネーブでの発行を示すなど、フランスの金貨はフランス国外でも多く製造されていたことがわかります。
中でもナポレオン1世 20フラン金貨は、ナポレオン戦争によって侵攻・支配したオランダのユトレヒトやイタリアのトリノなどの地域でも製造され、発行数の少なさから希少価値も高いです。
英雄「ナポレオン1世」が生まれるまで
英雄ナポレオン1世は、フランス革命期やそれ以降の活躍で極めて有名な人物です。ここではナポレオン1世について、その生い立ちやエピソードを紹介します。
ナポレオン・ボナパルトの生い立ち
1769年にイタリア半島の西側にあるコルシカ島で、ナポレオンは生まれました。父親の計らいで、10歳の頃にはフランス本国の陸軍幼年学校に入学し、数学では抜群の成績を収めます。
▲青年期のナポレオン
1784年に彼はパリの陸軍士官学校に入学すると、砲兵科を専攻します。ナポレオンはそこでも、通常4年前後で卒業するところを11ヶ月で全課程を終了するという才能を発揮しました。
ただ、幼少期のナポレオンは指揮官タイプというよりは、内向的で友達が少なく、読書を盛んにしている少年でした。
軍人時代のナポレオン
▲書斎のナポレオン
陸軍士官学校を卒業し、16歳から砲兵士官として任官していた頃、フランス革命が勃発します。ナポレオンはコルシカ民族主義者であったため、当初革命には関心がありませんでした。
そんな彼が頭角を現したのは、1793年のトゥーロン攻囲戦です。イギリスやスペインの連合軍に対し砲兵隊長として指揮をとり、見事フランスを勝利に導きます。この勝利により国民公会の議員の推薦を受け、24歳にして旅団陸将にまで昇進するのでした。
その後の躍進は止まらず、イタリア方面でのオーストリア軍への連戦連勝や、エジプト遠征での勝利から国民からの指示を集めます。1798年には本国に戻ると総裁政府に対してクーデターを起こし、統領政府を樹立。自らを第一統領としました。
ナポレオンのアルプス越え
エジプト遠征後に、オーストリアからイタリア北部を奪還されていたことから、ナポレオンは同地域の再奪還を試みます。
ナポレオンはスイスとイタリアの国境に位置するグラン・サン・ベルナール峠を経由し、アルプスを越えて進軍しました。結果、マレンゴの戦いでオーストリアに決定的な勝利を収めます。
▲サン=ベルナール峠を越えるボナパルト
この時のアルプス越えの姿を描いたのが、かの有名な絵画『サン=ベルナール峠を越えるボナパルト』です。
イタリアにおけるフランス軍の勝利はスペイン王との和睦につながり、外交関係樹立のためにフランスからスペインに贈られたものでした。
皇帝ナポレオンの誕生
統領時代にはオーストリアへの勝利だけでなく、内政面での諸改革を行ったナポレオンは、国内では揺らぐことのない地位と名声を得ていました。
▲戴冠式の衣装をまとったナポレオン
1804年には、国会の決議と国民投票を経て、フランス史上初めて世襲制の皇帝の地位につきます。英雄が独裁者になるというこの出来事は、国内外で大きな衝撃を与えました。
ナポレオン戦争
1805年には、イギリスとのトラファルガーの海戦でネルソンに完敗するも、続くウルムの戦役でオーストリアを破りウィーンを占領。続くアウステルリッツの戦い・イエナの戦いなどでオーストリア・ロシア・プロイセンを破り、順調に版図を拡大します。
最終的にイギリス・スウェーデンを除くヨーロッパ全土を制圧し、ナポレオンは絶頂期を迎えました。
しかし、ロシア侵攻の失敗を機に、各国が反ナポレオンの動きを取り始め、ついにはパリが陥落。この時、ナポレオンは自殺企図するまでに追い詰められたといいます。
その後ナポレオンは皇帝を退位させられた上、コルシカとイタリア本土の間にあるエルバ島に追放されました。
百日天下とセントヘレナ島への流罪
▲ナポレオンの帰還
1815年にはナポレオンはエルバ島を脱出し、再度皇帝の地位に返り咲きます。しかし、同年イギリス・プロイセン連合軍にワーテルローの戦いで完敗。南太平洋のセントヘレナ島に流罪になり、1821年に同島にて死去しました。
ナポレオンはセントヘレナ島にて、側近の口述筆記により多くの回想録を残しました。これらが彼の人生観や歴史観・世界観を網羅した記録となり、今なおナポレオンの偉大さを語り継がれることに寄与しています。
ナポレオン1世 20フラン金貨が作られた当時の時代背景
ナポレオン1世 20フラン金貨はどのような時代に生み出されたのでしょうか?ここからは、ナポレオン1世 20フラン金貨の起源に迫っていきましょう。
マレンゴの戦い(1800年)の勝利から生み出された金貨
▲マレンゴの戦い
1799年に第一統領に就任したナポレオン・ボナパルト。
1800年、イタリア北部でのマレンゴの戦いで辛くもオーストリアに勝利したナポレオンは、その勝利を大勝利と誇張し、その翌年の1801年に記念通貨を発行します。
それが、ナポレオン金貨の元祖と言われる20フラン金貨です。
ナポレオン戦争を機にヨーロッパ各国で作られる
ナポレオン1世の金貨は、ナポレオン戦争が始まったとされる1803年以降、フランスのパリだけでなく、ヨーロッパ各国で作られました。
