ねずみ小僧は千両箱を持って走れるのか!?検証してみた

「御用だッ! 御用! 御用!」
夜、江戸の町。
御用提灯に照らされて屋根の上を逃げる盗賊!

(ちょっと待て!
その箱、重くないのか? 中身はカラか?)

千両箱の重さは?

映画やテレビの時代劇を観ていると、
素朴な疑問が浮かぶことがある。

その代表が、
盗賊が担いで逃げる千両箱の扱いである。

盗んだ千両箱を軽々と担いだり、小脇に抱えたり、
屋根瓦の上を飛んだり跳ねたり走り回り、
お堀や川や池の中では、
まるで千両箱を浮き輪にように扱い、
泳ぎ渡ることもある。

「担げるのか?」
「溺れるだろ?」
と、突っ込みたくなるのである。

つまり、
中身が詰まった千両箱は、どれほどの重さがあるのか?
という疑問というか、疑いである。

この素朴な突っ込みに答えを見い出す前に、
押さえておかねばならぬ
小判が生まれてから歩んだ歴史と
その素性を詳らかにする知識が必要である。

小判の眼目

まず、江戸時代の通貨は、
金・銀・銭の「三貨」で成り立つ。

次に、
金貨の基準となるものが小判である。

小判1枚の価を1両とし、
2分の1が「二分判金」、
4分の1が「一分判金」となる。

その下に「朱」があり、
「二朱金」8枚で1両、
「一朱金」16枚で
1両小判に替えられるという仕組みだ。

すなわち金貨の両・分・朱は、
四進法の計算貨なのだ。

金貨には大判というモノもあるが、
儀礼的な贈答用であり、通貨とは言い難い。

大判を買うには幕府への届出が必要だ。
通貨として使おうとすれば
お役所にお伺いを立てねばならぬ。
至極、扱い不便、面倒な代物である。

江戸と大阪では
「江戸の金使い、上方の銀使い」
という区分けがある。

これは商いや取引が活発な大阪では、
絶対量の多い銀が
標準貨幣になったことに起因するようである。

ところで、現在地球に埋蔵されている金は、
どれくらいあるのだろうか?

答えの試算は、51,000㌧
オリンピック公式プール約1杯分であるとか。
もっとも、その大部分は、採掘困難な場所にあるそうだ。

小判の価値

小判の種類

小判の種類

一口に「小判」といっても、
江戸270年を超える歴史の中で、
小判は10種類生まれ、それぞれ個性的である。

時代によって、
その重さや価値も違っているのである。

例えば、徳川家康が
慶長6年(1601年)に造らせた慶長小判、
その重さは4.76匁である。

匁(もんめ)と言われても分からない。

一匁は3.75グラムである。
これは、現在使っている五円玉の質量、
重さとほぼ同じである。

慶長小判1枚の重さをグラムに直せば
4.76(匁)×3.75(g)=17.85(g)
千両なら17.8㎏になる。

千両箱は、丈夫で頑丈でなければならない。
なので
ヒノキや樫の木が用材として使われることが多い。

しかも角を帯包という
鉄板などで補強しているものもある。

南京錠をかけて施錠出来るタイプも残っている。
二千両、五千両詰める千両箱も存在した。

大きさも様々なのだが、
金千両を収納する一般的な箱の大きさは
縦40cm、横14.5cm、深さ12.3cmである。

すなわちこれにより
千両箱自体の重さは、5~6㎏はあることになる。

これに千両を詰めれば、
1箱の重さは約25㎏くらいとなる。

そんなモノを担いで走ったり、泳いだり出来るのは、
余程の超人である。

もっとも、幕末頃の
安政6年(1859)に発行された小判は、
一両2.4匁(9.0g)しかない。

この小判であれば、詰まった千両箱は20㎏未満で収まる。
担いで走り回るのは、何とかなるかも知れない。

千両箱1

千両箱1

千両箱2

千両箱2

義賊がバラ撒く小判

義賊は、
長屋暮らしの貧しい庶民に小判をばら撒く

振ってきた小判に狂喜する庶民は、
その金を何に使うのか?

小判1枚の価値は物価の変動で違う。
米相場でお米の価格が変わるのと同じだ。

今のお金に換算し、
5万円の時もあれば、10万円を超える時代もある。

1日にご飯を3合食べれば、
1年で約150kgの米を消費することになる。
これが「1石(こく)」である。

1両=1石
これが、江戸時代を通して、米換算の基準である。

米でなく現金換算であれば、
江戸時代通して1両8万円であれば文句は少ない。

慶長の小判時期であれば、
1枚15万円前後で、
千両箱1つで1億5千万円。

安政の小判時期では1枚5万円前後、
1箱なら5千万円を担ぐことになろう。

幕末に江戸城の御金蔵を破った御家人の盗賊がいる。
2人で二千両入りの千両箱4箱を盗み出したが
途中で2箱を捨てて各自1箱ずつ、
それでも重くて、西拮橋門を越すのに苦労したという。

この盗賊以外にも、江戸時代に名を残した盗賊は沢山いる。
市松小僧に稲葉小僧、葵小僧、日本左衛門とか。

屋根瓦の上を千両箱抱えて駆け回るのは、
義賊の代表・鼠小僧次郎吉がぴったりである。

落語の中にも次郎吉は登場する
『蜆売り』

小判を恵んだ親切心が仇となり、
人を不幸に陥れた

鼠小僧は、今も
千両箱抱えて、
浅草の平成中村座の屋根の上にも控えているのである。

ねずみ小僧

ねずみ小僧

コインについて

慶長小判

慶長小判

今回ご紹介するコインは慶長小判で、
小判の中の王様である。

なにしろ、神君家康公が
江戸幕府体制の根幹を築く貨幣として定め
天下統一を象徴する代物として生まれ出たのである。

慶長小判の鋳造数は、
小判および一分判の合計で発行高14,727,055両
ではないかと言われている。

この発行高は、
元文小判の17,435,711両に続き
10位中2位であるが、
金の含有率では、
84.3%~86.8%の歴代1位となっている。

ちなみに
一分判は、総鋳造量の五割の額を
吹き立てるよう指示されたとされる。

慶長小判は、7.363.527枚あったことになる。

その内の何枚が、
400年以上の歴史を経て現存するのか。

確かなのは、この小判は
歴史の証人、
生き残り小判の1枚であるということだ。

 

文章:蔵元三四郎

ねずみ小僧は千両箱を持って走れるのか!?検証してみたアンティークコインギャラリア | 旧ナミノリハウスで公開された投稿です。