ナポレオン1世の百日天下20フラン金貨とは?皇帝の復活を象徴する希少コインの魅力について
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▲エルバ島からの帰還
本記事では、ナポレオン1世が再びフランス皇帝として君臨した「百日天下」のわずか100日間に発行された希少な20フラン金貨に焦点を当てます。
この金貨は、ナポレオンの劇的な復活劇を象徴する貴重なコインとして、コレクターから高く評価されています。
数あるナポレオンコインの中でも特に珍しい存在であり、その背景に秘められた歴史的な物語と魅力について今回は深く掘り下げてご紹介します。
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▲1815年 ナポレオン1世の肖像
ナポレオン1世がフランス皇帝として退位した後、エルバ島に追放されながらも、再び皇帝の座を取り戻した短期間「百日天下」。
この激動の時期に発行された1815年刻印の20フラン金貨は、ナポレオンのカリスマ性と驚異的な行動力を象徴する貴重なコインです。
わずか100日という期間に発行されたこの金貨は、ナポレオン金貨の中でも特に希少であり、コレクターからも高い人気を誇ります。
劇的な復活劇とその歴史的影響力を映し出すこのコインには、深い歴史的背景と共に、コレクションの中でもひときわ輝く魅力が秘められているのです。
本記事では、この希少な金貨にまつわる歴史的背景とその魅力を紐解いていきます。
フランス ナポレオン1世 百日天下 20フラン金貨
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基本データ
コイン名 | フランス ナポレオン1世 100日天下 20フラン金貨 |
---|---|
通称 | ナポレオン 100日天下 20フラン金貨 |
発行年 | 1815年 |
国 | フランス |
額面 | 20フラン |
種類 | 金貨 |
素材 | 金 |
発行枚数 | 463,124枚 |
品位 | Gold (.900) |
直径 | 21.0mm |
重さ | 6.45161g |
統治者 | ナポレオン1世 |
デザイナー | Jean-Pierre Droz, Pierre-Joseph Tiolier |
カタログ番号 | Franc 2014# 516A, KM# 705 |
表面のデザイン | 月桂冠を冠ったナポレオン1世の左向きの頭部、首の端に彫刻師のサイン「DROZ F」、下に筆記体「Tr.」 |
表面の刻印 | NAPOLEON EMPEREUR.(皇帝ナポレオン) |
裏面のデザイン | 2本の月桂樹の枝で作られた輪の中に額面、周囲にレジェンド |
裏面の刻印 | EMPIRE FRANÇAIS. 20 FRANCS. 1815. A |
エッジのタイプ | レタリングエッジ |
エッジの刻印 | DIEU PROTEGE LA FRANCE (神はフランスを守る) |
ナポレオン1世の百日天下20フラン金貨とは?
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▲セントヘレナ島に移動するナポレオン『プリマス湾のベレロフォン上のナポレオン・ボナパルト』
こちらでは、コレクターの羨望を集めてやまない百日天下20フラン金貨の魅力を中心にご紹介します。
ナポレオン1世 百日天下 20フラン金貨の特徴
ナポレオン1世百日天下20フラン金貨の重量は約6.45g、直径約21mmです。金の品位は約90%になります。
表面には、人気の高い月桂冠を冠した皇帝ナポレオン1世の横向きの肖像。そして銘文に「NAPOLEON EMPEREUR(皇帝ナポレオン)」と刻まれています。
裏面は、月桂樹のリースの中に20フラン。銘文には「EMPIRE(帝国)」、「FRANÇAIS(フランスの)」という意味があり、中央には百日天下期間の発行を証明する年号1815年の文字。
デザイナーはナポレオン1世時代のコインを数多く手掛け、繊細な肖像が魅力のジャン=ピエール・ドロー。フランス第一帝政期においてコインやメダルのデザインに卓越した技術を持つ人物として知られています。
1815年の20フラン金貨は1815年4月1日から7月4日の間だけ、発行されました。急な復活劇とわずか100日間の統治ということもあり、新しいデザインでは発行されず前の期間に発行されていた月桂冠を被った肖像のコインのデザインが採用されました。激動の歴史の事実を物語っています。
「百日天下」とは?ナポレオン1世が再び皇帝に返り咲いた歴史的瞬間
▲1815年 ワーテルローの戦い Battle of Waterloo 1815
ナポレオン1世の百日天下とは、1815年3月から7月の約100日間、ナポレオン1世が再びフランス皇帝に復位した短期間の統治を指します。
1814年、ナポレオンはヨーロッパ諸国の連合軍に敗北し、皇帝を退位して地中海のエルバ島に追放されました。しかし、彼が追放された後のウィーン会議では、戦勝国間の利害対立によって進展が遅れ、フランス国内では復古したブルボン朝ルイ18世の政治が国民の不満を招いていました。
