フランス影の女王、華麗なるポンパドゥール侯爵夫人

ポンパヘアやポンパといった髪型を
少なくとも聞いたことはあるだろう。

正式にはポンパドゥールと言い、
一般に前髪を高くあげて額をだし、
頭頂部で膨らみをもたせ、
後頭部でまとめた髪型である。

この髪型の由来はとある女性にある。

その名は
ジャンヌ=アントワネット・ポワソン・マルキーズ・デ・ポンパドゥール。

ポンパドゥール侯爵夫人、
通称ポンパドゥール夫人である。

彼女はルイ15世の公妾として寵愛を受け、
公妾を辞めたあとも王の友人として権勢を振るった。

ルイ15世が恵まれた知性は持つものの
政治に無頓着であったこともあり、
この時代のフランスの政治史は
彼女を中心に語られることが多い。

そんな彼女の華麗なる遍歴を少し覗いてみよう。

予言の娘

「この子は将来国王の愛妾になる」
ジャンヌ=アントワネットの母、
ポワソン夫人があるとき占い師に
9歳になる娘の行く末について尋ねたときの答えである。

平民で、高級娼婦紛いのことをしていた母はこれを信じた。

もしくは信じたかったのかもしれない。

これより後、
娘には「国王の相手」にふさわしい女性になるよう
徹底的に礼儀作法・教養をたたき込むことになった。

15歳の知性あふれる
美しい娘に成長したジャンヌ=アントワネットは
徴税請負人のシャルル=ギヨームと結婚する。

当時においては結婚することで
社交界で自由な行動をとることを
許されるのであった。

24歳になったあるとき、
彼女は王の主催する公式舞踏会に
出席するというチャンスを得た。

そこで、
ルイ15世の気を惹くことに見事に成功し、
王の愛人としての第一歩を
踏み出したのである。

ルイ15世

ルイ15世

公の愛人、公妾として
ヴェルサイユ宮殿に入るには
相当の身分がなければならない。

王は彼女が
ポンパドゥール侯爵夫人の爵位を手に入れるよう
手続きを行なった。

これ以降、
ジャンヌ=アントワネットは
ポンパドゥール夫人として生きていくことになる。

華麗なる事業

彼女は愛妾として王を楽しませるため、
王の居する城館に劇場をしつらえ、
芝居やバレエ、オペラをはじめとして
様々な娯楽を提供した。

彼女自身、
女優としての教育も受けてきたので
出演することもあったほか、
芸術家たちのパトロンともなった。

現代フランスの洗練された文化様式は
彼女に拠るところが大きい。

夫人は自分の居室や別荘を
美しい家具や絵画で飾ることに熱中した。

その世界の巨匠を招き、
共同で作品を製作することすらあった。

彼女は王の関心を惹くため
様々な事業を進めたが、
特に歴史に残っているものがふたつある。

ひとつが陸軍士官学校の創設である。

軍を志すが、
貧しいか親がいないために就学が困難な
貴族の子弟のためのものだ。

この陸軍士官学校の建物は今も残る。

かのナポレオン・ボナパルトも
若き日にここで学んだことが知られている。

もうひとつがセーヴル陶器の隆盛だ。

良質な陶器を手に入れるには
ドイツや中国、日本から
輸入しなければならないことを
憂慮していたポンパドゥール夫人は
王を動かして
パリ郊外の工場に陶器製造の特権を与えた。

1804年に焼かれたセーヴル陶器

1804年に焼かれたセーヴル陶器

人材を集め、
製造工程を改善し、
作品の質を向上させた結果、
これまた現代に残る良質なセーヴル陶器が
生産されるようになった。

この功績を讃え、
彼女のために新たな地色が著名な化学者によって創られた。

これを「ポンパドゥール・ローズ」という。

この色は様々な芸術作品に使われたが、
「ローズ・ポンパドゥール」という
そのものずばりの名を冠したバラの花まであり、
現代日本でも容易に手に入れることができる。

直接的ではないが、
パトロンとして関わった事業に「百科全書」の製作がある。

ディドロ、
ダランベール、
ルソー、
ヴォルテールらが参加した
この試みは20年あまりかけて達成された。

 

ポンパドゥール侯爵夫人。左手のところにある大判の書物は「百科全書」の1巻

ポンパドゥール侯爵夫人。左手のところにある大判の書物は「百科全書」の1巻

特にヴォルテールは
夫人と親しい友人同士であったことが知られており、
彼女の知識階級への理解のほどが偲ばれる。

影の女王

政治の世界で彼女が有名なのは
それまで宿敵であったハプスブルク家率いる
オーストリアとの和解と同盟であろう。

これは外交革命とまで呼ばれる大事件だった。

オーストリアの外交官が
ポンパドゥール夫人と接触して実現させたとされる。

仮想敵国はイギリスとプロイセンである。

特にプロイセンのフリードリヒ2世は
オーストリアの「女帝」マリ・テレジア、
ロシア女帝エリザヴェータ、
そしてフランスのポンパドゥール夫人の
女性3人に包囲され、
一時破滅寸前にまで追い込まれることになる。

フリードリヒ2世は
自らの犬にポンパドゥール夫人と名付けるなど、
彼女を蛇蝎のごとく嫌っていたのも無理のないことであろう。

ポンパドゥール侯爵夫人はその生涯を通じて、
まさに、ルイ15世の影であった。

コインについて

【PCGS MS62】フランス バイヨンヌ ルイ15世 1754年

【PCGS MS62】フランス バイヨンヌ ルイ15世 1754年

今回ご紹介するコインは
1754年に発行されたルイ金貨である。

この金貨には代々ルイを名乗った
フランスブルボン王家の肖像が入り、
単位は定められていない。

便宜上1枚を1ルイなどと呼ぶ場合もある。

片面はポンパドゥール夫人を寵愛した
ルイ15世の横顔が刻印されており、
周囲にはLUD.XV.D.G.FR.ET NAV.REXの文字がある。

これはラテン語で
「ルイ15世、神の恩寵を受け、フランスとナバルの王」
というような意味となる。

もう片面は中央に
ブルボン朝の紋章をもとにした意匠が
刻印されている。

周囲にはCHRS.REGN.VINC.IMPE 1754とある。

これもラテン語であり、
略語を展開すると
Christus regnat, vincit, imperat
となり、
「キリストが君臨し、征服し、統治する」
という意味に読める。

1754は鋳造年である。

紋章の真下にあるLの文字は
どこで造幣されたかを示すミントマークというものであり、
Lはバイヨンヌで鋳造されたということを表す。

1754年は
ポンパドゥール夫人がルイ15世の公妾を退いて
しばらくした頃である。

しかし、彼女は王の友人として側にあり、
隠然たる力を持ち続ける。

ルイ15世の横顔の奥に
夫人の姿が見えてくるように思えてならない。

 

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