生誕100年を迎えたエリザベス女王の波乱の人生と5つの肖像のコイン

イギリス史上最も長く在位した君主

イギリスの君主として最長の在位期間を持つエリザベス女王。その在位期間は70年214日(1952年〜2022年)でした。

世界史において最長の在位期間であった『太陽王』と呼ばれたフランスのルイ14世の72年110日にはわずかに届きませんでしたが、女性の君主として世界史上最長の記録です。

▲若き日のエリザベス2世

そして今年2026年はエリザベス女王生誕100年という記念の年です。

改めてエリザベス女王の人生をおいたちから初めての恋物語、そして女王になってから逝去までを丁寧に振り返ります。

王位継承権『第3位』として育つ

1926年4月21日、当時の国王ジョージ5世の次男であるヨーク公の長女として誕生しました。この時の王位継承順位は第3位でした。

王位継承順位の上には伯父であるのちのエドワード8世がいたため、「いずれ伯父さんが結婚して子供が生まれたら、私の順位は下がるから女王にはならない」と思っていたため、比較的自由で平和なお姫様として育ちました。

愛称は「リリベット」です。

自分の名前「エリザベス」をうまく発音できず、「リリベット」と呼んでいたのがそのまま家族の愛称になりました。

のちに首相になるウィンストン・チャーチルは、当時2歳のエリザベス王女を見て「子供とは思えないほどの、驚くべき威厳と風格がある」と手紙に書き残しています。

リリベットの運命を変えた「王冠を賭けた恋」による叔父の退位

▲叔父のデイヴィッドこと「エドワード8世」と

リリベットが10歳の時、平和な日常がひっくり返ります。

1936年、祖父であるジョージ5世が亡くなります。ジョージ5世は孫娘のリリベットのことは目に入れても痛くないほど溺愛していました。

リリベット自身も彼を「おじいちゃんイングランド(Grandpa England)」と呼んでとても懐いていたといいます。

国王になったばかりの伯父・デイヴィッドことエドワード8世が、アメリカ人の既婚女性ウォリス・シンプソンと結婚するために、たった1年で自ら王位を捨ててしまいます。これは後に「王冠を賭けた恋」と言われ、今でもイギリス王室に傷を残しています。

これにより、内気で吃音があった父親が突然「ジョージ6世」としてイギリス国王になり、エリザベスは10歳にして「次期女王」の重すぎる宿命を背負うことになりました。

▲父王ジョージ6世の戴冠式にて(中央で手を振るのがリリベット)

妹のマーガレット王女から「お姉ちゃんは女王になるの?」と聞かれ「そうみたい」と答えると、妹から「それは可哀想に」と言われたというお話が残っています。

 

第二次世界大戦とともに戦う王女

1939年、13歳の時に第二次世界大戦が勃発します。

ロンドンが激しい空襲を受ける中、イギリス王室は「国民を見捨てて逃げない」という姿勢を貫きました。

 ▲ラジオ演説の様子。隣は妹のマーガレット王女。

14歳の時、親元を離れて田舎に避難している同世代の子供たちに向けて、「私たちも悲しみと危険を分かち合っています。最後には必ず全てうまくいきます」と、初めてのラジオ演説を行いました。

ノルマンディー上陸作戦もあった1944年、18歳の時に自ら父を説得し、「補助地方義勇軍(ATS)」に自ら入隊します。

軍用車両の整備士やトラック運転手として、ツナギを着て油まみれになりながら任務をこなしました。

油まみれになって働く王女の姿は、国民に計り知れない勇気を与えました。

ロイヤルな二人の出会いのストーリー

二人は高祖母が同じヴィクトリア女王という、はとこ同士。幼い頃にも会ったことはありました。

本当の意味での「恋の始まり」は1939年、エリザベスが13歳、フィリップが18歳の時でした。

エリザベスが両親と共にダートマス海軍兵学校を視察した際、学校内で水ぼうそうが流行っていました。

感染を避けるためにエリザベス姉妹の案内役・遊び相手として選ばれたのが、当時士官候補生だった長身でハンサムなフィリップでした。

彼はテニスのネットを軽々と飛び越えて見せたり、一緒にクロッケーというイギリス発祥のスポーツをして遊んだりしました。

この時、エリザベスは彼のハンサムな姿とユーモアに完全に一目惚れしてしまったと言われています。

▲クロッケー中のフィリップ王子

出会ってすぐに第二次世界大戦が始まります。

フィリップはイギリス海軍の士官として過酷な戦地へと赴きます。 離れ離れになった二人は、戦時中ずっと手紙を送り合って愛を育みました。

エリザベスは自分の部屋のマントルピース(暖炉の上の飾り棚)に彼の写真をこっそり飾り、フィリップもまた、自分の船のキャビンにエリザベスの写真を肌身離さず持っていたそうです。

