お金がお金を生む~伝説の大富豪たちがのし上がった驚きの方法~

「お金」は何のためにある?

そう考えてみたら「何か物を買うため」
という答えが真っ先にくるかもしれない。

平和な時代はお札を出せば当たり前のように物を買える。

一万円の札束は富の象徴であり、
銀行に札が貯めるだけで資産の心づもりになる。

普通に暮らしているだけだと
「お金でお金を売り買いする」
といった分野にはあまり関心をもたなくても済む。

海外との商取引があったり、
FX(外国為替証拠金取引)をしたり、
趣味で古銭を買う人なら別だろうが、
「お金そのもの」を資産と見る視点は簡単にはもちにくい。

しかし時代や個人によってはそうではない。
「お金の売り買い」を目的として人生を変えた人物もいるのだ。

ロスチャイルド家のはじまり

欧米の伝説的な大富豪、ロスチャイルド家は有名である。

繁栄の礎を築いたマイアー・ロスチャイルドは
元々フランクフルトの貧しい一商人にすぎなかった。

しかし歴史と外国語が好きで、
コイン収集が嵩じてコイン商になったことから運が開けた。

古いコインなど一般人はほとんど相手にしなかったが、
高位の軍人や金持ちは趣味で収集する人間が多かったのだ。
取引を重ねて信頼を得るうちに宮廷にまで呼ばれるようになる。

持ち前の人柄や取引の良識的なやり方で
侯爵や高位の貴族たちからも信任され、
宮廷の御用を任されるに至った。

そこから手広く国際的な金融や商業に手を出すようになり、
ついには今のように知られる一大財閥にまで隆盛するまでに至ったのだ。

1940年の時点でロスチャイルドの全財閥の富を合わせると
5000億ドル(約一京円)ほどになっていたという。
一説には世界の半分ぐらいの富を占めていたそうだ。

凄いスケールである。
そのはじまりもただの零細の商人が
「お金」を取引対象に選んだからである。

 

ロスチャイルド家の家紋

ロスチャイルド家の家紋

 

ロスチャイルド家の別荘

ロスチャイルド家の別荘

 

こうした事は何も遠い西洋だけの出来事ではない。

実は日本の、
比較的近い時代にも「お金でお金をもうけた」話が存在するのである。

内部情報に基づいた岩崎弥太郎のスタートアップ

「岩崎弥太郎」と名前はご存知の方も多いだろう。

そう坂本龍馬とも親しい土佐の商人、
日本を代表する財閥であった三菱の祖である。

三菱のスリーダイヤ

三菱のスリーダイヤ

 

岩崎弥太郎

岩崎弥太郎

初期の三菱は軍事の兵站を担当したり
海運事業で財を築いたのは有名だが、
実はもう一つ大きなスタートダッシュがある。

その第一歩が「貨幣の売り買い」であった。

明治の新政府が樹立されるとまず
重要な課題となったのが経済政策だった。

国の基礎となる部分だから当たり前だが、
当時はまだ江戸時代の複雑な貨幣制度が残り、
世情不安が残る中で幕末の流通の混乱もあった。

新時代にあった新しい貨幣システムが求められていたのだ。

江戸時代は各藩がいわば地方通貨のように
あちこちで藩札を発行していた。

これは財源確保の窮余の策であったが、
幕末の戦乱を経て維新が実行され、
大政奉還、版籍奉還までいくさなかに信用がガタ落ちしていた。

もはや紙屑同然になっていた藩札もいくらでもあったのだ。
買わされた大勢の人々が大損をこうむるハメに陥っていたのである。

明治政府は幕末から太政官札という政府紙幣を発行していた。

江戸幕府を引き継いだ政府ではあるので、
過去の後始末も担当せねばならない。
紙屑となった藩札を、太政官札でもって買い上げると決定したのだ。

この情報をいち早くつかんだのが岩崎弥太郎だった
(後藤象二郎からのインサイダー情報もあったとも言われる)。

弥太郎は十万両ほどの太政官札を借り
全国津々浦々に藩札の買占めに行かせた。

二束三文にまでなっていた藩札は弥太郎の元に集められ、
政府には額面通りやそれなりの相場で買い上げられた。

結果として弥太郎は紙屑で巨利を博したのである。
これがのちの商業活動の基礎となる。

藩札

藩札

(ちなみに推理作家の松本清張のデビュー作『西郷札』は、
この藩札買い上げの逸話を踏まえたストーリーである。
西南戦争で薩摩軍が発行した軍票=通称西郷札が、
再度政府買い上げになるかもしれないという情報が流され、
人々が儲けようと狂奔する話だ)

西郷札

西郷札

 

松本清張『西郷札』

松本清張『西郷札』

リスクを冒して財閥を築く 安田善次郎

幕末から明治政府が発行した太政官札は不換紙幣であった。

金と交換できない代わりに、
その後十三年にわたり一割の利息がつくとした。

しかし庶民はなかなか扱いたがらなかったという。
なぜなら幕末はただでさえ政情不安である。

しかも幕府の無策で金が海外流出するわ、
コレラが流行るわ、内戦の混乱と通貨の乱れの中、
明治政府は太政官札を濫発していたのだ。

新政府が成立したといっても、
再び旧幕勢力に取って代わられるかもしれない。
もしくは士族反乱で打倒されるかもしれない。
そんな政府の危なっかしい札を信用できるか、というわけだ。

