落語の中に登場する小判はこんなにあった!
落語の登場人物は、
長屋住まいの庶民が多い。
当然、「貧乏」という設定である。
なので、小判やお金にまつわる噺(はなし)も多い。
これらの噺の大抵は「棚から牡丹餅」
「牡丹餅で腰打つ」類の
幸運が、向こうから突然舞い込むのである。
例えば、貧乏人は富くじに当たるのである。
落語には、富を扱う代表噺4つがあり、この
『宿屋の富』『水屋の富』『富久』『御慶』は、
いずれもお金で苦労していた御人が、突然、
賞金の千両を当てるのである。
『宿屋の富』は、宿に逗留中の実は貧乏なホラ吹き男が
ナケナシの金1分で富を買わされて千両を当てる。
『水屋の富』では、
天秤棒担いで水を売っていた男が千両当ててしまい、
隠し場所に悩んでノイローゼになる。
『富久』は、
酒で仕事をしくじった幇間(太鼓持ち)が火事に遭い、
神棚に供えていた富くじが千両富に当たっていたのに
燃えちまったよ! という騒動。
『御慶(ぎょけい)』は、
暮れの支払いも出来ず米味噌醤油も切らし、
女房の半纏を質入れして買った富札で千両当てた男の噺。
このように、貧乏人ほど良く富に当たるのである。
もちろん落語の中の噺ではあるのである。
タナボタの中身
千両と云えば、
千両箱のイメージがポンと浮かぶのである。
盗賊が担いで逃げるアレである。
箱の中には黄金色に輝く菓子(賄賂)が、
ぎっしり詰まっているイメージである。
当選千両は、この小判がぎっしり詰まった
あの箱1つを貰えるということなのであろうか?
どうも、違うようなのである。
『御慶』の噺では、
来年まで受け取りを待つと千両そのまま貰えるが、
即金の今お持ち帰りであれば、2割引きの
八百両しか渡せないと、告げられる。
その日暮らしの貧乏には八百両でも充分過ぎると、
その場で受け取る、この大金なのであるが、
柳家小さんの落語では、
一分銀百枚、二十五両の包みで計三十二個になる。
この1分銀100枚で25両という計算、
非常に、わっかりにくいのであるが、
当時の貨幣の単位、両・分・朱は
4つで1になる四進法なのである。
金と銀の使い分けがあるので
また、ややっこしいのではあるが、
金銀の違いを忘れ、1分4枚で1両だから、
100枚の1分で25両になるのである。
ま、そんな解説でも、つぅんまらないのであるが、
とにかく、切餅32個に姿を変えても
3,200枚の一分銀の重さは変わらず、
総量ざっと27~8㎏になるのである。
ポケットのない着物の中のあちらこちらに押し込めて
薄着の全身を財布にして持ち帰るのでは大変である。
ちなみに、一分銀が最初に作られたのは
天保八年(1837年)、江戸時代の末である。
それまで秤量貨幣だった銀が、額面が記載された
表記貨幣になった最初の銀貨なのである。
そして、この一分銀の包みが、
小判の包みを切餅と呼ぶ由縁なのである。
富くじ賞金は銀払いか、金払いか?
三代目古今亭志ん朝の『御慶』では、
受け取る金は八百両で変わらないが、
小判の五十両包で、ただし二十五両包が六個混じるとなる。
小判八百枚だとその重さは、天保小判で約9㎏になる。
それ以前の元文小判や文政小判で約10.5㎏である。
銀貨で貰うより三分の一程度に軽くなったのであるが、
小判でも、薄着の全身財布で持ち帰るのは大変である。
もっとも、大金を懐にすれば、
身も心も軽くなるのは、
経験しなくても、誰しも想像は出来るのである。
金持ちの所業
お金が沢山あると重いので、ばら撒いたり
投げ捨てたりしたくなるのが、
貧乏人には理解しがたい金持ちの人情・激情のようである。
上方落語『愛宕山』に登場する京都の旦那は、
【かわらけ】の代わりに崖の上から小判20枚を谷底の的に投げ込み、
「これが本当の散財、胸がスッとした」
などと、のたまわれる。
『莨(たばこ)の火』では、
木場の大金持ち・奈良茂の「あばれ旦那」は、
千両という「ホコリ」が溜まると、
江戸に捨てに来るのだと大番頭がほざいて、
柳橋で豪遊した、この旦那の正体を明かす。
『千両蜜柑』では、
病気になった呉服屋の若旦那のためとは言いながら
夏場のミカン1つを千両で買う大店の見栄噺が根底である。
猫に小判も
猫に小判とは、価値の分からない人を猫に例え、
貴重なものを小判に見立て、
それをそれに与えても、
何ァんの役にも立ちゃしないという意味である。
ところが、である。
落語に登場する猫は、
小判の価値を重々承知しているのである。
『猫の恩返し』に登場するコマは、
世話してくれている棒手振りの金さんに、
「猫に小判てえことがあるから、
どっかへいって三両の金を都合してこいやい」
と、酔いに任せた依頼を承知する。
タマは健気に三両を都合してくるのであるが、
欲深く、その金で酒乱となった金さんに再度唆され、
結局、盗みの咎で殺されてしまうのである。
『猫の皿』に登場する茶店の猫は、
天下の名品・柿右衛門の皿を餌入れで使っている。
そのため、皿とセットと思わせる猫には、
常に、二両の値が付くのである。
猫に小判と云いながら、
人間が狡賢く、猫を利用して小判を得ているのである。
このように、市井に生きる人や人情を描く落語には、
小判は、ツキモノなのである。
コインについて
今回ご紹介する小判は、安政小判である。
「正」字が打印されており、正字小判とも呼ばれている。
幕末の黒船来航により、幕府は開港開国を迫られ、
日本貨幣と西洋貨幣との交換比率も定めた。
様々な問題が生じ
対応策として生まれた安政小判である。
当時、小判の鋳造量は衰退しており、
この小判も、僅か3ヶ月足らずで鋳造停止となり、
直ちに回収され、ほとんど世間に流通しなかったのである。
そのため、現存数は稀少で、
江戸後期に鋳造された小判でありながら、
その価値は、非常に高いのである。
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