 

終戦後、フィリップは頻繁にバッキンガム宮殿を訪れるようになります。 二人のデートは、フィリップの愛車である黒にグリーンの内装のスポーツカーに乗ってロンドンの街をドライブしたり、一緒に観劇に行ったりというものでした。

宮殿の廊下を二人でこっそり追いかけっこをして遊んでいた、なんていうお茶目なデートでした。

そして1946年の夏、王室の静養先であるスコットランドのバルモラル城で、一緒に散歩をしている時にフィリップがプロポーズします。

▲婚約記念写真

なんとエリザベスは両親に相談することなく、その場ですぐに「YES」と答えたそうです。 しかし、父王であるジョージ6世は「まだ若すぎる」と難色を示しました。

そして「婚約の正式な発表は、エリザベスが21歳になるまで待ってほしい」という条件を出しました。

エリザベスが21歳になった1947年、ついに正式に婚約が発表されました。

ちょうどその頃に書かれたその手紙には、戦時中の稀な逢瀬から一緒に参加したロンドンの舞踏会までの二人の関係が綴られています。

若き王女はこう書いています。

「私がフィリップに初めて会ったのは、1939年7月、戦争直前のダートマス王立海軍兵学校でのことだったと記憶しています。(戴冠式かケント公爵夫人の結婚式で会ったことがあるかもしれませんが、覚えていません)」

「私は13歳で、彼は18歳で、ちょうど卒業を控えた士官候補生でした。彼は戦争勃発と同時に海軍に入隊し、その後は休暇中のごくたまにしか会えませんでした。おそらく3年間で2回くらいだったと思います。」

「その後、叔父と叔母であるマウントバッテン卿夫妻が不在の時は、ウィンザー城で私たちと何度か週末を過ごしました。それから彼は太平洋と極東に2年間赴任しましたが、現地の人は皆知っているでしょう。」

王室の紋章があしらわれた白い紙にインクで書かれた手紙の中で、王女は13歳の時にフィリップ王子と出会った時のことを回想し、王子が速い車を好んでいたこと、そして二人がロンドンのナイトクラブ「シロズ」と「クアグリーノズ」で一緒に踊ったことなどを綴っています。

「私たちがより頻繁に会うようになったのは、フィリップがコーシャムにある海軍下士官学校に2年間勤務することになった時でした。それまでは、お互いのことをほとんど知りませんでした。彼は週末は私たちと一緒に過ごし、学校が休みの時はバルモラル城で6週間過ごしました」

ちなみにこちらのラブレターは、『Royal Wedding』(1947年)という若き日のエリザベス女王(当時はまだ王女)と、フィリップ殿下のロマンスからご結婚式までをたっぷり描いた大ベストセラーを書いた作家ベティ・スペンサー・シュー(Betty Spencer Shew)宛てです。

この2ページの手紙は、2016年にイングランド南西部のチッペンハム・オークションルームで競売にかけられました。

当日の入札はオンラインと8回線の電話回線で行われ、「非常に速く、激しいもの」だったということです。結果はイギリスの個人収集家によって1万4,400ポンド(当時の日本円で約200万円)で落札されました。

結婚式

同じ年の11月20日にウェストミンスター寺院で盛大な結婚式が挙げられました。

結婚式の朝、エリザベス王女がウェストミンスター寺院へ向かう前にバッキンガム宮殿で着替えをしていると、ティアラが折れてしまいます。緊急事態に備えて待機していた宮廷宝石商は、警察の護衛のもと作業場へ急行し、修理したというエピソードが残っています。

