えっ?そんなものに?意外すぎるコインの利用法

イザという時のお役立ち 「軍需物資」ともなる貨幣

貨幣にはその性質から際立った特徴が備わっている。

人々の物の売り買いを媒介し、
全国どこにでも持ち運ばれ長期間にわたって使用されるのである。

この特徴から
古代から貨幣に使われる素材は頑丈で腐食しにくく長持ちするものが多い。

かといってあまりに巨大すぎたり、
頑丈さを求めるあまりかさばるようだと使いにくい。

一国の人口と行政区が広大だと、膨大な量が必要となる。

こうした諸条件から
古代からコインには金属の使用が一般的であった。

しかしこうした丈夫で保存しやすく価値を計る尺度ともなる「貨幣」は
違う側面から見ると「素材」としても非常に魅力的なのである。

歴史上では「物の売り買いの道具」として以外の使用方法も
たくさん生まれてきた。
いくつかユニークなものを取り上げてみたい。

軍需品ともなった五銭、十銭硬貨

近代化政策を取って以降、
日本は軍事的にも大国となり始めていた。

日本の近隣地域への拡大政策は
第一次大戦後の平和志向の中では警戒される面も出てきていた。

すでに不戦条約などで
大っぴらな植民地政策には制限が加えられるようになっており、
大戦後の恐慌を軍事力で打開しようとしても簡単に許される状況ではない。

当時不穏な動きを見せ始めていた日本の軍部の存在もあり
ニッケルなどの重要な軍需物資を日本に輸出するのを危険視する国も出始めていた。

ニッケル

ニッケル

なぜニッケルかという、その素材としての優秀性がある。

金属として鉄と同じく結合力が強く耐腐食性が備わり、
それでいて展性にも富むために、
兵器関係の合金素材として重宝されていたのである。

今でも砲身、砲弾、薬莢といった武器の要となるものに使用されているぐらいだ。

薬莢

薬莢

ニッケルは日本国内ではほとんど産出しない。

こうした物が手に入らないとなると
兵站の観点から障害となるわけである。

歴史上では石油禁輸で苦しめられた話ばかりがよく持ち出されるが、
金属マテリアルも戦争遂行には不可欠なのである。

ただ日本側も対抗策を怠らず、
前もって備蓄を始めると同時に「ニッケル硬貨」の発行を決定する。

なぜニッケルの貨幣かというと、
輸入を継続するための大義名分である。

ニッケルの材質としての優秀さ――摩耗・腐食しにくい、
見栄えが白銅貨よりも良い、融点が高くて加工しにくく、
磁性でも見分けやすいからより偽造防止に役立つ――
から硬貨に採用する国もあったのだ。

つまりニッケルのニーズが高いのは戦争目的ではなく、
平和的な硬貨流通のためと主張できたわけである。

それでいて貨幣だから、
いざという時は回収して軍需生産にも充てられるという遠謀であった。

こうして昭和八年(1933)に貨幣法が改正され、
従来の十銭・五銭の白銅貨はニッケル貨に変更される。

ニッケル貨幣

ニッケル貨幣

知っての通りその後の日本は本格的に戦争にのめりこんでいく。

実際に戦争が激化すると
当初の予定通りニッケル貨は回収され軍用品の生産に回される。
五銭や十銭はアルミ貨、錫貨、紙幣などに置き換えられた。

十銭紙幣

十銭紙幣

 

五銭紙幣

五銭紙幣

金属供出で一般家庭の鍋釜から二宮金次郎の銅像、
お寺の鐘などまで回収されたのはよく知られているが、
巷に流通していた貨幣も実は戦時用の備蓄品として役立ったのである。

供出される寺の鐘

供出される寺の鐘

戦争が長期化するとやはりニッケルも不足しはじめたので、
香港占領で現地のニッケル貨幣を接収したり、
東南アジアの資源地帯を得ることで埋めようとしたのであった。

ちなみに現在でも非常時に備えた物資の備蓄は
国家事業として続けられている。

石油備蓄ばかりが有名だが、
希少金属の備蓄はそれなりに行わている。

ニッケルもその一つであって、
貴重なレアメタルとし国有の備蓄倉庫に保存されているのだ。
民間貯蔵分と合わせて常時二か月分ほど貯蔵するのが目安という。

同じ状況に陥ったドイツ

ドイツは第一次と第二次の主要な交戦国となったのは知られているが、
ドイツは英米系諸国と対立する形だったので、
対ドイツにも禁輸措置が取られた。

実は対応方法も日本と似ており、
事前にニッケル貨幣を発行することで
いざという時の備蓄品にしていたそうである。

法馬金 軍用金としての金塊

武士たるもの、
いざという時には具足と槍を抱えて殿様の下に馳せ参じる……

こうしたイメージがあるが、
実際にそうした「平時の備え」は昔からあった。

特に戦争になるとおびただしい出費が重なるのは
今も昔も変わらない。

緊急時のための軍用金の備蓄は日頃から行われていたのである。
戦国から江戸にかけて日本は金産出が豊富になったこともあり、
黄金を分銅型にして貯蔵していた「法馬金」が有名である。

法馬金のレプリカ

法馬金のレプリカ

法馬金は豊臣政権が軍資金用に作ったのが初とされ、
大きさで種類が分かれる。

最大の大きさを誇る「大法馬金」になると
実に大判二千枚分もあり重量も300キロ以上になったという。

表面には「行軍守城用 勿用尋常費」と彫られており、
文面で分かる通り戦になった時のためである。

豊臣家の滅亡後は徳川幕府によって接収されたが、
現存しているのはサイズがより小さめの物ばかりである。
実は幕府の度重なる財政危機で大法馬金は溶かされたらしく、
現在は拓本のみしか残っていないそうだ。

仏様になったお金

戦争の話ばかりでなく貨幣の平和的な利用も取り上げておこう。

鎌倉の高徳院には有名な鎌倉の大仏がある。
奈良の大仏と並ぶ日本の有名な大仏像だが、
研究の結果その素材の銅は当時流通していた銅銭が転用された可能性が高いという。

鎌倉の大仏

鎌倉の大仏

宋銭

宋銭

その理由は大仏の素材の分析で、
鉛の占める割合が宋銭の比率と同程度に高いことがあげられる。

また当時の宋の史書にも
日本商人が大量の銅銭を持ち帰り「銭荒」となったことが記され、
日本側資料でもトン単位で銅銭を輸入しているのが確認されるのだ。

なにしろ大仏は211トンもの大きさがあり、
完成させようと思ったら莫大な銅地金が必要である。
時は銅が不足気味でもあり国内の銅だけではまかなえない。

また冶金の技術上の理由もあったとされる。
銅そのものの融点は1083°であるが、
鉛はそれよりはるかに低く327°程度で融解する。

大量に銅を必要とするのだから、
鉛を含む銅銭の方が溶けやすくて手間がいらない。
膨大な量を揃える必要があるのでそっちが重宝されたというのである。

おわりに

貨幣を毎日使っていると
それが一般的な「物」であるという意識が薄れてしまう。

歴史上のユニークな貨幣の再利用方法は、
貨幣もまた特定の素材からなる普通の物質だと思い起こさせてくれる。

えっ?そんなものに?意外すぎるコインの利用法アンティークコインギャラリア | 旧ナミノリハウスで公開された投稿です。