江戸のCEOシリーズ「徳川吉宗」

江戸時代にもCEOは、いた!
(最高経営責任者:chief executive officer)

彼らの経営戦略とは?
金融、財テク、投資など、
彼らの資産運用とは!

テレビ時代劇の黄金期を支えた脚本家の一人が、
新たな切り口、モチーフとして
経済を取り上げ、
わかりやすく解き明かす
「江戸のCEO」シリーズ!

第1回は、
ご存知「暴れん坊将軍・徳川吉宗」!

江戸時代中期の幕府、
日本の舵取りを行った
江戸のCEO
シリーズ第1弾!

今回のキーワード:「インフレ」「デフレ」「リフレ」

徳川吉宗の評判

とある学校の歴史試験の中で
「徳川幕府8代将軍
吉宗の別名を何将軍といったか?」
という問題が出た。

一番多かった答えは
「暴れん坊将軍」であった。

暴れん坊将軍

暴れん坊将軍

『暴れん坊将軍』(1978年~2002年)は、
テレビ朝日系で放送された
時代劇シリーズのタイトルである。

ⅠからXIIのシリーズ全12作と
スペシャル3本を合わせた放映回数は計832回。

同じ俳優(松平健)が演じた単一ドラマとしては、
大川橋蔵の『銭形平次』888回に次ぐ長寿番組である。

もちろん学校の試験であるから冗談は通じない。
設問者が定めていた正解は
「米将軍」であった。

時代背景 インフレとデフレ

徳川吉宗は、
享保の改革(1716年~1745年)
を行った江戸幕府中期の将軍として
歴史の中に、その名を残している。

享保改革では、
大きく分けて3つの政策がとられた。

1、収入の増加
2、支出の減少
3、体制・機能の強化

日本経済は、この時期、
先の将軍の豪奢な生活や浪費、
各地で発生した大火や風水害などで
収入は減少し、支出が拡大していた。

財政赤字の拡大が止まらず、
逼迫した経済状態に陥っていたのである。

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需要と供給のバランスが崩れることで
インフレとデフレが起こる。

商品が少なければ値段が上がり、
通貨の価値が下がるインフレとなる。

この頃、主要な輸入物資、
絹や薬などの国内自給体制は、
まだ確立されていない。

鎖国政策の中でも、
生糸、朝鮮人参、砂糖などが輸入され、
豊かであった国内産の金銀銅の金属資源は、
その代価として国外へ流失し続けていた。

一方、地域でも貨幣経済が発展し、
金銀銅の原料と、
それを元にした通貨不足が起こっていた。

前政権は、通貨不足の対策として、
金属の含有料を落とし、
価値を下げた貨幣を創り、
その流通量を増やした。

災害などでの物不足、
新貨幣で通貨としての価値が下がった。
インフレが発生する要因が揃い、
そうなったのである。

政権を引き継いだ吉宗は当初、
倹約による財政緊縮、
支出の減少を重視した。

すなわち、
買い控えである。

その結果、巷で物が売れない。
商品が過剰になり、値が下がり、
通貨の価値が上がるデフレに変動した。

風は、風上から風下へ
水は、上流から下流へ
何事も上から下へ伝わって行く。

お上の買い控えで、
江戸の経済は、深刻な打撃を受け、
街に活気なく、火が消えたように
経済は鎮静した。

吉宗のマネー政策

吉宗は2度、貨幣の改鋳を行っている。
最初は金の含有量を増やし、
既に流通している小判などを回収して作り直す。

通貨の量を減らし、価値を上げ、
デフレに誘導する狙いだ。

2度目は逆に金の含有量を減らし、
通貨の量を増やし、価値を下げて
デフレからインフレに導く狙いだ。

緩やかな金融緩和政策
リフレーション政策(リフレ政策)である。

これは上手くいった。
当時の日本経済に好影響をもたらし、
歴史上数少ない効果的な改鋳であると、
今も積極的な評価を受けているのだ。

そして、この時に制定された金銀貨は、
その後80年もの間、安定的に流通したのである。

米が経済を左右する

鎖国の中でも、国内に持ち込まれていた
生糸や朝鮮人参などは、
必要品ではあっても必需品ではない。

求めない者にとっては、
贅沢品であり、嗜好品である。

それでは、当時の日本人にとって
なくてはならない物、必需品とは何か?

それは、お米である。

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農村、漁村、町家、
江戸の長屋やお店で暮らそうが、
城や藩邸で過ごそうが、
生きる人としては同じ
米は、生きていく上での必需品である。

そして米は税であり、賃金でもあった。
農民は米で年貢を払い、
武士は年貢から扶持米を貰い、
町人に売却して生計を立てる。

米価の乱高低が領民・庶民を苦しめ、
武士の生活を不安定なものにしていたのである。

米価の調整は、
幕府にとって長年の懸案であり、
悩みの種であったのだ。

米将軍、名前の由来

そこで吉宗は、様々な米価対策を講じた。

1、町人請負方式による新田開発を解禁した
2、禁止されていた米切手の転売を認めた
3、大阪表から入ってくる米の量を抑えた
4、江戸にある全ての米の買い上げを行った
5、買上米の販売調整をした

享保16年(1730年)に
吉宗が行った米の買い上げは、
江戸で18万両、
大阪では60万両もあったのだ。

このような米の調整に腐心し、
実績を残したことで、
吉宗は、米将軍とも呼ばれているのだ。

だが彼は、もっと凄いことを初めた。
それは、当時の人々の暮らしに深く関わり、
今も私たちの経済に関わる、
画期的な、全世界初の試みなのである。

 

(どらま作家・蔵元三四郎)

江戸のCEOシリーズ「徳川吉宗」アンティークコインギャラリア | 旧ナミノリハウスで公開された投稿です。