ローマ帝国最後のコイン「スタウラトン銀貨(スラブラトン銀貨)」とは?
By マイケル・シャッターリー(Michael Shutterly)- 2020年11月16日
ローマ帝国は、ローマ元老院がオクタヴィアヌスにアウグストゥス(尊厳者の意)とプリンケプス(皇帝の意)の称号を授けた紀元前27年1月16日に始まり、その後、帝国の首都コンスタンティノープルが、オスマントルコに攻められ陥落した西暦1453年5月29日に終焉を迎えました。
最後のローマ皇帝であるコンスタンティノス11世パリオロゴス(在位1449年~1453年)は、オスマン帝国軍が城壁を突破した後、乱戦の中で戦死しました。
歴史的情報から、コンスタンティノス11世が治世中にコインを造幣したことは明らかでしたが、そのコインが実際に知られるようになったのは、コンスタンティノスの死後5世紀以上経った1974年のことでした。
この年、パレオロゴス王朝のコインの第一人者であるサイモン・ベンドールは、コンスタンティノス11世の半スタウラトン銀貨2枚を判別する論文を発表しました。この2枚のうちの1枚は、前年に開催されたオークションに出品されており、そちらでは、コンスタンティノスの兄のヨハネス8世パレオロゴス(在位1421年~1448年)のコインであると誤って認識されていました。
1991年、ベンドールは、さらに90枚のコインをコンスタンティノス11世のものと判別しました。これらのコインは、1989年頃にイスタンブール(コンスタンティノープルの現代名)周辺で発掘された、「コンスタンティノス11世の埋蔵金」として知られるようになったものの一部でした。こちらの埋蔵金は、おそらく1453年5月下旬、コンスタンティノープル陥落の直前または直後に埋められたものと思われます。
最後のローマ皇帝のスタウラトン銀貨
コンスタンティノス11世パレオロゴス。 AR スタウラトン銀貨 (AR Stavraton)。表面: 後光を放つ正面向きのキリストの胸像、福音書を手に持つ、左側にIC (「イエス」の意)、右側にB (「王」の意)の銘。裏面: 正面向きのコンスタンティノスの冠をかぶった胸像、円の外側にKWNCTANTINOC ΔΕCΠΟΤΗC Ο ΠΑΛΕΟΛΟΓ (「コンスタンティノス君主、パレオロゴス」の意) の銘文、円の内側にはΘV ΧΑΡΙΤΗ ΒΑCΙΛΕΩC ΡΟΜΕΟΝ (「神の御恵みによるローマの王」の意) の銘文。6.78g、23mm、12h。
コンスタンティノス11世の埋蔵金には、コンスタンティノス11世のスタウラトン銀貨が35枚、兄のヨハネス8世のスタウラトン銀貨が24枚含まれていました。スタウラトン銀貨は、おそらく祖父のヨハネス5世(在位1341年~1391年)によって導入されたのではないかと考えられています。当初のスタウラトン貨の重さは約8.5gで、当時ヨーロッパで流通していた最大の銀貨の2倍の重さでした。コンスタンティノス11世とヨハネス8世のコインはやや軽めです。こちらは平均約6.5gでしたが、それでも同時代のヨーロッパのグロート銀貨やグロッソ銀貨と比べると、かなり重たいものでした。
コンスタンティノスのスタウラトン銀貨は、相当の枚数が発行されていたのかもしれません。コンスタンティノス11世の埋蔵金には、18種の異なる表面の極印(ダイ/Die)と、11種の裏面の極印を使用して打刻された35枚のスタウラトン銀貨が含まれていました。これらの極印のみがスタウラトン銀貨の製造に使用されていたのだとしても、コンスタンティノス独自のコインの発行枚数は、15万枚をはるかに超えたものだったと考えられます。
コンスタンティノスのスタウラトン銀貨は、いずれも見た目には粗雑な印象を与えますが、中にはほかのものに比べきれいに打刻されているものもあります。埋蔵金のコインについての知識を広めることに関与した貨幣学者のハーラン・バーク氏は、コンスタンティノスのスタウラトン銀貨の約半数は、おそらくは彼の戴冠を記念してその治世の初期に発行され、残りはコンスタンティノープル包囲戦の後期に造られたのではないかと言っています。
