エジプトの「救済者」プトレマイオスの恐るべき智略とは?

古代エジプトと言えば四大文明のひとつに数えられ、
周辺地域が文明化して勢力を増してなお、
崇敬を集める大文化であった。

しかし、紀元前7世紀頃からはかつての栄光は翳り、
徐々に衰退していった。

そして、紀元前332年には
マケドニアのアレクサンドロス大王によって
エジプト王朝は滅亡してしまう。

しかし、紀元前323年アレクサンドロス大王の死後、転機が訪れる。
当時、エジプトの太守を任されていたのは
大王の幼馴染にして側近のプトレマイオス。

彼はエジプトを根拠地に
大王のディアドコイ(後継者)として名乗りを挙げて巧妙に立ち回り、
自国を保全、領土を拡大し、
内政を充実させてエジプト文化を復興させるのである。

プトレマイオスの生前の尊号と諡を
「ソーテール(救済者)」という。

プトレマイオスの卓抜した外交手腕

アレクサンドロス大王の急逝後、
幼い遺児を擁した帝国摂政ぺルディッカスと
その反対派の間で抗争が勃発する。

プトレマイオスは反対派に与し、
ぺルディッカスがバビロンからマケドニアに移送中であった
大王の亡骸を奪取してしまう。

そして、メンフィスにミイラとして埋葬して祀り、
既に半ば神格化されていた大王の名声をバックに
堂々とディアドコイのひとりとして振る舞うようになるのである。

敵対していたぺルディッカスは
あっさりと配下のセレウコスらの裏切りにあって命を落とし、
プトレマイオスのエジプト支配の基盤は揺るがないものとなった。

その後、他のディアドコイ達の抗争の間隙を突いて勢力を拡大し、
また、自身を滅ぼしうる存在が出てこないよう
巧妙に同盟関係を操りながら、勢力均衡を目指したのである。

まず、新たに帝国摂政となったポリュペルコンに対し、
小アジアのアンティゴノスと結んでこれを破って零落させる。

アンティゴノスが更に他のディアドコイを撃破して勢力が突出すると、
アンティゴノスにバビロニアを追われていたセレウコス及び
マケドニアのリュシマコスと同盟してガザの戦いでこれを破った。

続いてセレウコスに兵を貸してバビロニアに返り咲かせることに成功する。

後援したセレウコスは期待通りバビロニアの支配権を確立させ、
アンティゴノスの攻撃に自力で耐えられるようになった。

そして、アンティゴノスがそれに手を焼いているうちに
プトレマイオスは東地中海に勢力を拡大させるのである。

この事態に流石にアンティゴノスも業を煮やしたか、
一時セレウコスと休戦し、プトレマイオスを主敵と定めてきた。

サラミスの海戦において、アンティゴノスの子、
デメトリオス率いる海軍の戦術の前にプトレマイオスの海軍は大敗し、
150隻の船のうち、退却できたのは8隻のみであったという。

さらにアンティゴノス・デメトリオス父子は
プトレマイオスが勢力下においていた、要衝ロードス島を攻囲する。

ロードス島はよく持ちこたえ、陥落は免れたが、
プトレマイオス勢力下からは離れ、中立地帯となることを余儀なくされる。

こうして、プトレマイオスを掣肘することに成功したアンティゴノス陣営は
他のディアドコイ討伐に矛先を変更した。

改めてアンティゴノス軍の強さを実感したプトレマイオスは
アンティゴノス包囲網を構築していくことになる。

そして、ギリシアの一部を支配していた
カッサンドロス、リュシマコス、セレウコスと同盟を結び
反アンティゴノス連合が結成された。

これを粉砕せんとアンティゴノス父子はバビロニアに向けて進軍するが、
セレウコス・リュシマコス連合軍の前に敗退。
アンティゴノスは戦死してしまう。

こうしてアンティゴノス陣営が衰退すると、
今度はセレウコスが強大となる。

それに対してはプトレマイオスはリュシマコスと組んで
これと敵対するのである。

紀元前300年時点でのプトレマイオス勢力図

紀元前300年時点でのプトレマイオス勢力図

リュシマコスはセレウコスに敗れて戦死するも、
セレウコスも、かつてプトレマイオスが内紛によって追放した
長子プトレマイオス・ケラウノスによって暗殺される。

こうしてプトレマイオスを滅ぼしうる大敵は姿を消したのであった。

知識人プトレマイオスによる文化活動

プトレマイオスは
幼少期にアレクサンドロス大王と共に
アリストテレスら一流教師のもとに学んだ知的エリートであった。

エジプトを文化の中心地として復興させるには
うってつけの人材であったのだ。

古代最高・最大の図書館であるアレクサンドリア図書館を創設。
収蔵数は70万巻に及び、古代の英知が結集された。

アレクサンドリア図書館想像図

アレクサンドリア図書館想像図

また、最初の学術研究機関であるとも言われる
ムセイオンを創立。
文献学、数学、物理学、解剖学など
広い分野にわたって数多くの成果を出す環境をつくりあげたのである。

また、世界の七不思議のひとつ、
アレクサンドリアの大灯台の建設を命じたのもプトレマイオスであった。

17世紀に描かれたアレクサンドリアの大灯台の想像図

17世紀に描かれたアレクサンドリアの大灯台の想像図

そして、エジプトとは離れるが、
彼の最大の功績のひとつが『アレクサンドロス大王伝』の執筆である。

かの東征に従軍していた彼のこの記述は貴重な一時資料となり、
現代へ大王の功績を伝える一助となったのである。

コインについて

コインページヘ

今回ご紹介するコインは
プトレマイオスがエジプトで王を名乗る以前に発行していた
テトラドラクマ銀貨である。

このテトラドラクマ銀貨は
アレクサンドロス大王が流通させた基軸通貨であり、
ドィアドコイ達も意匠を変えながら発行を行っていった。

片面は象の皮をかぶっているアレクサンドロス大王の横顔である。
象の皮はインド遠征の象徴であろうか。
ギリシア人の習慣、プトレマイオスのやり方から考えるに、
この大王は神格化されてコインを飾っているのだろう。

もう片面はギリシア神話において
知恵や工芸、戦略などを司る女神、アテーナーである。
アイギスの盾と槍を持ち、武装した姿が描かれている。

アテーナーの左側に刻印されているのはΑΛΞΑΝΔΡΟΥであり、
古代ギリシア語表記でアレクサンドロスを表す。

エジプトで王となって以降は
プトレマイオスはテトラドラクマ銀貨に
自分の写実的な肖像を刻印させることになる。

政教一致の色が強いエジプトの王としての威信を示し、
自身への崇敬を集めるための手段であろう。

使えるものは全て使い、
巧みにディアドコイ戦争を乗り切ってエジプト文化を復興させ、
エジプトを「救済」したプトレマイオスは
ディアドコイの中では例外的に天寿を全うする。

真にアレクサンドロス大王の後継者争いにおける勝利者は
彼なのかもしれない。

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