大英帝国に黄金期をもたらした女王ヴィクトリア

女王にして女帝のヴィクトリア(全名:アレクサンドリナ・ヴィクトリア/Alexandrina Victoria)。
1819年5月24日-1901年1月22日(在位:1837年6月20日-1901年1月22日)
女王になった18歳から63年7ヶ月の間、81歳まで王女として、大英帝国の繁栄を謳歌しました。
多くの有名なコインを持つ彼女の知世時代を見ていきましょう!

ヨーロッパの祖母と呼ばれるヴィクトリア女王

ヴィクトリア女王アンティークコイン

63年の長きにわたってイギリスを統治したヴィクトリア女王ですが、その影響は統治期間に留まりません。その後の歴史に多大な影響を与えた人物達にも血を残しています。 後を継いだエドワード7世はもちろんのこと、後に第一次世界大戦でイギリスと死闘を繰り広げることになる、ドイツの皇帝ヴィルヘルム2世やロシア皇后アレクサンドラ(ロシア皇帝ニコライ2世妃)は、ヴィクトリア女王の孫でした。

君主同士では対等な関係を保ちつつ、ヴィクトリア女王が逝去した時には、ヴィルヘルム2世は英国王室にて祖母の葬儀を見送っているなど、敵国同士でも愛される存在でした。

ヴィクトリア女王には、アルバートというとても優秀な夫が政治に携わったことでヴィクトリア女王の治世の間に特定の党への傾倒を避けた王権の中立化、そして議会を重んじる方向にシフトしました。 徐々に王権は削減され、イギリスに立憲君主制の道が開かれることになりました。

世界の工場の地位を確立した、ロンドン万博

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1851年、夫アルバートを中心として、記念すべき第1回万国博覧会がロンドンにて開催されました。近代の工業技術とデザインの祝典として、会場となった水晶宮(クリスタル・パレス)は大成功を得た。 1851年と言えば日本では嘉永4年、ペリー来航の2年前、大きな大きな差が生まれていました。世界中にイギリスの高い技術力と資本力を示し、世界の工場としての地位を確立させました。 世界中から資本が集まり、選挙法改正により労働者は国民となり、産業革命が進んだイギリスは、「パクス・ブリタニカ」と呼ばれるほど平和裏に各国に影響力を行使することができた。

夫アルバートの死と、帝国主義そして大英帝国の最盛期へ

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在位24年目道半ばにしてアルバートがなくなり、悲しみにあまりヴィクトリアはその後10年以上にわたって服喪し、公務に姿を見せなくなり、自身が亡くなるまでの39年間を黒い喪服だけで過ごしました。 イギリスにおける公的地位を途中まで持つこともなく、アルバートはイギリスのため王室改革などの政治に貢献した。亡くなる直前まで英米戦争を回避することに尽力したと言われています。

その後、1870年代に保守党の首相として活躍したディズレーリの後押しもあって、彼の帝国主義政策を全面的に支援し、大英帝国の最盛期を築き上げました。 いち早く産業革命を進めたイギリスは、西アジアからインド一帯を支配する為の拠点とした植民地帝国を反映させた。

エリザベス1世に続いて「女王の統治下に国は栄える」を実現したヴィクトリア女王

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無敵艦隊スペインを破ったエリザベス1世。そして大英帝国の最盛期を築いたヴィクトリア女王。 理性的で男性的イメージのあるエリザベス1世とは異なり、ヴィクトリア女王には女性、母のイメージがあります。

アルバート公が亡くなった後、喪服にしか着ていなかったと言われていますが、ウェディングドレスの白はビクトリア女王が起源となっています。 また、反乱を起こしていた兵士たちが、「我らの敵はイギリスの軍であって、ヴィクトリア女王陛下ではない」などなど、 こういった女性であり母のイメージが、大英帝国を築き、愛された所以にあるのかもしれません。

人気が上がり続けるヴィクトリア女王を描いたコイン

退位1年前のヴィクトリア女王のヴェールを被った肖像が美しい1枚

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イギリス ヴィクトリア女王 1900年 ソブリン金貨 未使用

 

イギリスコインの中で最も美しいとされているゴシッククラウン

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イギリス ヴィクトリア女王 ゴシッククラウン 1847年【NGC PR61】