コンスタンティノスの35枚のスタウラトン銀貨のうち5枚には、ヨハネス8世の最後の銀貨に付けられているものと同じシンボル(CΠ)が銘記されています。ヨハネス8世の最初のスタウラトン銀貨には、父親のマヌエル2世(在位1391年~1425年)が最後に発行したコインに付けたシンボルと同じものが使われています。このことから、新皇帝が自分の最初のコインを発行する際は、先代の最後のコインにあるシンボルを使用するのが慣わしであったと思われます。
コンスタンティノープル包囲戦の終盤期に発行された考えられる1/8スタウラトン銀貨を見ると、急ぎ足で造ったような印象を受けますが、CΠのシンボルがあるコンスタンティノス11世のスタウラトン銀貨には、そのような外観がありません。このような異なる外観は、コンスタンティノスのスタウラトン貨の一部は治世の初期に造られ、残りは包囲中に造られたという説を裏付けていると言えます。
半スタウラトン銀貨
コンスタンティノス11世パレオロゴス。AR 半スタウラトン銀貨 (AR Half Stavraton)。表面: 後光を放つ正面向きのキリストの胸像、福音書を手に持つ、左側にIC (「イエス」の意) の銘。裏面: 正面向きのコンスタンティノスの胸像、周囲に1行のKωNCTA (「コンスタンティノス」の意) の銘文。3.15g。
コンスタンティノス11世の半スタウラトン銀貨は、彼が発行したコインの中で最も希少なものです。コンスタンティノス11世の埋蔵金に含まれていた半スタウラトン銀貨は、たった5枚でした。1974年に判別された2枚の半スタウラトン銀貨を含め、現在知られているポピュレーションはわずか7枚です。7枚のすべてには、共通の裏面極印が使用されています。したがって、確かではありませんが、半スタウラトン銀貨はごく少数しか発行されなかったと思われます。
コンスタンティノスの半スタウラトン銀貨の1枚には、ヨハネス8世の半スタウラトン銀貨と同じ表面極印が使用されています。また、コンスタンティノス11世のコインには、ヨハネス8世が最後に発行したコインにも見られるCΠのシンボルが使用されています(コンスタンティノス11世の埋蔵金には、ヨハネス8世の半スタウラトン貨が6枚含まれており、そのうち2枚に同じシンボルがあります)。このようなことから、半スタウラトン銀貨はスタウラトン銀貨と同様に、コンスタンティノスの治世の初期に造られた可能性が高いと考えられます。
こちらの画像にあるコンスタンティノスの半スタウラトン銀貨は、3度オークションに出品された記録があります。1990年4月に11,500スイスフラン(当時7,778.80ドルに相当、約112万8千円)で落札され、2000年12月には11,000ドル(当時約123万2千円)に上がり、2016年9月には14,000ポンド(当時18,214.20ドルに相当、約187万円)で落札されました。
1/8スタウラトン銀貨
コンスタンティノス11世パレオロゴス。AR 1/8スタウラトン銀貨 (AR Eighth Stavraton)。表面: 後光を放つ正面向きのキリストの胸像、フィールドに渡るI-X (「イエス・キリスト」の意)の銘。裏面: 王冠をかぶるコンスタンティノスの正面向き胸像、フィールドを渡るK-C (「コンスタンティノス」の意) の銘。13mm、0.61 g、11h。
コンスタンティノス11世の埋蔵金には、コンスタンティノス11世の1/8スタウラトン銀貨50枚、ヨハネス5世のもの2枚、マヌエル2世のもの12枚、ヨハネス8世のもの4枚が含まれていました。
1/8スタウラトン銀貨の裏面の銘は、使用されている文字、表示方法ともに変化に富んでいます。こちらに掲載されたコインのように、コンスタンティノスの1/8スタウラトン銀貨20枚には、フィールド全体に渡るKCの文字が銘記されています。ほかのものには、KTTN、KCTN、KITN、KN、またはKTの文字がさまざまな形でアレンジされています。一部のコインには、文字がまったく印刻されていません。おそらくは、デザインを中央に打刻しようとした際に生じた問題のためと思われます。一般的に、コインに表示される文字が多いほど人気が高く、価格も高くなります。
