イタリア人ながら、イギリス王立造幣局で活躍した彫刻師ベネデット・ピストルッチ
ロイヤルミントのレジェンド彫刻師であるウィリアム・ワイオンと同時期に、彫刻師を勤めた、ベネデット・ピストルッチ。
「ウナとライオン」を手がけたウィリアム・ワイオンは、父も主任原版彫刻師でエリート一家。その一方で、「セントジョージの竜退治」(聖ゲオルギウスの竜退治)を手がけたベネデット・ピストルッチは、ローマ出身のイタリア人。
イギリスの伝統を引き継ぎながら、イタリアの新しい感性をロイヤルミントに吹き込んだベネデット・ピストルッチをご紹介します!
レジェンドデザイナー"ウィリアム・ワイオン"とライバル関係に
ベネデット・ピストルッチは1784年に高等裁判所の裁判官の子としてローマ生まれたイタリア人。 大型巻貝に彫刻するカメオ彫刻師となり一躍有名となりました。同僚がピストルッチの腹を刺したほど彼の才能に嫉妬したと言われています。
パリで芸術が広く評価されると知り、パリに拠点を移した矢先、ナポレオンがワーテルローの戦いで破れ、 1815年に英国に渡りました。
その後ロイヤルミントから招聘をうけ、ソブリン通貨の新しい硬貨モデルに挑む大きなプロジェクトを担いました。 当時の英国君主ジョージ3世、ジョージ4世の記念メダルを中心にデザインしていきました。
今でも世界で最も美しいとされるアンティークコイン「ウナとライオン」をデザインたウィリアム・ワイオンと同時期に活躍し、 ウィリアム・ワイオンが主任原版彫刻を授与された一方で、主任彫刻師を約束されながら、その地位をもらえなかったピストルッチ。
通貨デザインはワイオンに任され、ピストルッチは記念コインを中心にデザインすることに。 才能がありながらもウィリアム3世に君主が変わり英国国籍でなければ主任彫刻師になれなくなってしまったことが、彼を生涯苦しませることになりました。
200年を超えて愛される「セントジョージの竜退治」を手がけるも、クビになりかける
ジョージ3世、ジョージ4世治世下で、「セントジョージの竜退治」と呼ばれるソブリン金貨の代表的なレリーフを手がけた。 この「セントジョージの竜退治」は200年を超えた今でも、ソブリン金貨に採用されることもあるほど、長年英国にて愛されている。 セントジョージの竜退治が描かれている面に彫刻師イニシャル「B.P」(Benedetto Pistrucci,ベネデット・ピストルッチ)が描かれています。
しかし、1823年にピストルッチの理解者であったロイヤルミントの造幣局長ポールが辞任し、さらに他の製作者のデザインをコピーした依頼を断るなど、 ピストルッチは、ますますロイヤルミントでの居場所がなくなり、ほとんどクビ状態でした。
実際仕事が減ったピストルッチは、ロイヤルミントの仕事以外でも王族や貴族のメダル製作をしていたようです。 代表作としては、ウィリアム王の相続人である甥やヴィクトリア王女のカメオ、30年かけて製作したワーテルローの戦いを記念メダル(Waterloo Medal)があります。
不遇のイタリア人ながら、ロイヤルミントに大きく貢献
多くの代表作を残しながら外国籍で出世を阻められた彼でしたが、ロイヤルミントの改革に関する王立委員会の委員にも任命され、その発展に大いに貢献しました。 最期の土地も故郷であるローマではなく、ロンドン郊外のヴァージニアウォーター(Virginia Water)に埋葬されることを選びました。
外国籍で多くの冷遇を受けながら、王族や貴族に愛され、そして200年を超えて採用され続ける彫刻師ピストルッチのコイン「B.P」をぜひ探してみてください。