▲トレーンは4mもありました

大戦後すぐ、物資不足で配給制が続いていたイギリスにおいて、この美男美女のロイヤルウェディングは、国民にとって久々の明るく希望に満ちた大ニュースとなりました。

ちなみに、エリザベスは自分のウェディングドレスを作るための生地を国民と同じように「衣料品の配給券」をコツコツ貯めて買ったという記録が残っています。

ドレスのために追加の200枚の配給券の発行が政府から特別に許可されました。

全国各地の花嫁候補たちからエリザベス王女がドレスを入手できるよう、何百枚もの衣料配給券が贈られてきました。しかし、これらの行為は違法だったため、王女はそれらを一枚も使うことなく、すべての人に丁寧な感謝の手紙を添えて返却しました。

実はこの時、フィリップは結婚のために大きな覚悟と犠牲を払っています。

彼は生まれ持った「ギリシャとデンマークの王子」という称号を全て捨てます。

信仰している宗教もイギリス国教会に改宗し、帰化して「フィリップ・マウントバッテン」という一人のイギリス海軍大尉として彼女を迎え入れたのです。

 

エリザベス女王誕生までの道のり

リリベットがイギリスの女王になるまでには色々なことがありました。

伝説の「ケープタウン演説」

まだ女王になる王女時代の1947年4月21日に21歳の誕生日に行われた演説があります。

両親や妹と一緒に南アフリカを外遊中でした。

ケープタウンからラジオ放送を通じて、イギリス連邦であるコモンウェルスの全土に向けて行われた演説が 歴史に残る「究極の誓い」として今も残ります。

この演説の中で、未来の君主としての並々ならぬ覚悟を語りました。

▲演説をする様子

"I declare before you all that my whole life whether it be long or short shall be devoted to your service and the service of our great imperial family to which we all belong."

「皆さんの前で宣言します。私の生涯が長くても短くても、皆さんのために捧げます」

96歳で亡くなる直前まで、見事にその言葉を守り抜いて公務を果たし続けました。

父の急死

そして結婚からわずか5年後、ケニアへ外遊中に父親であるジョージ6世の急死の知らせを受けます。

▲1942年、エリザベス王女がウィンザー城の書斎で王室の蔵書を整理している父ジョージ6世国王と話しているところ

その時、ケニアのサバンナにある「ツリートップ(Treetops Hotel)」という、木の上に建てられたロッジに滞在していました。

25歳の若さで大英帝国を背負う「女王エリザベス2世」となりました。

後に「木の上に登った王女が、女王として降りてきた」と語り継がれることになりました。

女王の戴冠式

翌年の1953年6月2日には、史上初めてテレビ中継された豪華絢爛な「戴冠式」が行われました。

父王のジョージ6世が亡くなり、女王として即位した1952年から、準備に1年以上もかけました。

戴冠式の場所は1066年からずっとイギリス王室の戴冠式が行われている「ウェストミンスター寺院」で行われました。

そして史上初の戴冠式の「テレビの生中継」で世界が熱狂しました。

当時のイギリス首相であるチャーチルとその取り巻きたちは「神聖な儀式をテレビのカメラで撮るなんてとんでもない!」と大反対しました。

しかし27歳の若き女王本人の「国民に広く見てもらいたい」という強い希望で、史上初めて戴冠式がテレビで生中継されました。

これを見るためにイギリス中でテレビが飛ぶように売れ、世界中でなんと2億7,000万人以上の人が見守るという歴史的なメディア革命になりました。

規格外の装飾品

女王の戴冠式の装飾品はどれもゴージャスなものでした。

実際に頭につけられた「聖ジョージの王冠」は、純金製で宝石がビッシリと装飾されています。

重さが約2.2キロもあり、女王は後年のインタビューで「下を向くと首が折れそうになるから、原稿は持ち上げて読まないといけなかったの」と笑って語っていたそうです。

この貴重な工芸品を見ながらのちに女王はこう言いました。

「幸いなことに、父ジョージ6世と私は頭の形がほぼ同じなんです。だから、一度被るともう外れないんですよ。本当に、ずっと被ったままなんです。」

デザイナーのノーマン・ハートネルが手がけたシルクのドレスには、イギリス連邦の国々を象徴する花、イングランドのバラ・カナダのカエデ・オーストラリアのワトルなどが金や銀の糸で豪華に刺繍されていました。

