ウィリアム4世のモハール金貨|誠実な航海王と英領東インド会社の希少貨幣

 造形的な美しさと発行枚数の少なさから、常に世界中のコレクターの羨望を集める、ウィリアム4世のモハール金貨

ウィリアム4世がイギリスを統治していた当時、世界は、200年続いた王政独占貿易の終焉を迎え、資本帝国主義時代へと進み始めます。この中心的存在であったイギリス東インド会社によってウィリアム4世のモハール金貨が発行されました。

世界がうねりを上げて変革していく時代に、誕生したこの金貨には一体どんな歴史が秘められているのでしょう?

本記事では、ウィリアム4世のモハール金貨をキーワードに、ウィリアム4世が統治していた時代のイギリス東インド会社、そして誠実な航海王ウィリアム4世についてご案内します。

ウィリアム4世の肖像

William IV (1765-1837), King of the United Kingdom and King of Hanover(1830-1837)

絶対王政時代、重商主義・貿易差額主義の中心であったイギリス東インド会社。

しかし、18世紀末、世界は自由貿易主義や資本主義の完成に向かい、列強の帝国主義の時代へと進み、イギリス東インド会社もその波に呑まれていきます。

 この怒涛の時代の中、イギリス東インド会社から発行された「ウィリアム4世のモハール金貨」とは一体どんな金貨だったのでしょう?

 自由で誠実な人柄だったと言われた航海王ウィリアム4世と、変革期のイギリス東インド会社の歴史背景を読み解きながら、ウィリアム4世のモハール金貨についてご紹介します。

ウィリアム4世 モハール金貨

モハール金貨 ウィリアム4世 表裏

基本データ

コイン名 イギリス 東インド会社 ウィリアム4世 1モハール金貨
通称 ウィリアム4世 1モハール金貨
発行年 1835年
イギリス領インド
額面 1モハール
種類 金貨
素材
発行枚数 100枚程度
品位 Au 917
直径 24.0 mm
重さ 11.66 g
統治者 ウィリアム4世
デザイナー ウィリアム・ワイオン
KM # 451
表面のデザイン 右向きのウィリアム4世とレジェンド、年号
表面の刻印 WILLIAM IIII, KING.1835(ウィリアム4世、1835年)
裏面のデザイン 左向きのライオンとヤシの木、レジェンド
裏面の刻印 EAST INDIA COMPANY ONE MOHURとペルシア語(東インド会社、1モハール)
エッジのタイプ リーデッドエッジ
エッジの刻印 -

ウィリアム4世のモハール金貨とは?

では、ウィリアム4世のモハール金貨とは、一体どのような金貨なのでしょう?こちらでは、コインのデザインとその希少価値の高さについてご案内していきます。

ウィリアム4世のモハール金貨のデザイン

ウィリアム4世のモハール金貨は、「イギリス王」と「南国の生き物」というモチーフ。列強国が植民地制作を推し進めていた当時の歴史的背景を感じるデザインです。

表は「ウィリアム4世右向きの肖像」が施され、肖像の首元にンド・カルカッタ造幣局ロバート・サンダースのイニシャル「RS」が、とても小さく刻まれています。裏面は繊細なたてがみの力強いライオンがとても印象的で南国を感じる「ライオンとパーム椰子の木」。

そして、イギリスから統治を委任されていた「EAST INDIA COMPANY(東インド会社)」の銘文と、ライオンの足元には、英語とペルシャ語でそれぞれモハールと刻まれています。

象徴や紋章を意味する「モハール」

インドではムガル帝国時代からイギリス領時代にかけて「モハール」という名前の金貨が発行されていました。インドでのモハール金貨は、高い純度の金を使用し、美しい彫刻や細密画が描かれたものが多く、特別な価値を持つと同時に芸術的価値がとても高いのが特徴です。

ペルシャ語でモハールとは「象徴・紋章」を意味し、最高級の価値があるコインだけが「モハール」を名乗ることができました。このウィリアム4世の金貨もモハールコインとして恥じぬ最高級金貨として制作されたのです。そのため、金の純度は申し分なく、デザインは名貨幣「ウナとライオン」で有名なイギリス王立造幣局の主任原版彫刻師ウィリアム・ワイオンが手掛けており、細部まで気品のある造形が魅力的なコインです。

ウィリアム4世モハール金貨の希少価値の高い理由

ウィリアム4世のモハール金貨は、イギリスのウィリアム4世国王在位中の1831年から1837年にかけて、イギリス東インド会社がインドで使用するために発行された金貨です。

ウィリアム4世の任期は7年と短く、その上、王が崩御した後の1858年にイギリス東インド会社はイギリス王室主導へ再編成されました。この交代により英領インドコインのデザインが切り替わります。ウィリアム4世のコインは、ヴィクトリア女王のモハール金貨とともにイギリス東インド会社主導時代の最後のコインとなり、大変歴史的価値が高い金貨になります。

