英国王エドワード8世とは?ウォリス・シンプソンとの王冠を賭けた恋についても解説

  

アンティークコインとして人気を誇るのがイギリス国王のエドワード8世です。将来を有望視されていたプリンス・オブ・ウェールズから、「王冠を賭けた恋」としてウォリス・シンプソンとの熱烈な恋愛のために在位わずか1年程度で退位を決意した波乱の国王といえます。

この記事では、エドワード8世にまつわるエピソードや歴史、ウォリス・シンプソンとの王冠を賭けた恋、エドワード8世の金貨の価値などを解説していきます。

 

 

英国王エドワード8世とは

エドワード8世は、父親のジョージ5世の長男として1894年に誕生し、弟のアルバート(後のジョージ6世)と共に乳母に育てられています。英国王室ですから当然ながら家庭教師の英才教育を受け、後に海軍兵隊学校のスパルタトレーニングや寮生活といった現在での王族では考えられない激しい教育で育っていきました。

海軍兵隊学校でのいじめもあり、エドワード8世は自分に軍人としての才能はないと認識していました。しかし、1910年に祖父のエドワード7世が死去してからは、プリンス・オブ・ウェールズとして国王の準備もしなければならず、軍人の道に進まないでよくなります

 

エドワード8世が王太子に即位した当時、イギリスはフランス・ドイツ・ロシアといった列強と軍事力で緊張関係にあり、ヨーロッパ全土に渡って軍事同盟や政治的関係が広がっていきます。エドワード8世が軍隊に入隊できるギリギリの年齢に達していた1914年、第一次世界大戦が勃発してしまいました。

エドワード8世は自ら前線に赴けるように入隊を志願して陸軍に働きかけますが、さすがの陸軍も王太子に万が一のことがあってはイギリスに絶大な影響が及ぶことを懸念しており、入隊を拒否されています。

しかし、エドワード8世は諦めず、王太子として前線の兵士を慰問していきます。ひとたび戦争が起きれば王族は安全な場所で隠れるのが常識の中、最前線にまで訪れるエドワード8世には軍人たちからも賞賛されていきます。

 

エドワード8世の人柄|大戦後のヨーロッパで王族として人気を誇る

第一次世界大戦が終結すると、ヨーロッパの列強から独立しようとする動きが各地で活発化していきます。イギリスも多くの海外領土を有していましたので、植民地からの反発を防ぐためにエドワード8世は自国の領土や各国を訪問していきます。エドワード8世は訪問先でも人柄を評価されて人気を博していきました

 

エドワード8世の趣味と人間性|気さくな王太子として人気を博す

エドワード8世はゴルフや乗馬といった上流階級の嗜みだけではなく、ガーデニングや刺繍といった一般的な趣味を持ち合わせていました。また、上流階級と会食するだけでなく、一般市民との触れ合いを大事にし、高級レストランで入店を拒否された兵隊を自分のテーブルに招くなど、気さくな王太子としても国内で人気を誇っていきます。

また大正11年には初来日し、東京から京都を回り、鹿児島県にも滞在しており、半月以上の間日本を満喫していました。

 

エドワード8世は、プレイボーイだった!?

エドワード8世はファッションセンスも抜群で、ネクタイの結びでは有名なウインザーノットの生みの親ともいわれています

王族という見分もさることながら、多趣味で話題性に欠けず、一般市民からの評判も良かったので当然のごとく女性にも人気があり、芸能人や貴族はもちろん、既婚者とも愛人関係を続けるといった派手な女性関係でも話題を呼んでいます。

中でもエドワード8世を一番虜にしたのがアメリカ人の既婚者女性であるウォリス・シンプソンです。ウォリスとの交際が始まるとプレイボーイとしては身を潜めるものの、今度は国を揺るがすほどの大事件を引き起こしていくことになります。

 

エドワード8世が英国史上最速で退位するきっかけとなった「王冠を賭けた恋」

 

父親のジョージ5世は既婚者と付き合ってしまうエドワード8世の将来を心配していました。当時のイングランド国教会では離婚が認められておらず、このままウォリス・シンプソンと交際を続けていくのは国民のバッシングを受けるのが目に見えていたからです。ジョージ5世は自分が死ねば息子は1年を待たずに破滅するはずだと言い残しています。