長いローブがウエストミンスター寺院の絨毯の毛足にまとわりつき、身動きが取れなくなった時のことをのちに女王はこう回想しています。

「カーペットの毛足に逆らって歩いていた時、全く動けなくなった瞬間があったのを覚えています。ローブを作った人間は、そのことを考えていなかったのです」

大雨の中の「黄金の馬車」パレード

戴冠式当日のロンドンはあいにくの冷たい大雨でしたが、沿道には何百万人もの観衆が徹夜で場所取りをしていどみました。

女王はおとぎ話から飛び出してきたような金色の「ゴールド・ステート・コーチ(黄金の馬車)」に乗って、ロンドンの街を盛大にパレードしました。

1760年に作られた全長7メートル(24フィート)、重さ約4トン、8頭の馬に引かれるこの金色の馬車。

その乗り心地をエリザベス女王は「最悪」だったと語っています。

 

女王のアナス・ホリビリス

1992年、66歳になった女王自身が「アナス・ホリビリス」、ラテン語で「悲惨な年」と呼んだほど辛いことが重なりました。

現在の国王であるチャールズ皇太子とダイアナ妃の別居をはじめとする3人の子供たちの結婚トラブル。そして大好きなウィンザー城の大火災など、王室にとって最大の試練の年でした。その後も、悲劇が襲います。

▲ダイアナ元妃も写る1枚

ダイアナ元妃の死と王室の危機

長年のすれ違いから、1996年8月にチャールズ皇太子とダイアナ妃は正式に離婚します。

その後の1997年にダイアナ元妃がパリで交通事故死した際、当初王室が沈黙を守ったことで国民から大バッシングを浴びてしまいました。

▲ダイアナ元妃を偲んで発行された5ポンド金貨

しかし、エリザベス女王が異例の「生放送での特別なスピーチ」を行います。

First, I want to pay tribute to Diana myself. She was an exceptional and gifted human being. In good times and bad, she never lost her capacity to smile and laugh, nor to inspire others with her warmth and kindness.ーー

「まず、私自身からダイアナへ哀悼の意を表したいと思います。彼女は類まれな、才能に溢れた人でした。 良い時も悪い時も、彼女は笑顔と笑い声を絶やすことなく、その温かさと優しさで周りの人々を勇気づけていました。 ーー明日は、私たちがどこにいても、皆が一緒にダイアナを失った悲しみを共有し、彼女のあまりにも短すぎた生涯に対して感謝の気持ちを表すことができるよう願っています。」

スピーチの中でひとりの祖母として、そして女王としての素直な悲しみを語ったことで、国民の心を取り戻しました。

 

エリザベス女王と動物たち

エリザベス女王を語る上で忘れてはいけないのは、コーギーと馬です。

かけがいのない友人であり家族であった、言葉を持たない動物達との触れ合いで女王は何を感じていたのでしょうか。

生涯で30匹以上!愛する「コーギー」たち

エリザベス王女が幼い頃、後にジョージ6世として即位する父が1933年に「ドゥーキー」という名のコーギー犬を家に連れてきました。エリザベスは7歳、妹のマーガレットは3歳でした。

18歳の誕生日に「スーザン」という名前のウェルシュ・コーギー・ペンブロークをもらって以来、すっかり虜になってしまったエリザベス女王。

1947年に最愛のフィリップ王配と結婚した際、どうしてもスーザンと離れたくなかった当時のエリザベス王女は、ハネムーンに出発するための馬車の敷物の下にスーザンをこっそり隠して新婚旅行に連れて行きました。

その後の新婚旅行先でも、フィリップ王配が運転するジープに一緒に乗って楽しんだようです。

王室のコーギーの中には、悪名高い噛み癖のある犬も何匹かいたそうです。

長年にわたりこのいたずらっ子たちは警官・王室時計巻き係・運転手・近衛兵・宮殿の衛兵の足首やズボンの裾を噛んだといいます。

▲コーギーの隣にいるそれぞれが「ドーギー」です(写真:Annie Leibovitz

妹のマーガレット王女の愛犬のダックスフンドと女王のコーギーが恋に落ち、「ドーギー」という新しいミックス犬まで誕生させたというエビソードも。

女王は生涯で30匹以上のコーギーの世話をしましたが、晩年になると自ら繁殖させることをやめてしまいます。

友人でもあった馬の調教師モンティ・ロバーツさんに打ち明けた「自分が亡くなった後に、若い犬を残したくないから」という理由からでした。

自身の命の終わりを意識しつつも、残される動物たちのことを一番に心配する、女王の深くて優しい愛情が伝わってきます。

晩年まで一緒に過ごしていた愛犬の「ミュイック」と「サンディ」は、女王の葬儀の日にウィンザー城の外に連れ出してもらい、静かに主人の棺をお見送りしました。

このミュイックとサンディは、コロナ禍や2021年に夫のフィリップ王配が亡くなった後などに、女王を慰めるために次男のアンドルー王子やその娘たちであるベアトリス王女とユージェニー王女がプレゼントしたものでした。

