おめでたい!小判の中の七福神

粋な江戸っ子は蕎麦に
「やげん掘り」(七味唐辛子)を散らし、
七福神に見立てた大根や茄子が入った
福神漬けを、飯にぶっかけてサラサラ食う。

七福神信仰は、江戸庶民の食生活の中にも
浸透していたように思えるのであるが、
実は、福神漬けは、明治時代に生まれた商品名、
七味唐辛子は、七福神めぐりがブームになる前の
江戸初期にブレンド考案された薬だったのである。

七福神

正月に良い初夢を見るためには、
枕の下に、七福神が乗った宝船の絵を
入れ置いておかなければならない。

それで良い初夢が見られても、見られなくても
七福神めぐりに出かけて、
1年の福を、まとめて貰ってこなければならぬ。

七福神めぐりは、江戸が発祥であるから
元祖の谷中七福神をはじめ、
めぐりの札所は都内で30か所以上、
全国では500か所超えもある。

これらの中からお近くの場所を選んで、
松の内と呼ばれる
元旦から七草(7日)までの間に廻れば良いのである。

「七難即滅、七福即生」
七人の福神を参拝したり、撫でたりすると
七つの災難が除かれ、七つの幸福が授かる。
その年1年を無病息災で、幸せに過ごせるのである。

廻りながら、神社特製の色紙などに
御朱印を押し集めたり、宝船などのグッズや、
その上に乗せる七福神のフィギュアや、
限定品のお守りといった授与品を買い漁るのも
七福神めぐりの楽しみの1つである。

だが、実は七福神は小判の中にもいる。
日々の暮らしの中で、小判を揃えることで、
この七福神めぐり以上のグッズ集めや
貴重なコレクションも可能なのである。

七福神の御利益

七福神信仰の始まりは結構古い。
室町時代の末期頃から、
農民や漁民の間で生まれ、成長した。

七福神

七福神の中で最初に登場したのは
大きな袋を抱えた大黒である。
元はインドのヒンドゥー教の神様であったが、
平安時代に比叡山で
最澄が、台所の神様として祀ったのが起こりだ。

その後、この大黒を起点に
同じくインド出身の毘沙門が加わり
唯一、日本由来の神様である恵比寿を交えて、
三神信仰になり、後4人である。

七福神のメンバー

七福神のメンバー

紅一点である弁才天もヒンドゥー教のご出身であるが、
道教から福禄寿と寿老人、
仏教から布袋が加わって
紆余曲折、メンバーの入れ替えもありながら
江戸時代に、今の顔ぶれの七福神セットが出来上がったのである。

例えば恵比寿

七福神一人が、
大体4つくらいのご利益を抱えている。

関西人は「えべっさん」と呼ぶ恵比寿。
この七福神の中で
日本由来、古来唯一の福の神の御利益には、
有名な「商売繁盛」の他に
「除災招福」「五穀豊穣」「大魚守護」もあるのだ。

「年の初めのえべっさん♪」
「商売繁昌で笹持って来い!」

元旦からの七福神めぐりが終わった後の、
十日戎では、自ら持参したり、拝殿で授かった福笹に、
福娘が、御札や吉兆の小宝を付けてくれる。

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この吉兆、当然値段の付いた有料品であるが、
小判はもちろん、縁起物の小槌や銭袋、大宝や福俵、
福熊手、烏帽子、臼、福鯛、宝船、福銭等など、
実にめでたい品々が盛り沢山で選ぶのも大変なのである。

差し出す笹に吉兆の品々を結びつけてくれる福娘。
選ばれて、当選金やら振袖などを貰ってのご奉仕であるが、
この「福むすめ」美人揃いである。

なにしろ神社によっては
毎年3,000人以上の応募がある中で、
選ばれた25名程度の精鋭なのである。

こじんまりした神社であろうが、福娘は、
近くで出来物として売られている
金笹以上に眩い存在で輝いているのである。

「商売繁盛で笹もってこい♪」
「吉兆買う人得な人、来年も吉兆はここだっせ!」

小判の中に七福神?

小判の中に「七福小判」という物がある。
七福というのは、七福神のことである。

小判の裏に押された
金座人印と吹屋棟梁印の組み合わせで、
「大吉」を大黒天、「小吉」を恵比須、
「馬神」を弁財天、「久吉」を福祿寿、
「堺長」を毘沙門天、「久長」を布袋和尚、
「守神」を寿老人に見立て、
この刻印七種類が、七福小判に該当するのである。

いずれも縁起の良い言葉で構成されており、
その筆頭は、もちろん「大吉」であるが、
全ての二文字が、福を招来するにふさわしいのである。

これは少々こじ付けのように思えるかも知れぬが、
そうでもないのである。
「久(しく続く)吉」のように、
ちゃんと謂れや意味がある言葉と
七福神それぞれの役割を関連付けているのだ。

ちなみに「馬神」は馬の神様、
金の採れる佐渡を意味する。
「堺長」は堺の長者、
つまり、お大尽様のことである。

江戸で七福神信仰が爆発的に流行したのは、
幕末間近い化政・天保の頃である。

なので、文政小判や天保小判の中には、
「(献上)大吉」と共に、
端正に作られた「七福小判」があり、
献上用として
配られた小判があるのではないかと考えられているのだ。

コインについて

今回ご紹介する小判は、
江戸時代後期(1837年〜1858年)に流通した
天保小判金である。

天保小判金

天保小判金

この時期に小判の製造技術は進化を遂げた。
ローラーが使われるようになり、
形状やゴザ目などが均等な小判が生まれた。

小判全体のスタイルが整い、
平行で綺麗な小判に仕上がるようになったのである
色揚げの技術も大進歩を遂げ、黄金色が増している。

天保小判金のコレクターが多い理由の1つが、
今回ご紹介した、
裏面左下の二つの刻印コレクションである。

手に取る機会があれば、
じっくりと刻印チェックしてはいかがであろうか。

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