銅の板がお金代わり!?30年戦争とスウェーデンのプレートマネーとは

▲2025年3月のミュンヘンコインショーにて(れーこ)

1644年に最初に発行され、1776年までの間長く流通していたスウェーデンの「プレートマネー(Plate Money)」。大きな四角い板が貨幣として使われていた歴史がありました。ヨーロッパの歴史を語る上で重要な宗教戦争「30年戦争」を背景とした発行の歴史を見てみましょう。

スウェーデン プレートマネー

基本データ

コイン名 スウェーデン プレートマネー
通称 プレートマネー
発行年 1644-1768年頃
スウェーデン
額面 1/2・1・2・4Daler など
種類 銅貨
素材
発行枚数 不明
品位 Copper
直径 -
重さ 額面による
統治者 Kristina, Karl X Gustav, Ulrika Eleonora, Fredrik I など
デザイナー -
カタログ番号 SM# 100, KM# PM1 など
表面のデザイン 額面、君主名、年号などのスタンプ
表面の刻印 額面、君主名、年号など
裏面のデザイン -
裏面の刻印 -
エッジのタイプ -
エッジの刻印 -

プレートマネーが生まれた時代背景

プレートマネーの発行は、当時のスウェーデンが置かれた状況とその財政事情と密接に関わっています。

17世紀、スウェーデンはヨーロッパの強国へと成長する過程にあり、1618年〜1648年の30年にも及ぶ長い戦争、その名も「30年戦争」に参戦していました。

カトリック対プロテスタントの宗教的対立が引き金でしたが、各国の政治的思惑や領土争いが複雑に絡み合ったヨーロッパ全体を巻き込む戦争へと発展しました。

 

30年戦争とは

神聖ローマ帝国内で始まったプロテスタント対カトリックの宗教対立が発端です。

1619年にフェルディナンド2世が神聖ローマ皇帝に選出されました。カトリック教徒であったフェルディナンド2世は、自分の領地に宗教的統一を押し付けようとしました。これに呼応して、北ドイツのプロテスタント諸国は自分たちの利益を守るためにプロテスタント連合を結成しました。

1618年にボヘミアでプロテスタントがカトリックの支配に反発して蜂起した「プラハ窓外投擲事件」が直接的なきっかけです。

▲王の使者である国王顧問官2名と書記の3名が城の三階の窓から地面に投げ落とされた事件「第二次プラハ窓外放出事件」の様子。

宗教戦争としての側面

カトリック勢力としてハプスブルク家が支配する神聖ローマ帝国とスペインが中心となり、プロテスタントを抑圧しようとしました。もう一方のプロテスタント勢力は、ドイツのプロテスタント諸侯やスウェーデン・デンマークなどが中心となり、自らの信仰の自由を守ろうと戦いました。

1555年の「アウクスブルクの和議」によって、プロテスタント(ルター派)の信仰が認められましたが、これは諸侯にのみ適用され、カルヴァン派は対象外でした。この和議の後も、カトリックとプロテスタントの対立は解消されず、特に神聖ローマ帝国では緊張が高まっていました。

▲フェルディナンド1世の署名がある「アウグスブルグの和議」の書面

政治戦争としての側面

30年戦争は単なる宗教戦争にとどまらず、ヨーロッパ各国の覇権争いの場となりました。

プロテスタントの保護を名目に、1625年にデンマーク王クリスチャン4世が参戦しました。しかし敗北し、デンマークは撤退します。

▲デンマーク王クリスチャン4世。

その後、1630年には「北方の獅子」と呼ばれたスウェーデン王グスタフ2世アドルフがバルト海沿岸での覇権を確立するために参戦しました。彼はプロテスタント側の指導者として活躍しましたが、リュッツェンの戦いで戦死しました。

▲「北方の獅子」と呼ばれたスウェーデン王グスタフ2世アドルフ

カトリック国であるフランスは、同じカトリックであるハプスブルク家の力がヨーロッパで強大になることを恐れ、プロテスタント側を支援して戦争に介入しました。これにより戦争は宗教的な対立から、国家間の覇権争いへと性質を変えました。

また、ドイツの諸侯も神聖ローマ帝国の皇帝から独立した権力を得ることを目指していました。

宗教的な対立が根底にありましたが、戦争が進むにつれてハプスブルク家の覇権阻止と領土拡大と権力争いという政治的な要因が絡み合います。

30年に及ぶ戦争の終結

1648年、「ウェストファリア条約」が締結され、三十年戦争は終結しました。

この条約によって、カルヴァン派の信仰が公認されます。1555年のアウクスブルクの和議の内容が拡張され、神聖ローマ帝国内の宗派の対立が事実上決着しました。

その結果、独立した主権を持つ国民国家「主権国家」の概念が確立され、主権国家が誕生し、諸侯の独立性が強化されました。これにより神聖ローマ帝国は単一の国家から多くの主権国家が寄り集まった「国家の集合体」へ移行して事実上の解体へ向かうこととなり、皇帝の権威は失墜します。

