北海道で、埋蔵金ならぬ「埋蔵銭」が発見される!!

北海道で埋蔵金が発見されていた!?

「実は北海道に埋蔵金が埋められていた?」
というニュースがある。

このニュースは、
実は北海道で今から50年ほど前、
瓶(かめ)に入った大量の古銭が発見されていた、というもの。

 函館市東部にある中世に和人が築いた城館跡
「志苔館(しのりたて)」(国史跡)近くの道路工事現場から
1968年、大量の古銭が入った三つの甕(かめ)が見つかった。

「何ぃ!!オレも急いで北の大地へ!!!」
と思って航空チケット予約サイトを開いた皆様は、ちょっと待ってほしい。

私もそうだが、このニュースに接した時、
皆様ともに金ピカの埋蔵金を想像したと思う。
それこそ、「大判小判がザックザク!!」みたいな。
テンションも上がるわけである。
だが、このニュースには続きがある。

見つかった埋蔵「銭」

 主に中世に国内で流通していた渡来銅貨で、その数は38万枚。

そう、見つかったのは「銅貨」、つまり「銭」なのである。
大判、小判ではない。
「古~い銭がザックザク!!」である。
否応なしにテンションは若干下がる。

とはいえ、見つかった銭は、
1カ所から発見された古銭としては国内最大の量で、
重要文化財に指定されたようだ。
確かに、38万枚ともなれば、尋常な数ではない。
誰が、一体何の目的のために埋めたのか、
現在のところ謎に包まれていると、記事では述べられている。

洪武通宝

洪武通宝

埋まっていたのは、
「皇宋(こうそう)通宝」「元豊(げんぽう)通宝」など
10世紀半ば~12世紀初めに鋳造された中国の北宋銭を中心に、
最も古いものでは前漢代の「四銖半両(よんしゅはんりょう)」で
初鋳紀元前175年、
最も新しいものでは明代の1368年初鋳の「洪武通宝(こうぶつうほう)」だという。
実に約1500年に渡る銭で構成されていたのである。

誰が、何のために?

この情報に接して、私の脳裏にはピ~ンとひらめくものがあった。
仮に、資産隠し
(埋めた当時でも税金・年貢逃れや、不正な隠匿など、資産隠しの需要はあっただろう)
目的であれば、当時通用していた、価値のある通貨でもって隠せば良いのである。
わざわざ、1500年に渡る、
当時の目から見ても「古銭」に当たるであろうバラエティ豊かな銭で溜め込む必要は、
全く無い。

そう考えると、この古銭を埋めた目的は、
コレクションを盗人などの周囲の目から隠すことにあったのではないか、
との仮説に行き着くのである。

例えば、こうだ。
このカメが埋められた時代(14世紀末〜15世紀初めごろと推定される)に、
あるところにお金持ちのコインコレクターがいて、
古今東西の古銭を大量にコレクションしていた。
だが、コレクションが多くなりすぎ、
そのまま保存しておくのは少々目立ちすぎて物騒である。
そこで、カメにいれて、埋めて隠すことにしたのではないか。

この仮説が正しいとすると、もう一つの考えが浮かぶ。
コインコレクターの方々は、大判小判に限らず、
銭であっても、「価値の無いもの」は集めないであろう。
希少性が高く、レアリティのあるものを集めたいと思うのは、
いつの時代もコレクターの常である。

そこで私は、埋蔵されていた上記の古銭について、
その市価を調べてみた。
純粋に学術的なコレクターとしての興味からである。
間違っても
「こんだけ埋められてたなら、少しくらい回収し忘れがあるんじゃないの!?
それを回収して売却して北海道でカニと熱燗で一杯ウッヒッヒー」
などとは、決して、思って、いない。

カニ

カニ

1枚300円~…
(この価格情報の正確性は保証しません!念のため)

私は、そっとノートパソコンを閉じた。

とまぁ、価値はともかく、
これだけ大量に発見されたとなると、
「誰が、何のために」という興味は尽きないのである。
もしかしたら、14世紀末〜15世紀初めごろ、
足利義満が権勢を振るっていた時代に、
コインコレクターの同好の士がいたのかもしれない、
と思うのもロマンではないだろうか。

ニュース記事元:
http://mainichi.jp/articles/20160110/ddl/k01/040/097000c

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