さらに、現在はインド国外への輸出が禁止されているので、インド国内に一度戻れば二度と出てこない希少さから、現在入手困難なコインとしても注目されています。

 

ウィリアム4世のモハール金貨が作られた当時の時代背景

若き頃から海軍として世界を自由に渡り歩き、世の中の見識が深かったウィリアム4世は、民衆が求める時代の声を受け止め誠実に王として人々を導いたといわれています。

ここでは、ウィリアム4世の人物像と金貨が発行された当時のイギリス東インド会社についてご紹介します。

多くの民に愛された「航海王」ウィリアム4世の人柄

出典:ナショナル・ポートレート・ギャラリー, Public domain, ウィキメディア・コモンズ

とても倹約家で誠実な人物だったと言われるウィリアム4世は、1765年に当時のイギリス国王である父ジョージ3世の三男として誕生しました。

父の後を継いだ兄ジョージ4世が崩御ののち、65歳の1830年王位を継承。崩御する1837年のたった7年間の王だったにも関わらず、彼の人柄をうかがい知れるエピソードが数多く残されています。

「Sailor King(航海王)」の愛称で親しまれてたウィリアム4世は、13歳で王族の身分を隠し、海軍に入隊。苦しい一般兵としての訓練や生活にも、決して弱音を吐かなかったと言われています。

大人になり、自らの能力でイギリス海軍の重要な地位に出世し、王族でありながら多くの功績を残したもののみに与えられる「クラレンス公」の爵位を取得。そして精力的に軍艦の艦長やアメリカ勤務など、世界中で任務を遂行します。後に王になった彼はこれらの経歴から、実際に他国の地に足を運んだ最初のイギリス国王となりました。

私生活でもとても誠実だったと言われ、浪費家で有名な兄王たちとは逆贅沢を毛嫌いし、愛人や妾も一切作りませんでした。身分の違いなどの理由から20年間事実婚していた前妻とも、事実婚後に正式に結婚したアデレード王妃とも仲睦まじい関係だったと言われ、最後まで家族を大切にしたと言われています。

戴冠式も質素で良いと言い放ち、奴隷制度廃止労働階級の権利拡大児童労働禁止法公平な選挙改革などを推し進め、国民から絶大な人気を得ていきました。身分が王になろうと侍従も連れずにロンドンを自由に歩き、街角では気軽に市民と話したなどのエピソードは現在でも語り継がれています。

ウィリアム4世の持つ経験からの時代への知見、気さくで誠実な人柄から、多くの民に愛された稀有な王として歴史にその名を刻んでいます。

イギリス東インド会社とは?

東インドハウス:ロンドンのイギリス東インド会社本部

17世紀初頭、イギリスを筆頭にフランス・オランダがインドに設立した貿易会社「東インド会社」は人類史上初の株式会社として設立されました。インドの喜望峰から中国、そして長崎へと続く海路を結び、グローバルな商品とお金の流通が生まれていきます。各国の東インド会社は、インドや中国などアジアにおける貿易独占権を有し、次第にその活動範囲や規模は拡大し続けます。

1600年新興国イギリスは、正式に国から認可された組織としてどの国よりも先駆けて設立。ロンドンの貴族や富豪たちからの出資を元にして、胡椒・綿花・お茶に陶磁器などをアジア諸国から欧米世界へと流通させました。他の欧州列強国も同じように東インド会社を設立しましたが、1757年のプラッシーの戦いでフランスに勝利し、イギリス東インド会社のインド支配は1857年に起きたインド大反乱までの100年間続きます。

東インド会社は約200年、ヨーロッパ絶対主義時代の重商主義的政策の中心的存在として力を蓄えていきましたが、時代の変化である資本主義の進展・貿易自由化により、存在理由に変革が必要になっていきました。イギリス東インド会社は最終的に、商社ではなく各国の政府の管轄の植民地促進組織になってゆくのです。

ウィリアム4世が国王の時期の東インド会社

ウィリアム4世が治政する1833年、イギリス東インド会社は、独占貿易権を持つ最後の地域・中国やその他の極東地域との独占貿易も終了します。東インド会社の商業活動が終わり、代わりにイギリス東インド会社の行政管轄機関としての地位が確立。この法案により東インド会社は植民地圏の政治や軍事の指揮を執り、アジア全域における植民地支配の拡大を目指していったのです。

一方で、東インド会社が政治的にも軍事的にも過剰な力を持ちすぎていることに加え、商業的な利益追求を煽り地方政治や民族問題を無視していることなどが指摘されるようになり、当時のイギリス政府内において批判的な声も上がっていきました。

同年の1833年に、イギリスは童労働法の改訂奴隷制度廃止が可決されるなど、ウィリアム4世の統治時代のイギリスは新しい方角へ向かい始めて行くのです。

 

ウィリアム4世のモハール金貨の種類・ウィリアム4世のその他コイン

ウィリアム4世はイギリス国王としての任期は7年と短いため、彼の肖像のある貨幣の製造数は少ない上に、存在するほとんどのコインはウィリアム・ワイオンが手がけており、どのコインも多くのコレクターに愛されています。