主人亡きあとは、贈り主であるアンドルー王子とその元妻ヨーク公爵夫人セーラ・ファーガソンに引き取られて、元気に暮らしています。

ミュイックとサンディは凍らせたヨーグルトがだいすきだそうです!

馬に乗るエリザベス女王のコインのデザインが多い理由

イギリスは「競馬発祥の地」であり、競馬は貴族から庶民まで楽しむ国民的なスポーツです。

生涯を通じてたくさんの馬を飼育したというエリザベス女王。

過去30〜35年の間に女王の所有する馬たちは数多くのレースで勝利し、約670万ポンドから870万ポンド(日本円で約10億円〜13億円)もの高額な賞金も獲得していました。

4歳の時に贈られたシェットランド・ポニーから、馬との生活が始まります。

エリザベス女王は馬を愛しており、競走馬の「オーナーブリーダー」として本格的に活動していました。

1954年と1957年には英国平地競馬の「チャンピオンオーナー」の称号を獲得しました。これは、シーズン中に最も多くの賞金を獲得した馬のオーナーに贈られます。

エリザベス女王は自身の誕生日のパレード「トゥルーピング・ザ・カラー」で乗馬姿で登場していました。

1969年からエリザベス女王が60歳を迎える1986年までの式典で乗っていた愛馬「バーミーズ」が引退した後は、オープンタイプの馬車で式典に出席するようになりました。

血統を研究するのが得意で、イギリス競馬界でも一目置かれる専門家でした。

女王の育てた馬は数々の大きなレースで優勝しています。

もっとも権威あるレース「ロイヤル・アスコット」などの競馬場で自分の馬が勝った時は普段の厳格な姿からは想像もつかないくらい、「私の馬!私の馬!私の馬!」と少女のように大はしゃぎして喜ぶ姿もみられました。

2005年のレースで1位でゴールした瞬間、喜びのあまり飛び上がった結果、首につけていた真珠のネックレスが切れて周囲に真珠が飛び散ってしまうという大惨事が起こりました。

90代になってもスカーフを被ってポニーに乗り、バルモラル城などで乗馬を心から楽しんでいました。

80代になり、背の低いポニーに乗ることを好んだエリザベス女王。その最後の乗馬は亡くなる8週間前でした。

晩年のお気に入りだった愛馬はフェルポニー「エマ(本名はカールトンリマ・エマ)」です。

長年女王のそばでヘッド・グルーム(専属厩務員)をつとめたペンドリーさんとエマは、葬儀の沿道で女王様の愛用したスカーフを鞍に乗せて、じっと亡き主人を見送りました。

ペンドリーさんはこう振り返ります。「女王陛下はいつも白い羊皮の鞍を愛用されていました。それが女王陛下のお気に入りだったので、エマにも同じように鞍をつけていただきました。そして仕上げに、女王陛下のお気に入りのエルメスのスカーフを鞍にかけました。馬と馬車の模様がプリントされたものです。」

そして、ペンドリーさんはエリザベス女王の墓標の前で

「もしエマが亡くなったら、そのの遺灰はエリザベス女王が軍旗敬礼式で最後に乗った馬であるバーミーズと、彼女が生涯で最後に乗った愛馬であるサンクションの間に納めます。」

と誓いました。

エリザベス女王の5つの肖像

長く君主をつとめたエリザベス女王は、生涯において5つの肖像のコインが発行されました。それぞれの肖像が発行された時の時代背景を順番に見てみましょう。

第1肖像

発行期間:1953年〜1967年
デザイナー:メアリー・ギリック(Mary Gillick)

