フランスを守った奇跡の少女。ジャンヌ・ラ・ピュセルの物語

それは確かに奇跡だった。

「王太子のもとに赴き、オルレアンの囲みを解いて王太子をランスで戴冠させよ。」

その声はフランスの田舎、ドンレミ村に住む少女の心にそう命じた。

その声はフランスの守護天使ミカエルのものだったとも
聖女マルグリットや聖女カトリーヌのものだったとも言われる。

浪漫の無い解釈としては幻聴だったのではないかともされている。

しかしながら、
この声を聞き、その命じるところに従った少女によって
確かに世界史上に残る奇跡が生じたのは
誰にも否定できない事実である。

この奇跡を起こした少女はその名は名高きジャンヌ=ダルク。
後世、教会によって正式に聖女と認められた
聖人のひとりである。

ジャンヌ=ダルク

ジャンヌ=ダルク

動き出した奇跡の乙女

ジャンヌ=ダルクがその声を聞いた頃、
フランスはイギリスとのフランス領有権をめぐる
百年戦争の真っ只中であった。

15世紀に入るとイギリスは攻勢を強め、
幾度か大勝を収めて
フランス内にその勢力圏を広めていった。

1422年にはイギリス王ヘンリー5世が死去したものの、
同年フランス王シャルル6世も死去。

イギリスは前年に生まれていた王子を
「フランスとイギリスの王」とすべく
王弟が摂政となり、さらに軍を進めていった。

シャルル6世には王太子シャルルがいたが、
父王が大敗したときに結ばれた協定により
王位継承権を剥奪されており、
正式に王位を継ぐ名目を失っていた。

当時、フランス国王を名乗るには
ランスの街で「聖別・戴冠の儀式」を行なう必要があったが、
その街を含めたフランス北部は
既にイギリスの支配下となっている。

王太子はジワジワと追い詰められていた。

シャルル6世死去前後のフランス勢力図

シャルル6世死去前後のフランス勢力図

イギリス軍は一気に事を決しようと1428年、
王太子派の要衝オルレアンに向けて軍を発した。

ここを取ればイギリスは磐石の体勢で戴冠式を挙行でき、
ここを守ればフランスはなんとか力を保つことができる。

運命のオルレアンの攻囲戦がここに開始されたのだ。
そして、少女は「声」の命ずるままに動き始めた。

彼女は17歳であった。

ジャンヌ=ダルクは村近くの要塞を守る守備隊長を説得すると
護衛を連れてシャルル王太子のいるシノン城へ向かい、
謁見に成功した。

ジャンヌの話を聞いていた王太子は
わざと側近の中に紛れていたが、
彼女はすぐに見抜いたという。

「気高き王太子様、
私はジャンヌ・ラ・ピュセル(聖処女ジャンヌ)と申します。
天の王が私を通じて、
あなたがランスの街で戴冠され、
王位に就くことを命じておられます。」

当時王太子は26歳。
不遇の生活を囲っていた彼はこの言葉に衝撃を受け、
奮い立った。

念のために聖職者達にジャンヌと問答をさせたが、
彼女の答えはただの村娘にはありえない完璧さであったという。

1429年4月、
フランス君主の信を得たラ・ピュセルは司令官として軍を率い、
オルレアンを救うべく進発した。

攻囲戦は7カ月を越え、
既にオルレアンの食料は枯渇し、
いつ陥落してもおかしくない状況であった。

甲冑に身を固め、
馬上で純白の旗を掲げたジャンヌ=ダルクは
包囲の隙間をくぐり、無事にオルレアンに入場した。

神の使いである乙女がやってきた、と町中が出迎え、
地に墜ちていた士気が活力を取り戻したのである。

そこからオルレアン勢の反撃が始まる。
ジャンヌの姿は兵達に勇気を与え、フランス軍は奮戦した。

イギリス軍が近くに築いていた砦を奪取して初勝利を挙げると、
残る砦も次々と攻略した。

オルレアンの戦い

オルレアンの戦い

オルレアン周囲の要所を全て奪回されたイギリス軍はついに撤退する。
オルレアンは解放されたのだ。

栄光の戴冠式と暗転

ジャンヌ=ダルクはまだ立ち止まらなかった。

ランスで戴冠式をシャルル王太子に挙げてもらわねばならぬのだ。

しかし、負け癖がついていたか、
王太子周囲はオルレアンでの勝利に満足して消極的であった。

これを彼女は説き伏せ、
ランス奪回へ向けて軍を率いて出発したのである。

オルレアンでの勝利を聞いて、
続々と各地から援軍が集まってきた。

イギリス派であった諸侯の一部ですら離反してフランス軍に加わった。

ジャンヌ率いるフランス軍は
これまでの劣勢が嘘だったかのようにイギリス軍に大勝し、
ランスへ至る街を怒濤の勢いで攻略していった。

そして、ついにランスを奪回、
お膳立てを整え、シャルル王太子の到着を待った。

1429年7月17日「聖別・戴冠の儀式」が厳粛に執り行われた。

シャルル王太子は正式に即位し、シャルル7世となったのである。

預言はここに達成されたのだ。

ランスでの戴冠式

ランスでの戴冠式

しかし、それ以降、ジャンヌ=ダルクの運命は暗転する。

主導権を握りたいシャルル7世は彼女を疎ましく思い始め、
司令官でなく、一武将として戦場に派遣するようになった。

とあるイギリス派の諸侯を攻撃する戦いで、
退却し損ねたジャンヌは捕らえられ、
最終的にイギリス軍に引き渡されてしまう。

全てをひっくり返され、
彼女を憎むこと甚だしいイギリスは宗教裁判にかけ、
魔女と断罪した。

1430年5月30日、
ジャンヌ=ダルクは火刑に処された。

彼女は毅然としてそれを受け入れ、
信仰を叫びながら昇天したという。

19歳であった。

コインについて

フランス王 シャルル7世 1423年 金貨

フランス王 シャルル7世 1423年 金貨

今回ご紹介するコインは
ジャンヌ=ダルクが戴冠させた
フランス王シャルル7世が1423年に発行させた金貨である。

おそらくエキュ金貨とよばれるもののひとつであろう。

エキュ金貨は1266年に当時のルイ9世が発行させて以来、
フランス革命に至るまで発行され続けた。

エキュとは盾の意味であり、
発行者の紋章となっている盾が意匠となっているところから
コインの名となった。

片面はエキュ金貨の名のとおり、
フランス王家ヴァロワ朝の紋章となる盾が描かれている。

盾のなかにいくつかある模様は
フルール・ド・リスと呼ばれる
アイリスの花を様式化したものである。

フルール・ド・リスはヨーロッパで広く紋章に採用されたが、
特にフランス王家との関わりが深く、
歴代王朝はこの模様を愛用し続け、
フランス王権の象徴のようになっていった。

もう片面は四葉のクローバーに十字架がデザインされている。

キリスト教圏では四葉のクローバーは
十字架に似ていることから古来より幸運の象徴とされてきた。

1423年と言えば
シャルル7世が不遇の時代を過ごしていた時期である。

数年後、奇跡のような幸運が訪れるとは
彼は予想もしていなかったに違いない。

 

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