この状況を見たナポレオンは、1815年3月にエルバ島を脱出し、南仏に上陸します。進軍中に討伐軍を次々と味方に引き込み、圧倒的な支持を受けてパリに到達。再び皇帝の座に返り咲いたのです。
ナポレオンは国内改革や軍備の再建に取り組みましたが、イギリス、プロイセンなどが再結集して対仏大同盟を結成。6月18日のワーテルローの戦いで決定的な敗北を喫し、再び退位を余儀なくされました
その後、ナポレオンはセントヘレナ島に流刑となり生涯を閉じました。約3ヶ月の「百日天下」は、ナポレオンの壮大な復活劇と最後の挑戦として今でも歴史に刻まれています。
希少な百日天下20フラン金貨の発行背景と歴史的価値
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▲イ・イヴ・クヴェルド作「セントヘレナ島に到着するボナパルト Arrivée de Bonaparte à l'île Sainte-Hélène - Louis-Yves Queverdo CROP」
ナポレオン1世のコインは、フランス以外のヨーロッパ諸国でも数多く流通し数が多かったため、現在でも比較的コレクションしやすいコインと言われています。その中でも1815年に発行されたコインは、発行数の少なさと歴史的価値の高さからプレミア価値がつき、保存状態によってコレクターや歴史愛好家の羨望を集めています。
短い期間に発行された金貨の発行数は、一番少ないミントマーク W(リール造幣局)が9,369枚、最多のミントマークA(パリ造幣局)で発行枚数436,000枚となっています。
ナポレオン1世 百日天下 20フラン金貨が作られた当時の時代背景
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▲バーム作「エルバ島を離れるナポレオン1世」
こちらでは、ナポレオン1世が追放されたエルバ島から脱出し、ワーテルローの戦いに破れ再び追放されるまでの100日間を詳しく掘り下げていきましょう。
ナポレオンの台頭と「第六次大同盟」の形成
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▲ブッショ作「ナポレオン、1814年4月11日、フォンテーヌブローで退位に署名」
ナポレオン・ボナパルトは、フランス革命の嵐の中で一躍その名を轟かせ、皇帝の座にまで上り詰めました。
彼は「自由・平等・博愛」という革命の理想を掲げ、貴族制に対抗する姿勢を強く打ち出したのです。革命後の混乱を収拾し、フランスを強大な軍事力を有する帝国へと変貌させた彼は、ヨーロッパ全土に影響を与え、次第にその勢力圏を広げていきました。
しかし、その膨張する力に対し、イギリス・オーストリア・ロシア・プロイセンなどの周辺諸国はナポレオンの野望を恐れ、結束を固めていきます。これが「第6次対仏大同盟」の結成へと繋がり、連合軍はナポレオンに立ち向かいました。
特に1812年のロシア遠征では、ナポレオンは過酷な戦況と兵力不足に直面し、大敗を喫します。この敗北が引き金となり、ナポレオンは急速にその勢力を縮小させ、最終的には1814年にパリを落とされ、ついに皇帝の座を失うこととなりました。
彼の運命はここで終わるかに見えましたが、まだ「復活劇」が待ち受けていたのです。
エルバ島脱出とナポレオンの驚異的な復活劇
ナポレオンはフランスを失った後、地中海の小さな島、エルバ島に追放され、わずか1000人の兵士と数隻の船を与えられ島の統治者として暮らしました。しかし島での生活は、かつての皇帝にとって決して満足のいくものではありませんでした。
しばらくして、ウィーン会議が戦勝国間の利害対立により停滞し、フランス国内ではブルボン朝の復古王政に対する不満が募っていたことを知ったナポレオンは、再びフランス皇帝の座を取り戻すことを決意します。
1815年2月26日、監視の目をかいくぐり、ナポレオンはエルバ島を脱出。
数隻の船と数百人の兵士を率いて、航海を開始しました。悪天候を利用し、連合軍の監視を回避しながら約4日間の航海を経て、3月1日に南フランスのジュアン湾に上陸します。
上陸後、ナポレオンは「兵士諸君!諸君らの皇帝はここにいる!」と呼びかけ、再びフランスを掌握することを宣言します。彼の姿を目にした兵士たちは「皇帝が戻った!」と歓声を上げ、次々と彼に加わります。さらに、討伐に向かったフランス軍の部隊もナポレオンの元に集結し、彼の復活を祝いました。
この驚異的な速度で進軍したナポレオンは、わずか20日余りでパリに到達し、ブルボン朝のルイ18世は王座を放棄して逃亡します。この復活劇により彼のカリスマ性と政治的手腕は、いかに強力であったかを象徴する出来事でした。
ワーテルローの敗北とナポレオンの最期
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▲スティーブン作「ナポレオンの死 Mort de Napoleon」
ナポレオンの再びの登場は、ヨーロッパにとって大きな脅威となり、これに対抗するため、イギリス、オーストリア、ロシア、プロイセンを中心とした「第7次対仏大同盟」が結成されました。
連合軍は70万人の兵力を動員し、ナポレオンはわずか25万人のフランス軍を率いてこれに立ち向かいました。最終決戦の場は、ベルギーのワーテルローの地に定められました。
