江戸時代、貨幣は誰が、どのように作っていたのか?(上)
金座絵巻、石川や
江戸時代の金貨を造幣する工程を描いた絵巻の1つ
「金吹方之図(かねふきかたのず)」(文政9年/1826年)
この絵巻の中に、ひと際目を引く、
中々衝撃的な絵がある。
この絵巻は上下2巻。上巻最後にある図絵
「金座吹屋金吹職人共御用済帰り之節改を請る図」
素っ裸になった金座の職人たちが、
冷めた目をした役人たちの監視を受けながら、
身体検査を受けているのである。
頭や口や股の間に、作業中に触れた
金を隠して持ち帰りはしないかと、
厳しい改めを受けている図絵なのである。
平成の世でも、造幣局の職員が
検査未済の500円白銅硬貨の入った
貨幣袋(1袋2,000枚入り)4袋を持ち出し、
3,080枚(1,540,000円相当)を領得した。
自分のモノではないが、目の前に、
己の自由になる金品があれば、
邪な気がフラフラと漂い、
着服・横領・窃盗という悪事へ流される、
人には切ない慾と悲しい性がある。
石川五右衛門が辞世の句で歌ったように
「浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種は尽きまじ」
いつの時代にも、職務の中でも
不正を行う不届きな輩がいて、
それを監視する目は、厳しいのである。
金座とは何か?
江戸時代の貨幣の制度は、
金貨、銀貨、銭貨からなる三貨制度であるが、
幕府が直接、これらの貨幣を鋳造、造幣したわけではない。
金座、銀座、銭座とよばれる機関を組織し、
それぞれの座に、それぞれの貨幣を鋳造させたのである。
その中で金座は、大判を除く、金貨全ての鋳造を
独占的に請け負う特権を与えられていた。
大判を除くとは何か? ということであるが、
大判作りは常設ではなく、需要が生じれば、
大判座とか、判金座と呼ばれる座を
臨時で開設して大判を作ったということである。
金座の特権は独占的で、
金貨小判の鋳造だけでなく、金の鑑定も行っていた。
幕府直轄の鉱山はもちろん、
諸大名支配の鉱山から産出された金も、
金座で品位の鑑定を受けなければ、
上納金として幕府へ差出すことは出来なかったのである。
その他、金貨鋳造業務に関連する事々全て、
金貨の包封、新旧金貨の引替え、
金の買収や取締まりなども金座で行ったのである。
要するに、日本全国、海外から届いた金も、
金座に集められ、ここを通過して行ったということである。
この金座は、今の東京
日本橋本石町の日本銀行本店がある敷地にあった。
江戸幕府成立当時から続く、この金座跡地には、
400年以上もの間、片隅や隙間に、塵と埃と、
金が積もり溜まっていた。
明治23年(1890年)に始まった
日銀旧館本館の建築工事中、
金の粒が相当量、採取されたのである。
現在、日銀正面玄関入口には、青銅製の紋章が飾ってある。
2頭の雄ライオンであるが、こやつら
この場が金座であった証、
6個の千両箱を踏み台にしているのである。
ちなみに2頭で抱えているマークであるが、
これは日本銀行のシンボルマークで、
「めだま」という、そのまんまのネーミングである。
金座の絵巻あれこれ
「金吹方之図」は、
国立公文書館のデジタルアーカイブで
絵巻をそのまま紐解くように
55図全て、Web上でも見られるのである。
他の金座絵巻でもそうであるが、
描いてある屋敷内の様子は、場面それぞれが入り混じり、
金貨鋳造の工程も、実際の順番通りにはなっていない。
作業の様子は、
順序不規則に描かれているのである。
機密保持のためであり、添付の訳書(解説書)が
製造工程謎解きのマニュアルになっているのである。
セキュリティ、秘密保持は、
当時も、それなりに厳重なのである。
金座の内部
金座屋敷は、3つに分かれていた。
御金改役・後藤家の「役宅」
金貨の地金を製造する「金座人役所」
地金から金貨の成形を担当する「金吹所」である。
1日の貨幣鋳造高が5万両程度だった場合、
職人の数は、400~500人程度だったようである。
普通に暮らす町人が、金が大量にある現場から
仕事を終えて出て行くのも大変であるが、
善良な人間であることを証明して、
入っていくのは、もっと大変なことである。
金座の職人として雇い入れてもらうためには、
血判起請文を提出せねばならない。
起請文には、
貨幣の製造方法、発行高等を口外しないと書いてあり、
これは、自分が信仰する神様仏様各位を列挙しての
神仏とのお約束であるとしている。
お約束を破れば、怖いお役人様たちからだけでなく、
これら神仏の皆様による
神罰冥罰もお受けせねばならぬのである。
この覚悟、お約束をした上で、職人には
出入りの鑑札と弁当箱が交付される。
鑑札は木製であり、
金座職人のものは丸枠に「金」の焼印、
吹所職人のものには丸枠に「吹」の焼印で、
弁当箱にも同じ焼印が押してあるのである。
金吹方之図の下巻トップを飾る図絵
「鑑札改之図」には、
職人たちが出勤する様子が描かれている。
採用された職人は出勤すると、中門番に鑑札を提示し、
照合を受けて、鑑札を小役人に渡し、
弁当を持参して入場したのである。
構内に入れたら、まず自服を脱ぎ、役服に着替える。
弁当箱を手に、裸で移動である。
この役服、熟練の年功者は茶だが、
並は浅葱色、囚人服と同じである。
背には鑑札の焼印と同じ
「金」と「吹」の職場区分けのロゴマークがある。
ちなみに、この浅葱色、当時の流行りで、
また、ドラマの切腹場面の着衣は白になっているが、
実は浅葱色着用が正式な切腹の作法なのである。
このような厳重なチェックと
作業者同士による相互監視体制の元、
貨幣鋳造工程が行われるのである。
後半へ続く
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