25歳で即位した直後の、若々しく初々しい女王の姿です。

これまでの君主が重厚な王冠を被っていたのに対し、この肖像では「月桂冠(げっけいかん)」を被り、リボンで髪を束ねただけの軽やかなスタイルでした。 これは、第二次世界大戦後の疲弊したイギリスにおいて、「新しいエリザベス朝の幕開け」という平和と希望、そして若々しいエネルギーを象徴するために意図されたものです。

デザイナーの名前から、この肖像のソヴリン金貨は「ギリックソヴリン」と呼ばれ、親しまれています。

第2肖像

発行期間:1968年〜1984年
デザイナー:アーノルド・マーチン(Arnold Machin)

1971年にイギリスの通貨単位が「10進法(1ポンド=100ペンス)」に大変更されるのに合わせて、新しい時代のコインとして導入された肖像です。

この時から女王は「大英帝国とアイルランドの少女たちのティアラ」という有名なティアラを被っています。

首から肩にかけてのラインが優雅で美しく、イギリスで発行された切手にも使われているおなじみの横顔です。

この「10進法導入(デシマル・デー)」は、イギリスの歴史の中でも大きな出来事でした。この通貨の大改革は「計算が複雑だった従来のシステムを捨て、1ポンド=100ペンスという分かりやすいシステムに変えた」

10進法になる前のイギリスの貨幣単位は「ポンド・シリング・ペンス」というもので、計算が信じられないくらい複雑でした。

1シリング = 12ペンス、1ポンド = 20シリング、つまり、1ポンド = 240ペンスというものでした。

例えば「3ポンド15シリング8ペンス + 2ポンド10シリング6ペンスはいくら?」という計算を、お買い物やビジネスのたびに暗算でやる必要がありました。

戦後、世界中で貿易が活発になり、コンピューターや電卓が普及し始めます。この「240進法」というガラパゴスなシステムは限界を迎えました。世界の大半の国は、すでに1ドル=100セントなどの分かりやすい10進法を導入していました。

そこでイギリス政府は、1971年2月15日(デシマル・デー)に、歴史的な大改革を決行します。「シリング」という単位を廃止し、100ペンスで1ポンド繰り上がる、今の私たちにもお馴染みのシンプルなシステムに変えました。

このシステム変更は、国民にとって大パニックでした。

そこで、新しい10進法のお金である5ニューペンスや10ニューペンスなどを1968年頃から少しずつ発行して、国民を慣れさせました。

その時に、「これは新しい計算方法である10進法の新しいお金」と国民がひと目で区別できるように、エリザベス女王の顔を『第2肖像』に一新しました。

つまり、第2肖像のコインは単なるデザイン変更ではなく、「イギリスが近代的な10進法システムに生まれ変わった記念すべきシンボル」だったというわけです。

第3肖像

発行期間:1985年〜1997年
デザイナー:ラファエル・マクルーフ

女王が60歳の還暦を迎える前年にアップデートされた肖像です。

首元にはデザイナーのイニシャル「R.D.M.」が刻まれています。

豪華な「ステート・ダイアデム」と呼ばれるジョージ4世の王冠とネックレス、イヤリングを身につけた、非常にフォーマルで気品あふれる姿が特徴です。

実は発表当時、「実際の年齢より若く描かれすぎているのでは?」という批判がありましたが、デザイナーは「写真のように老いを写実的に描くのではなく、時代を超越した君主としての『威厳』のシンボルを描きたかった」と語っています。

第4肖像

発行期間:1998年〜2015年
デザイナー:イアン・ランク=ブロードリー(Ian Rank-Broadley)

女王が70代になり、「第3肖像が理想化されすぎている」という声に応える形で、よりありのままの年齢での成熟と老いを反映した写実的なデザインに変更されたゆ! 再びティアラ姿に戻り、シワなども隠さずに描かれています。

首元にはデザイナーのイニシャル「I.R.B.」が刻まれています。

再びティアラ姿に戻り、シワなども隠さずに描かれています。

また、コインの盤面いっぱいに大きく顔がデザインされているのも特徴です。これは「隠すことのない堂々とした君主の存在感」を示していると言われています。

第5肖像

発行期間:2015年〜崩御される2022年まで
デザイナー:ジョディ・クラーク(Jody Clark)