1815年6月18日、ワーテルローの戦いが始まりました。ナポレオンは敵軍を分断して個別撃破を狙いましたが、プロイセン軍の増援が戦局を大きく変え、形勢は一転。フランス軍は連合軍の圧倒的な攻勢に押され、ついには敗北を喫します。
この敗北により、ナポレオンは再び退位を余儀なくされ、今度はイギリスに降伏します。
イギリス政府は彼を再び復権させないため、大西洋南部の孤島、セントヘレナ島への流刑を決定します。セントヘレナ島は、アフリカ大陸から約1,850キロメートル離れた孤立した場所で、逃亡は不可能とされていました。
島での生活は過酷で、不満を抱きつつも、ナポレオンは回想録を口述し、後世に自らの名を刻むべく記録を残しました。
1821年5月5日、ナポレオンはその生涯を終えました。死因については胃がんとする説が有力ですが、その死は彼を伝説に変え、壮大な人生の最期を飾るものとなりました。
ナポレオン1世 百日天下 20フラン金貨の種類・その他のコイン
百日天下 ナポレオン1世 2フラン銀貨と5フラン銀貨
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▲5フラン銀貨
百日天下コインには、20フラン金貨に加えて、2フラン銀貨と5フラン銀貨も発行されました。これらのコインは、ナポレオン1世がエルバ島から脱出し、再び皇帝としてフランスに戻った1815年の「百日天下」期間に発行されたものです。
表面には月桂冠を冠したナポレオンの右向きの肖像が描かれ、「NAPOLEON EMPEREUR(皇帝ナポレオン)」という銘文が刻まれています。裏面には月桂樹のリースに囲まれた額面と、「EMPIRE(帝国)」「FRANÇAIS(フランスの)」の銘文と共に、年号1815年が記されています。
2フラン銀貨は直径約27mm、重量10gで、百日天下の証として1815年の年号が刻まれています。また、5フラン銀貨は37mm、重量25gで、2フラン銀貨と同じデザインですがサイズが大きく、状態が良いものは繊細なレリーフを楽しむことができます。
王政復古ルイ18世の20フラン金貨「Louis XVIII Buste Habillé(着衣のルイ18世)」
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こちらのコインはナポレオン失脚期間のルイ18世の統治期間、1814年5月3日から1815年3月20日までの第一次王政復古の間に作られました。
表面には「LOUIS XVIII(ルイ18世)」と「ROI DE FRANCE(フランスの王)」の刻印があり、ルイ18世の着衣姿の肖像が描かれています。裏面にはブルボン王家の紋章が刻まれています。
1814年から製造されたこの金貨は、イギリスのロンドンにあるロイヤルミントによって造られ、対仏連合軍が進駐するフランス国内に向けて輸送されました
こちらの金貨もまた、ナポレオンの百日天下を物語るコインのひとつと言えるでしょう。
ナポレオン1世 20フラン金貨 1807年〜1811年
コインにまつわるいくつかの逸話の中でも、20フラン金貨とナポレオンの話は特に有名です。
ナポレオンは自身の肖像が施してある20フラン金貨を大変気に入っていたと言われ、ナポレオンに付き添ってセントヘレナ島に渡った側近ラス・カーズの「セント=ヘレナ覚書」の中にも20フラン金貨についての多くの逸話が記されています。
例えば、流刑の際にも多くの金貨を島に持ち込んだり、島の民に気軽にこの20フラン金貨を渡している様子が書かれていたりします。そして自分の死後は20フラン金貨を遺体の周りに並べるように指示をし、実際に並べられたそうです。
フランス ナポレオン1世 百日天下 20フラン金貨の価格推移
発行枚数が多いため、比較的手に入れやすいコインの一つです。
そのため、ハイグレードになるとオークションでも高値になることがあります。
XF45
2025年1月6日に$1,140で落札。
MS63
2024年11月2日に$6,000で落札。
MS66
2024年1月8日に$24,000で落札。
ナポレオンの劇的な復活を物語る象徴的な20フラン金貨
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▲ ダヴィッド『サン=ベルナール峠を越えるボナパルト』
ナポレオン1世が短期間の復権を果たした「百日天下」の間に発行された20フラン金貨は、彼の劇的な復活を象徴する重要な歴史的な証拠といえるのではないでしょうか。
ナポレオンのコインは広く流通しましたが、1815年発行のこの金貨は特に貴重とされています。その希少性と歴史的背景から特別な価値があり、コレクターや歴史愛好家の間で高い評価を受けています。
歴史上類を見ない劇的な立身出世と失脚、それでも諦めず希望を抱き幽閉からの脱出をし、再び皇帝として立ち上がったその勇気と野心、そして百日間の復権に込められた希望と決意――。
現在の私たちにもその壮大な歴史を鮮明に伝えています。
この一枚のコインに込められた物語は、ナポレオンの波乱に満ちた人生を鮮やかに物語る証と言えるでしょう。
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