そしてフランスが台頭してきました。フランスはアルザス地方などを獲得し、ヨーロッパの覇権を握るきっかけを掴みます。

同じく参戦していたスウェーデンがバルト海の制海権を握り、大国としての地位を確立しました。

▲ウェストファリア条約締結の様子

三十年戦争は、ヨーロッパの政治と宗教地図を大きく変えただけでなく、近代国家の秩序を形成するうえで非常に重要な転換点となりました。

長期にわたる戦争はドイツの国土を荒廃させ、飢餓や疫病が蔓延しました。多くの兵士や民間人が命を落とし、人口が大幅に減少しました。ドイツの多くの地域は甚大な被害を受け、人口の3分の1が失われたとも言われています。800万人以上の死者を出し、人類史上最も破壊的な紛争の一つといわれています。

この戦争の終結までに、13の戦争と10の平和条約が締結されました。

当時「ハンガリー熱」と言われていたチフスやペストという疫病の流行も重なったことも多数の死者を出した理由のひとつと言われています。1620年に1万4000人以上の帝国軍兵士の命を奪いました。ニュルンベルクとブレダでは1日に100人を超える死者が出ました。この戦争中、ペストの大流行が何度も発生し、1636年にはロレーヌで「スウェーデン・ペスト」と呼ばれる流行がピークを迎えました。

この頃発行されたのが、平和を願ったデザインと言われているラムダカット金貨です。

 

大きな銅の板が貨幣として採用された背景とは

30年戦争により、スウェーデンは国内の金や銀を使い果たします。国の財政は逼迫し、貴金属による貨幣の製造が困難になりました。

ではなぜ、大きな銅の貨幣が発行されたのでしょうか?

スウェーデン国内には当時ヨーロッパ最大の銅山がありました。そのため、金や銀の代わりに貨幣の金属価値を担保できる銅を使って貨幣を発行することが可能だったのです。

豊富な銅資源

プレートマネーは、1644年にスウェーデンで発行が始まりました。

スウェーデンには豊富な銅の産地がありました。特にファールンにある大きな銅山は、当時のヨーロッパにおける主要な銅の供給源でした。

スウェーデンはファールンの銅山から大量の銅を産出し、ヨーロッパ市場で銅の価格をコントロールするほどの力を持っていました。全世界の銅の生産量の3分の2を占め、「王国の運命は大銅山と共にある」と謳われました。

1991年まで稼働していたこの銅山は、2001年にユネスコの世界遺産に指定されています。

▲ファールンの銅採掘場跡

国王クリスティーナは不足する貴金属の代わりに、国内で豊富に産出される銅を素材とした貨幣を発行することを決めました。これが、世界でも類を見ない巨大な銅貨「プレートマネー」の始まりです。

▲スウェーデン女王クリスティーナ

プレートマネーは銅の素材価値で貨幣価値を裏付ける銅本位制に基づいて発行されていました。そのため、額面が大きくなるほどプレート自体のサイズと重さも増していきました。

例えば、初期に発行された10ダーレル銅貨は重さが約20キログラムにも達し、持ち運びには非常に不便でした。

のちにこの不便さを解消するため、1661年にストックホルム銀行は、この重い銅貨の預かり証券として、ヨーロッパで最初の紙幣を発行しました。

 

プレートマネーの特徴と仕様

プレートマネーは、その名の通り長方形の厚い銅板の形をしています。額面が大きくなるほど、銅板も巨大で重くなります。

▲8ダーレル銅貨、重さは14.5kgもあります。発行枚数は不明ですが、50枚が難破船から見つかりました。

額面と重さ

額面は「ダーレル(Daler)」という単位で、1/2・1・2・4ダーレルなどが多く流通しました。その素材の価値で貨幣の価値が決められていました。

中央と四隅に、発行時に統治していた王の紋章や発行年、額面などが刻印されていました。

 

スウェーデン プレートマネーの価格推移

現在でもオークションなどで比較的流通量が多いフレデリク1世の時代のものをご紹介します。大きさも状態もさまざまですが、豊富な銅資源があったことを思わせる豊かなデザインが印象的です。PCGSやNGCでは現在鑑定を行なっておらず、未鑑定のものが取引されています。

1743年 1/2 Daler XF

大きさ:86x93mm

2023年11月2日に$720で落札。

1747年 Daler 未鑑定 VF

刻印がしっかりと残っているものは高額で取引されています。

大きさ:132x126mm

2024年7月1日に$6,600で落札。

1747年 Daler 未鑑定 VF

大きさ:135x130mm

2025年1月22日に$1,800で落札。

 

スウェーデンの歴史と豊かな銅資源を物語るプレートマネー

「最後で最大の宗教戦争」ともいわれたヨーロッパ最大の戦争とそれにまつわるスウェーデンのプレートマネーのご紹介でした。

30年戦争の時代のコインは参戦した国の金貨などが有名ですが、今回ご紹介したプレートマネーのようなものもありました。悲惨な歴史の裏側で長く流通した大きな銅貨は、豊かなスウェーデンの銅資源を物語る1枚です。

 

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