エリザベス女王が「イギリス史上最長在位の君主」となる歴史的記録を目前に控えたタイミングで変更された、生前最後の肖像です。

首元にはデザイナーのイニシャル「J.C」が刻まれています。

デザインコンペを勝ち抜いたのは、ロイヤルミントの局員だった当時33歳のジョディ・クラークで、史上最年少での起用でした。

この他にもブリタニア金貨の中で最も人気のあるとされている2014年のデザインも彼のものです。

88歳の女王が第3肖像と同じジョージ4世の王冠を被り、少し微笑みを浮かべているようなとても温かみのある表情が印象的です。

 

晩年のエリザベス女王

エリザベス女王夫妻には4人の子供、8人の孫、そして5人のひ孫がいます。

女王として、母として妻として、そして一人の女性として生きたエリザベス女王の晩年はどのようなものだったのでしょうか。

▲2017年の御結婚70周年のお写真

結婚70周年のプラチナ婚を迎えた91歳の女王ご夫妻の写真には、96歳のフィリップ殿下が数十年前の1966年に贈ったイエローゴールドのブローチを身につけています。

愛するフィリップ王配との最期の日々

フィリップ王配は2017年の96歳の時に公務から引退します。

ノーフォーク州にあるサンドリンガムの領地で静かな生活を送るようになりました。

一方の女王はロンドンなどで公務を続けており、離れて暮らす時間が長くなっていました。

しかし、2020年に新型コロナウイルスの大流行が起きたことで、二人は感染を避けるためにウィンザー城で一緒に隔離生活を送ることになりました。

スタッフも最小限に絞ったこの隔離生活は、多忙を極めた二人が「久しぶりに夫婦水入らずでゆっくり過ごせた、奇跡のような時間」だったと言われています。

お庭をお散歩したりして、二人きりの穏やかな日々を楽しんでいたようです。

2021年4月、フィリップ王配が99歳で安らかに息を引き取りました。結婚からなんと73年!女王様自ら「私の力であり、留まる場所」と語ったほど、人生の絶対的な支えでした。

コロナ禍の厳しいルールがあったため、フィリップ王配の葬儀では女王が黒いマスク姿で礼拝堂の長椅子に一人ポツンと座って夫を見送りました。

その孤独で悲しげな姿は、世界中の人の記憶に残ります。

エリザベス女王の最期

亡くなる数年前から歩行に杖を使うなどの「移動の問題」が考慮されるようになっており、イベントの欠席も増えていました。

2022年は記念すべき在位70周年をお祝いするプラチナジュビリーの年でした。

サプライズとしてプラチナジュビリーのイベントの最後にバッキンガム宮殿のバルコニーから国民に手を振りました。

人気キャラクターの「パディントン」と一緒にお茶を飲む可愛いサプライズ動画も大反響でした。

▲最後の公務の様子

亡くなるわずか2日前の2022年9月6日、静養先のスコットランド・バルモラル城で当時の新首相リズ・トラス新首相の任命式を行っていました。

杖をつきながらも、笑顔で公務を全うする姿が最後に公開されたエリザベス女王の写真になりました。

その2日後の2022年9月7日、エリザベス女王はバルモラル城で家族に見守られながら96歳で安らかに息を引き取りました。在位期間は70年と214日というイギリス史上最長という記録を残し、その人生の幕を下ろしました。

▲葬儀に先立ち公開された女王陛下のお写真

現在はウィンザー城にある「国王ジョージ6世記念礼拝堂」という場所で、エリザベス女王のご両親や妹のマーガレット王女と共に、フィリップ王配とともに夫婦並んで静かに眠っています。

 

エリザベス女王の生涯を振り返って

いかがでしたか?

今回の原稿はれーこが担当させて頂きました。

エリザベス女王が亡くなった時のことは忘れられません。

わたしたちの世代のイギリス人の友人は「生まれた時からエリザベス女王が居た。居ない生活なんて考えられない」と言っていました。

一人の女性として、一国を率いる女王として強く気高く生きられたお姿は、わたしたち働く女性たちの希望となっているのではないでしょうか。

普段ロンドンでよく使う2022年に開通した新しい路線「エリザベスライン」のパディントン駅に降り立つ度、エリザベス女王を想います。

長きに渡り在位していたため、コモンウェルスも含めると色々なコインが発行されています。

ぜひお手元のコレクションの1枚目は、エリザベス女王のコインからはじめてみてはいかがでしょうか?

 

写真出典:
https://www.townandcountrymag.com/society/tradition/g9075766/queen-elizabeth-life-pictures/