 

エドワード8世とウォリス・シンプソンとの結婚を政府は否定

ウォリス・シンプソンは離婚歴があり、エドワード8世と交際当時も人妻であったので、ジョージ5世だけでなく、王室の周囲も心配を重ねていきました。しかし、エドワード8世本人はウォリスを心から愛し、夫に無理やり離婚させてでも王太子妃にしようとも画策しています。

1936年にジョージ5世が死去すると、遂にエドワード8世が国王に即位しました。王太子時代に人気のあった新しい国王として、世間の関心は高まっていきますが、独身のはずの国王の側にいる女性に注目が集まるのは至極当然ともいえました。

しかし、エドワード8世は国王としての重責に愛する女性の支えなしには立ち向かうことができないと実感し、ウォリス・シンプソンと結婚することを決意します。エドワード8世はウォリスとの結婚をラジオ演説で直接伝えたいと思いますが、当時の政府首脳からウォリス・シンプソンが人妻であることが知れ渡れば国民の反発を招き、政権や王室が崩壊すると悲観して否定されてしまいます。

エドワード8世が折れるかと思った政府首脳でしたが、彼の結婚への決意は固いものであり、仕方なくボールドウィン首相より退位を迫られてしまいました。

 

エドワード8世のラジオ演説|国王よりも一人の男としてありたいと訴える

エドワード8世は首相からの圧迫に退位を決意し、1936年12月8日に側近へ伝達しています。10日に正式な退位となり、新しく弟のジョージ6世が即位することになりました。エドワード8世は11日にラジオを通じて自身が王位を退く理由を述べています。

そこにはイギリスと新国王への忠誠を誓うだけでなく、国王としてある前に一人の男であることと、国王の重責に耐えるには愛する伴侶が必要であると述べました。また、自分の決断に後悔はないことを国民に訴え、翌日にはマスコミからの追及を逃れるようにイギリスを去って隠居生活を始めています。

エドワード8世の在位は325日と歴代最短となり、その翌年にウォリス・シンプソンと念願の結婚を果たしました。王冠を賭けた恋として後に映画にもなり、プレイボーイで国王でもあるエドワード8世の愛する女性への尽くし方は賛否両論ですが、記憶に残る国王として存在しています。

 

エドワード8世の金貨・アンティークコイン

▲英国 1937年 エドワード8世 5ポンド金貨

エドワード8世は、即位期間が短いため、戴冠式も実施されていません。イギリスの造幣局ロイヤルミントでもエドワード8世の即位を記念した金貨は発行されませんでした。

のちにコイン業者が正式な許可を得て、100枚の金メダルを発行していますが、世の中にはエドワード8世のアンティークコインはごくわずかしか流通していません。

エドワード8世のアンティークコインはファンタジーコインとして人気が高く、イギリスの退位を記念したものや、インド帝国といったイギリス領土の国々のアンティークコインも人気を博しています。

これらのファンタジーコインは発行枚数自体が少なく、本国から正式なコインが発行されていないことを受け、エドワード8世の女性のために国王を退くというストーリーもあって、エドワード8世のアンティークコインは希少価値が高いものとなっています。

 

エドワード8世の波乱に満ちた生涯

イギリス王室の後継者として生まれたエドワード8世は、王太子時代に軍へ志願するほど厚い忠誠心を見せています。その後も世界各国へ飛び回り、一般市民との触れ合いや持ち前のプレイボーイさもあって国民に絶大な人気を誇っていました。

しかし、ウォリス・シンプソンとの熱愛が始まると、国王としての重責との天秤にかけられず、彼女との結婚を選んでしまい国王を退く決意を下します。一人の女性のために王様をやめるという映画や漫画のようなストーリーに共感する人も多いことでしょう。ロイヤルミントから正式なコインが発行されていないことから、コイン業者が独自でファンタジーコインを発行し、流通自体が少ないエドワード8世のアンティークコインは希少価値が高いものといえます。