アステカを滅ぼしたケツァルコアトル伝説

エルナン=コルテス

エルナン=コルテス

1519年スペインのキューバ総督ディエゴ=ベラスケスによって
遠征隊長に任命されたエルナン=コルテスはアステカ帝国と接触した。
その中で遠征隊はアステカに巨大な富が蓄積されていることを知る。

彼らはアステカ帝国に敵対していた現地民族と連合して
首都テノチティトランに進軍し、
1521年にそれを陥落させ、帝国を滅ぼしてしまった。

銃器を持っていたとはいえ、
スペイン軍の兵力は500、後に援軍がきたとはいえそれでも900程度であった。
これで現地兵数千人を加えただけで
首都人口25万~30万に達するアステカ帝国を滅ぼしてしまったのだ。

なぜ、こうも簡単にスペイン軍の侵略はうまくいったのか。
様々な要因が重なったとされるが、そのひとつにある伝説の存在がある。

悲劇の王トピルツィン=ケツァルコアトル伝説

アステカの前に隆盛を誇っていた
トルテカの王トピルツィン=ケツァルコアトルは
神ケツァルコアトルの化身とされ、尊敬を集めていた。

ケツァルコアトルは学問や文化の創造神であり、
トウモロコシの栽培を広げたとされる農耕神であり、
雨をもたらす風の神ともされた。
大気の神とされたケツァール鳥を使いとしていたという話もある。

ケツァール鳥

ケツァール鳥

しかし、内紛により、テスカポリトカ率いる対立派の策にはまり、
彼は自分の姉妹と近親相姦の罪を犯してしまう。
これを理由に王は追放され、東の海へ去っていったと言う。

これはアステカの暦で「一の葦(ヨシ。イネ科の多年草)」の年であった。
そしてコルテスが兵を率いて東の海から現れたのも
同じ「一の葦」の年だったのである。

アステカの年には、ウサギ・葦・ナイフ・家の4つの名があり、
これと13までの数字の組み合わせで年を規定する。
「1のウサギ」「2の葦」「3のナイフ」「4の家」「5のウサギ」
・・・・・・と続いていくのだ。

つまり、52年で一巡し、再び同じ名前の年が出現することになる。
伝説の王が追放された方角から、
追放された年と同じ名前の年に異人がやってきたのだ。
偶然にしてはできすぎだった。

絶対君主モンテクソマ2世の動揺

トピルツィン=ケツァルコアトルは
追放時に再び戻ってくると予言したわけではない。
伝説の王の容貌がコルテスに酷似していたわけではない。

しかし、暦を重視した祭祀を行っていた
アステカ帝国の王モンテクソマ2世にとっては不安を抱かせるには十分であった。

モンテクソマ2世

モンテクソマ2世

加えて1517年以降、
都たるテノチティトランでは不吉な現象がたびたび起こっていた。
深夜、炎のようなオーロラが民衆によって幾度も目撃される。
ある神殿で不審火があったかと思えば、他の神殿にも稲妻が直撃する。

こうした報告を受けていたモンテクソマ2世は
実は即位前からアステカ宗教の教義に深く精通している国内随一の神官でもあった。
その信仰心が逆に彼を縛りつけたのかもしれない。

モンテクソマ2世は1502年の即位以来、
王への集権化を積極的に推進する政策をとった。
強大な権力を持ちうる役職の権能を削り、
また、臣下が積極的に忠誠を示さざるを得ないような状況を巧みに作り上げた。

さらに外征では
その時点で支配下に入っていなかった周辺部族や都市国家に圧力を加え、
一部をのぞいて傘下に収めることに成功していた。

彼は、このように惰弱な王ではなかった。
よくも悪くも積極果敢な王であった。
しかし、超自然現象への不安がモンテクソマ2世から
積極果敢さを奪ってしまったのだ。

アステカ王モンテクソマ2世はコルテスの侵入に対し、
対応の結論を延々と先のばしにした上に、
その結論も友好・懐柔策という軟弱なものであった。

コルテスたちがすでに問題を起こしていると知っていながらである。
その後、戦闘によって事態を打開せざるを得なくなっても
正面衝突は避け、奸計に終始する。

結局、様々な策は失敗に終わり、
モンテクソマ2世は逆にあっけなくコルテスの罠にはまって捕縛されるという
醜態を見せることになった。

アステカ王の死と帝国の終焉

コルテスのテノチティトラン征服

コルテスのテノチティトラン征服

コルテスの強制により、
王はスペインへの服従やキリスト教への改宗宣言を余儀なくされ、
宮殿の財宝の所有権も侵略者に譲ることとなった。

スペイン軍の横暴はほかにも続き、
アステカの人民の不満はついに爆発した。
コルテスは王を調停役に担ぎだしたが、すでに彼の権威は地に落ちていた。

臣下から放たれた矢や石が次々に王に飛来した。
アステカ王モンテクソマ2世はこの投石のひとつにあたって死んだとされている。

アステカの民は新たな王を立てるが、大勢を覆すには遅すぎた。
こうして、強大なアステカ帝国は滅びへの道を進んで行ったのである。

 

コインについて

PCGS鑑定 1926年 グアテマラ 20ケツァル

PCGS鑑定 1926年 グアテマラ 20ケツァル

PCGS鑑定 1926年 グアテマラ 20ケツァル

PCGS鑑定 1926年 グアテマラ 20ケツァル

今回ご紹介する金貨は
アステカ帝国が繁栄した中米にあるグアテマラが発行した20ケツァル金貨である。

片面はグアテマラの国鳥ケツァール、
もう片面はグアテマラの国章である。

この国章にもケツァールが描かれている。
国章の真ん中にある紙に記載されているのは独立した日付だ。

通貨名のケツァルもこの鳥の名、ケツァールからきている。
この美しい鳥は古来より信仰の対象や権威の象徴となり、
アステカでは最高位の神官か王のみがこの鳥の羽を身につけることが許されたという。

また、すでに述べたようにケツァール自身大気の神であるとされたり、
ケツァルコアトルの使いであるとされたりしていた。
ケツァールが中米の人々にとって今も昔も大切な存在であることがわかる。

偶然によってアステカ王に選択を誤らせることになってしまった
ケツァルコアトル伝説。

その名をもつ神の使いであり、
過去と現在をつなぐケツァールの刻印を眺めながら
はるかなるアステカ帝国に思いを馳せるのも一興だろう。

 

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