こちらでは、ウィリアム4世のモハール金貨の種類・ウィリアム4世のその他コインを3つご紹介します。

ウィリアム4世のモハール金貨の種類

イギリス東インド会社が発行した、裏面「ライオンと椰子の木」のデザインのモハール金貨には、ウィリアム4世のモハール金貨の他にヴィクトリア女王のモハール金貨があります。

ウィリアム4世のモハール金貨には1モハールと2モハール(通称:ダブルモハール)金貨があります。プルーフのリストライク(再鋳貨)も発行されています。ボンベイ(ムンバイ)とカルカッタで発行されており、どちらも人気です。

ウィリアム4世 ソブリン金貨

ウィリアム4世ソブリン金貨 表裏

1ポンド金貨には王の肖像が多かったため、王を意味する「ソブリン」と呼ばれていました。ソブリンは20シリング硬貨と同等で、1817年に初めて発行されました。ウィリアム4世の治世中にもソブリン金貨が発行され、表面は「ウィリアム4世の肖像」裏面には、「紋章を描いた盾と王冠」が描かれています。

ウィリアム4世のソブリン金貨は、ウィリアム4世の治世中にも長く流通した貨幣として、コレクターの間でも大変人気のある金貨です。

ウィリアム・ワイオンが手がけたウィリアム4世の戴冠記念金メダル

ウィリアム4世戴冠記念メダル 表裏

ウィリアム4世の戴冠記念メダルの発行枚数は1203枚でしたが、そのうち238枚が溶解されてしまい、流通したのは965枚と言われています。

デザインは、ウィリアム・ワイオンが手がけ、表には「ウィリアム4世の横向きの肖像」、裏には「アデレード王妃の横向きの肖像」が施されています。髪のうねりや王妃のアクセサリーなど、細部にまでその匠の技に感動してしまうメダルです。

 

ウィリアム4世 モハール金貨の価格推移

オリジナルミントとリストライク、1モハールと2モハールの発行があります。年号ごとや細分類、オリジナルとリストライクなど、集める愉しさがある金貨です。

オリジナルミント

AU58 1835年 カルカッタミント

AU58 1835年 カルカッタミント2023年1月9日に$9,900で落札。

MS61 1835年 カルカッタミント

MS61 1835年 カルカッタミント

2022年1月10日に$19,800で落札。

リストライク

PF64 1835年 ボンベイミント Restrike

PF64 1835年 ボンベイミント Restrike

2022年11月2日に$21,600で落札。

リストライクです。

2モハール金貨

1モハール金貨の倍の単位、2モハール金貨です。重量は23.32g、直径は32.5mmと大きめです。

銀行間取引のためだけに使用されたと言われています。

AU Details 1835年 カルカッタミント

AU Details 1835年 カルカッタミント

2022年5月5日に$28,800で落札。

PR67 Cameo

PR67 Cameo

2022年11月2日に$72,000で落札。

リストライク。

パターンのご紹介

純金パターンのモハール金貨

2014年に一度だけ出品された純金パターンのモハール金貨です。カルカッタミントです。

このパターンは「コンセプトデザイン」として出されたもので、法律17号(1835年)の技術仕様のうち、英語とペルシア語による額面と、「東インド会社」の文言は省略されています。

1835年3月にロイヤルミントの造幣局委員会に提出された書類には、「王の肖像とライオンを裏面に配した純金製のコインを製作する許可を頂きたい」と書かれていました。しかしこの手紙に対する返事は10月下旬まで届きませんでした。この時総督府からは「動物の使用は好ましくないが花輪などの装飾は好ましい」など、いくつかの懸念事項が示されました。

しかし11月下旬、流通コインの製造がこれ以上遅れることを避けるため、このデザインは承認されましたが、法的に承認を得られる仕様が加えられることになりました。年末には製造が開始され、1月には正式な発行が開始されました。

製造枚数は”一握り”と言われており、オークションでの履歴は2枚のみです。

 

変革の時代に誕生した、ウィリアム4世のモハール金貨が物語るもの

ウィリアム4世のモハール金貨が発行された時代、世界は長きに渡る絶対王政の独占貿易時代終焉を迎え自由貿易時代になり、資本主義列強の植民地帝国主義時代へと進んでいきます。その時代の過渡期に、航海王と名高く誠実な王として民衆に絶大の人気を誇ったウィリアム4世。

彼の王としての任期はたった7年でしたが、その後のヴィクトリア女王に続くイギリス繁栄時代の基盤を作ったと言われています。

世界の価値観や思想が、大きな波に乗って変化を推し進めた時代

イギリス東インド会社の終焉期に発行されたウィリアム4世のモハール金貨は、過ぎゆく時代から新しい時代へと向かう時の風景を、現在の私たちに伝えてくれるでしょう。

 

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