具体的には、イタリアのジェノバ・ローマ、スイスのジュネーブ、オランダのユトレヒトなどです。
特にオランダのユトレヒトで製造された金貨は非常に人気が高く、希少価値が高くなっています。
ナポレオン1世の失脚を機に回収・改鋳されたナポレオン金貨
ナポレオン1世の退位を機に、フランスは復古王政に移ります。ナポレオン1世の20フラン金貨は、ナポレオンの失脚後に政権を握ったルイ18世やルイ・フィリップ1世の金貨に改鋳されることになりました。
しかし、その発行数・流通量の多さや戦争や経済混乱から財産を守る目的から、後の世代にも引き継がれていき、200年後の今でも残されています。
ナポレオン1世金貨の種類
ここでは、ナポレオン1世金貨の種類をご紹介します。ナポレオン1世はその治世の中でさまざまな種類の金貨を発行しました。それぞれ当時の時代背景を反映したものになっていますので、ぜひ興味あるものを探してみてください。
ナポレオン1世 20フラン金貨 1803年〜1804年
ナポレオンが国民投票によってフランス初めての皇帝になった直後に発行されたコインです。表面には「NAPOLEON EMPEREUR」(皇帝ナポレオン)の銘文が刻まれています。
一方、裏面には「REPUBLIQUE FRANCAISE」(フランス共和国)と刻まれており、ナポレオン1世が皇帝に即位した当初は「フランス帝国」と名付けられていなかったことがわかります。
ナポレオン1世 20フラン金貨 1807年〜1811年
ナポレオンの側近のラス・カーズが記した『セント・ヘレナ覚書』にある、ナポレオン金貨と農夫のエピソードで有名な金貨です。
この金貨は、ナポレオン1世がフランスでの失脚後に流刑にされたセントヘレナ島で、畑で農夫から奪った鋤で真っ直ぐな畝を立て、農夫に渡したとされます。
ナポレオン1世は自身の20フラン金貨を大変気に入っており、幽閉の地であるセントヘレナ島にも多くの金貨を持ち運んでいたと言われています。
ナポレオン1世 40フラン金貨 1807年〜1813年
ナポレオン1世が帝位の地位にあった絶頂期に発行された40フラン金貨です。
左側を向いたナポレオン1世が描かれた金貨で、月桂冠を被っているものと被っていないものが存在します。これを「有冠」と「無冠」といいます。
裏面には、アルファベット1文字で造幣所の記載があります。「A:パリ」だけでなく、「U:トリノ」や「M:トゥールーズ」など、当時のナポレオンが拡大した勢力図が伝わってくる点も魅力の1つです。
ナポレオン1世 20フラン金貨の価格推移
ナポレオン1世 20フラン金貨は、フランス以外でも製造され、多く流通していたことから、価格に変動が少なく、現在でも比較的安価で購入できます。
コインの状態を選ばなければ、数万円から購入できるものもあるため、アンティークコイン初心者におすすめです。
最初の1枚や2枚目として、誰もが知る偉人のコインを手にしてみたい方は、ナポレオン1世 20フラン金貨を選んでみてはいかがでしょうか?
コインの価格推移
ナポレオン1世の20フラン金貨には大きく「無冠」と「有冠」の2タイプがあります。「無冠」の中にはいくつかバリエーションがあります。発行年も長く、発行枚数も多い金貨です。
「有冠」には「百日天下(Hundred Days)」と呼ばれるものがあります。これはナポレオン1世が幽閉されていたエルバ島を脱出し、1815年3月20日に帝位を取り戻し、同年6月22日にワーテルローで敗戦するまでのおよそ100日間のことをいいます。ナポレオンが支配していた最後の年である1815年は、歴史的背景を感じるコインとして非常に人気があります。
発行年を追いながら、価格推移をみていきましょう。
MS63 無冠
1802年(11)〜1803年(12)に発行されたタイプ。
2016年9月9日に$8,518で落札。
MS63+ 無冠
2018年に1月7日に$4,800で落札。
MS64 無冠
2019年9月5日に$7,200で落札。
MS64 有冠
2022年11月3日に$1,740で落札。
発行枚数が多いコインなので、ハイグレードでも手に入れやすい金額のものもあります。
MS65 "Hundred Days" 有冠
百日天下(Hundred Days)の年のコイン。
2019年9月5日に$9,600で落札。
その他のナポレオン1世のアンティークコイン
20フラン金貨の他に40フラン金貨が発行されています。「無冠」と「有冠」があります。
直径は26.0 mm、重量は12.9 gです。
40フラン金貨 MS62 無冠
2022年5月6日に$5,040で落札。
40フラン金貨 MS64 有冠
2021年1月22日に$6,600で落札。
コイン初心者にもおすすめな偉人の人気金貨
ナポレオン1世 20フラン金貨は、当時の皇帝でありヨーロッパ世界に大きな影響を与えた偉人の迫力をそのままに伝えています。
ナポレオン1世 20フラン金貨の特徴は、流通していた数が多かったため、比較的現在でも入手がしやすい点にもあります。
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