現代世界でも戦乱に陥ったり、
経済がメチャクチャな国の債券や通貨は信用されない。

明治も現代も貨幣政策の根本は「信用」だとよくわかる。

政府が無茶な発行を続けるうちに
太政官札の価値は落ち続け、正貨に対して半値以下の価値になった。

例えるなら一万円札と交換するのに、
二万円分の札が必要になるようなものだ。

かつて藩札が紙屑となった過去を思い起こして人々は慎重であり、
両替商でさえ太政官札を引き受けるのを嫌がったという。

しかし西南戦争が勃発し世の中に不安感が広まる中、
元鰹節屋兼両替商だった安田善次郎は冷静に世の行く末を見据えていた。

元から安田は過去に地方と江戸の銅銭の価格差を利用して
投機を行ったり(この時は失敗)、
幕府から古い金貨銀貨を回収し
金含有量の低い万延小判を作る作業で利益をあげた経験があったのだ。

金品位の低い小判づくりも
当時は他の両替商が引き受けたがらなかったが、
他人が嫌がる仕事を行って成功したのだ。

太政官札は政府の保証がある。
そして政府も最後は内戦に勝利し、
安定するだろうと安田は判断した。

当時太政官札は暴落を続け、
額面の4割ほどの価値にまでなっていた。

しかし安田は安値で手放したがってる人たちと交渉し
太政官札を大量購入する。

失敗すればそれまでの蓄えも何もかもが終わる。賭けである。

しかし政府は危機を乗り越えた。
そして貨幣政策も安定させていく。

紙幣の発行量を調節して安定させ、
法律で正貨と太政官札の等価交換をも義務付ける。

最終的に太政官札は値を回復、
膨大な札を抱えた安田は一気に勝利の道に進んだのだ。

太政官札

太政官札

商店の売り上げは三倍、
当時の金で9千両もの利益を得たという。

そこから安田は金融や保険など手広く商売をひろげ、
安田財閥を確立させていく。

現在のみずほファイナンシャルグループ、
明治安田生命、日本損保も元は安田財閥に端を発している。
東大の安田講堂も彼の寄付によるものだ。

「お金の売り買い」で一財産を築けたのである。

東大 安田講堂

東大 安田講堂

家財を質に入れても…… 甲州財閥の若尾逸平

動乱の時代にはリスクを冒して財産を築く人間が出てくる。

明治に甲州財閥の有力者として名をあげ、
初代の甲府市長となった若尾逸平もまた
「お金」を売買した人間である。

新たに成立した明治政府はまだまだ政治基盤が弱かった。

経済の悪化と治安の乱れで世の中には不満が充満し、
士族蜂起が相次いでいた。

その中で最大の反乱が西郷を中心とする薩摩勢力であり、
この鎮圧には膨大な出費をやむなくされた。

幕末以来の負債に続き、
大規模な戦争にまで発展した西南戦争は
さらに政府に財政負担を強いた。

新しく発行されていた明治通宝は戦費調達には役立ったが、
紙幣を濫発したために価値が暴落した。

一円札は一時銀貨一円に対して一円八十五銭まで下がった。

この時に若尾は行動する。
なんと自分の家と田畑をそっくり担保として、
銀行から十万円もの大金を借り出し、
安値で信用が落ちていた一円札をありったけの金で仕入れた。

明治通宝一円札

明治通宝

家財一式を担保にしているため、
もし明治政府が倒れるようなことがあれば一家離散である。

しかし若尾は世の中の動きと逆を行った。

結果はすさまじいものであった。

政府は西南戦争に勝利し、
以後大掛かりな士族の武装蜂起は影をひそめる。

ようやく政府の統治体制も安定し近代国家としての道に進んだ。
政府の信用が固まると一円札の価値も上がる。

暴落していた一円札は一円銀貨と等価となり等価交換が可能となった。

全財産を投じ安値で一円札を大量に仕入れていた若尾は
一躍破産の瀬戸際から、莫大な資産を築き上げる。

資産は商売の元手ともなり、
それからは豊富な資金を元にして
投資に商売にと躍進を重ねる人生を送った。

全ては「お金そのもの」を投資の対象としたために
可能になったことである。

お金は交換の道具であるとともに売り買いする「物」でもある

現代日本はなんだかんだ言ってもまだまだ安定している。

ここで紹介したように「正貨」である流通紙幣が
信用に値するかという状態にまでは至っていない。

これは幸せなことである反面、
交換の道具としての「お金」に疑問をもちにくい状態にもつながる。

昔のお金は金貨銀貨などがあり、
自然と「材質」で見る視点が得られた。

お金もまた「物」であるという意識をもちやすかったのである。

他にも国際的な商人なども同じく
貨幣の資産価値に注目しやすかったという。

例えば国境をまたいだだけで
元の国の通貨が使用できなくなる経験をしたり、
逆に貨幣の金や銀といった物質的な側面は、
万国共通に評価される事実を発見する。

自然と通用正貨としてだけではなく、
広い視野をもつことにつながったという。

現代のわれわれは安定に慣れて、
ともすれば貨幣に関して一面的な見方をしがちだ。

ここで一味違った視点を持つことが、
賢い投資や広い世界の目を養うことに通じる。

何もここで紹介した人々のように、
投機的な道に進めと言ってるわけではない。

成功した人々は「お金」を見るのに多様な視点があった。
その事実である。
それが飛躍のカギであったのだ。

現代のわれわれも、そこから何か学べるものがないだろうか?

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