金鉱脈を発見せよ! オーストラリアを作ったゴールドラッシュ

「ゴールドラッシュ」といえば1848年以降のアメリカを思い出すだろう。
しかし、オーストラリアでもゴールドラッシュが発生していたのである。

金の露天掘りの様子を描いた切手

金の露天掘りの様子を描いた切手

ゴールドラッシュにより、世界中から人が集まり、
街ができ、都市が拡大し、オーストラリアは急激に変化した。
そんな世界第二のオーストラリア=ゴールドラッシュについて今回は見ていこう。

オーストラリアは1770年、
イギリス人ジェイムズ=クックによって「発見」されて以降イギリスの植民地となった。
当時イギリスは囚人や失業者を
労働力確保と流刑を兼ねて大量に「新大陸」に送り出していた。

当初は北米植民地に送り出していたのだが、
アメリカが独立を期に受け入れを拒否するようになり、
その代替地としてオーストラリアに目が向けられることとなる。
この地への西洋人の流入はこうして始まった。

1836年までには現在の五大都市
シドニー・メルボルン・ブリスベン・パース・アデレードは
すべて建設されていたようである。

開拓は依然進行中であったが、
奴隷制と囚人移送の廃止によって労働者が不足し、
今度は大量の中国人契約労働者が流入してくるようになった。

シドニー西北西約260kmで砂金発見さる!

との報が駆けめぐったのはこの頃の話である。

 

オーストラリア地図

オーストラリア地図

 

噂からでた真

1851年1月、
エドワード=ハーグレーヴズ、ジョン=リスター、トム=リスターという男達が
オーストラリアのニューサウスウェールズ州にやってきた。
彼らはアメリカのゴールドラッシュに惹かれて渡米したものの失敗した英国人たちだった。

ここにやってきたのは
この地がアメリカのゴールドラッシュの地カリフォルニアに似た地形で、
金が採れるに違いないとの噂を聞きつけたからである。
それは何の根拠もないものだったが、彼らは本当に砂金を発見してしまったのだ。

これが宣伝され、オーストラリアのゴールドラッシュは始まった。
8月にはヴィクトリア州のバララット近郊でも金鉱が発見され、
ラッシュは更に加速した。
金を求めて世界中から次々に人が集まり、実際金鉱も相次いで発見される。

バララットのテント村

バララットのテント村

ピーク時には毎週1万人以上の人々がメルボルン港に入港、
1850年から1860年の間にニューサウスウェールズ州の人口は
187000人から350000人に、
ヴィクトリア州の人口に至っては77000人から540000人に激増した。

人々は莫大な富を得、州政府も多くの税金を得た。
ヴィクトリア州の州都メルボルンには今も残る
多数の虚飾に富んだ建造物が建築された。
メルボルンはこの時代に完成したといって良いだろう。

その後もゴールドラッシュは散発的に続く。
1870年代にはクイーンズランド州で金鉱が発見されてラッシュが起こる。

そしてノーザンテリトリー準州や西オーストラリア州は
1880年代に金が発見され始めるとラッシュが終わりつつあった東部を尻目に
1890年代に最盛期を迎え、西オーストラリア州は急速に発展した。

ゴールドラッシュがもたらしたもの

オーストラリアでは砂金が比較的長期にわたって採れ、
坑夫一人当たりの割当地も狭かったので、比較的平等に金の富は分配され、
全体的な生活水準の向上につながった。

また、人口の増加やそれにともなう労働力の増加、
税収の向上などにともなって都市のインフラも整備された。
更に経済力を背景に本国イギリスから各州が自治植民地として認められ、
高度な自治を手にするようになった。

また、英国人だけでなく、
他の欧州人や中国人など様々な文化的背景をもつ人々がこのときに集結した。
歴史的に紆余曲折はあったものの、
現在のオーストラリアの採る多文化主義政策の背景はこの時代にできあがったのだ。

オーストラリアという国の原型はゴールドラッシュによって作られたといえよう。

オーストラリア人の学生

オーストラリア人の学生

コインについて

NGC オーストラリア ドラゴン エリザベス2世 2000年 100ドル 金貨

NGC オーストラリア ドラゴン エリザベス2世 2000年 100ドル 金貨

今回ご紹介するコインは
2000年に、パースにあるパース造幣局で発行された100ドル金貨だ。
通称干支金貨である。

パースは西オーストラリアの州都であり、
1890年代、この地のゴールドラッシュによって発展した街だ。

パース造幣局は1899年にイギリス王立造幣局の支局として設立された。
その後オーストラリア独立を経て、
現在ではオーストラリア連邦政府から
金・銀・プラチナの法定貨幣発行権限を与えられている。

コインの片面はエリザベス2世現イギリス女王の横顔である。
オーストラリアはイギリスから独立したのだが、立憲君主制をとり、
その君主はエリザベス2世なのだ。
彼女がオーストラリアにやってくると、
その立場はイギリス女王ではなくオーストラリア国王となる。

横顔の周囲には英語でエリザベス2世の名、
オーストラリアの国名、100ドルであることが書かれている。

もう片面は十二支の辰になぞらえた龍である。
2000年は辰年であり、それを記念して発行された。
干支金貨はオーストラリア以外でもカナダ、イギリスなどで発行されているが、
発祥はオーストラリアの1996年子年金貨である。

龍の足を見ると5本指になっている。
もともと龍は5本指であるのだが、龍は中国皇帝の象徴であったことから、
かつて他国では指を少なくして描き、中国皇帝の権威を尊重したとされる。
実際、日本でも3本指の龍を良く見かける。

その影響か、現在でも龍は5本指で表現されることは少ない。
かの漫画「ドラゴンボール」に出てくる神龍の指も3本である。

ゴールドラッシュに沸き、様々な文化が流入したオーストラリア。
干支金貨はその象徴とも言えるコインなのではなかろうか。

 

購入ページヘ

金鉱脈を発見せよ! オーストラリアを作ったゴールドラッシュアンティークコインギャラリア | 旧ナミノリハウスで公開された投稿です。