コンスタンティノスの1/8スタウラトン貨の銀の質は驚くほど高く、純度は約930です。その当時の記録によると、最後のコンスタンティノープル包囲戦の最中、兵士や労働者への支払い金としてのコインを製造するために、コンスタンティノスは教会から銀製の杯、祭壇飾り、またその他の宝物を「借りた」とのことです。これが、帝国がほぼ破産状態であったにもかかわらず、純度の高い銀を用いてコインを製造することができた理由です。
ローマ帝国最後のコイン収集
コンスタンティノス11世のコインは、3種の通貨単位にまたがって、記録にあるものはわずか92枚しかありませんので希少で高価です。
スタウラトン銀貨は、オークションでは通常18,000ドルから23,000ドル(現在約186万3千円から238万円)の範囲で落札され、コンスタンティノスのフルネームがあるものにはプレミアが付いています。
半スタウラトン銀貨が市場に出ることはごくまれで、オークションにかけられる際は高額落札となっています。
1/8スタウラトン銀貨の価格はもう少し手頃で、一部のコインは3,000ドル(約31万円)を少し下回る価格でオークションで落札されています。とは言え、中には約3万ドル(約310万円)で落札されたものもあります。スタウラトン銀貨と同様に、1/8スタウラトン貨の銘文が長くて読みやすいほど、高額となります。
ベンドール(1974年と1991年)とグリアーソン(1999年)は、ローマ帝国最後のコインに関する標準的な参考文献です。ランシマン(1965年)著の書籍には、コンスタンティノープルの包囲と陥落が詳しく記述されています。
* * *
参照
サイモン・ベンドール(Bendall, Simon)。「コンスタンティノス11世のコイン(原題:A Coin of Constantine XI)」、Numismatic Circular 82. 188-189(1974年)
–「コンスタンティノス11世の硬貨(原題:The Coinage of Constantine XI)」、Revue Numismatique 33. 134-142(1991年)
– P・J・ドナルド共著。「パレオロゴス後期の硬貨(原題:The Later Palaeologan Coinage)」。ブリストル:AH Baldwin & Sons, Ltd. 1979年
フィリップ・グリアーソン(Grierson, Philip)。「ビザンチンのコイン(原題:Byzantine Coins)」。ロンドン:Methuen & Co. 1982年
–. ダンバートン・オークス・コレクションとウィットモア・コレクションのビザンツ帝国コインカタログ、第5巻、ミカエル8世からコンスタンティノス11世、1258年から1453年(原題:Catalogue of the Byzantine Coins in the Dumbarton Oaks Collection and in the Whittemore Collection, Volume 5, Michael VIII to Constantine XI, 1258-1453)。ワシントンDC:ダンバートン・オークス. 1999年
スティーブン・ランシマン(Runciman, Steven)。「1453年 コンスタンティノープルの陥落(原題:The Fall of Constantinople 1453)」。ケンブリッジ:ケンブリッジ大学出版局。
デビッド・シアー(Sear, David)。「ビザンツ帝国のコインとその価値(原題:Byzantine Coins and Their Values)」。ロンドン:B.A. Seaby Ltd. 1987年
スタウラトン銀貨および1/8スタウラトン銀貨の画像は、Classical Numismatic Group, LLC (CNG)の許可を得て使用しました。著作権は保護されています。
提供いただいた半スタウラトン銀貨の画像の著作権は、Roma Numismatics Ltd.に帰属します。Auction XX Day 2, Lot 761.
本記事は、『COINWEEK』の翻訳記事です(掲載許可有り)。元記事は以下のリンクより確認できます。
参考:https://coinweek.com/ancient-coins/the-last-coins-of-the-roman-empire/