人類最古の企業、それが持つ価値とは

世界最古、とか人類最古という言葉には浪漫がある。
それが、日本にあるとなれば、
なおさらワクワク感も増すというものだ。

法隆寺金堂と五重の塔は現存する世界最古の木造建築物であるし、
和賀江島は現存する人類最古の人工港湾設備だ。

そんな日本に存在する「現存する世界最古」のひとつに、
大阪のとある企業が該当する。
そのものずばり、現存する人類最古の企業である。

創業は578年。
世は飛鳥時代、
かの聖徳太子の義理の叔父である敏達天皇の御世であった。

世界最古の企業の誕生

金剛組本社

金剛組本社

578年、当時の友好国、
朝鮮半島の百済(くだら・ペクチェ)から3人の人物が
招聘を受けて渡来してきた。
伝えられるところによると、金剛、早水、永路という名であった。

彼らは聖徳太子が国家事業として寺を建立するために、
仏教建築先進国であった百済から呼び寄せられたのだ。
3人が腕を振るい、
593年に主要部を完成させたのが現代まで続く四天王寺である。

四天王寺縁起

四天王寺縁起

その後、3名のうち、
早水と永路は大和国(奈良)及び山城国(京都)に
仏教建築を伝えるためにそれぞれ派遣されることになった。
最後のひとりである金剛はというと、
都に残り、四天王寺のメンテナンスを請け負うことになった。

彼こそは日本最古の企業「金剛組」の初代当主、金剛重光その人だ。
960年、8代目金剛重則が四天王寺から寺を守護する大工の証である
「正大工職」の称号を授かった。

こうして、金剛組は日本最古の国立寺院、
四天王寺付の宮大工としてその永い歴史を綿々と歩み続けるのである。

存続1400年の秘密

金剛組が現代に至るまで企業を維持し続けてきたのには
3つの理由があるとされる。
まずは、先述した通り、
四天王寺という大寺院のお抱え宮大工として
定期的に仕事ができたことにある。

江戸時代には大工業界の再編が行政によって行なわれ、
縦割りに組織化された。
しかし、金剛組はその仕組みから独立した存在として
四天王寺との関係を維持できるよう嘆願し、
例外的に認められている。

当時の時点でもすでに
金剛組は四天王寺とともに創立1000年を越えている。
例外を認めるのもむべなるかなといったところか。

2つ目の理由が、四天王寺付という特殊性から
技術の研鑽・継承がうまくいったということだ。
四天王寺は度々災禍に見舞われている。
例えば、836年には落雷、960年には火災で大きな被害をだした。

そのたびに再建が行なわれ、
数十年の時間をかけて工事が行なわれた。
金剛組はこの事業を一手に引き受けていたことになる。

そのため、何度も再建工事を世代を跨いで行なうことになり、
技術が磨かれると共にうまく実地で技術を伝える場を得ることができたのだ。

室戸台風の被害を受けた四天王寺

室戸台風の被害を受けた四天王寺

3つ目のわけは、いわゆるファミリー企業でありながら、
棟梁の後継者とするのに直系の子孫にこだわらなかったということだ。
直系の子弟がいない場合は養子や婿をとったり、
分家から後継者を選んだりした。

また、実力が棟梁として適当でなかったとして引退させられ、
別人にその座を譲るということも行なわれた。
こうして、ファミリー企業としての一体感を維持しながら、
実力本位でトップを決めてきたことが企業の維持に役立ったのであろう。

歴史的に見ても長子相続を基本とした世襲制では、
トップが有能か否かは言わばくじ引きでしかない。運任せである。
そうしたデメリットを金剛組は巧みに回避してきたわけだ。

こうして長い間伝統を維持してきた金剛組だが、
その歴史上でも体験しなかった大きな社会変化が訪れた。
近代化、現代化である。

危機を救った目に見えない資産価値

戦後、空襲によって被害を受けた神社仏閣は
丈夫な鉄筋コンクリート工法による再建を望むようになった。
四天王寺もそのひとつであり、
金剛組はそれに応えるべく近代工法を学んだが、
結局四天王寺五重の塔の再建は他社が請け負うことになってしまった。

しかし、その後も必死に技術の習得と信用の構築に努め、
金堂の再建は金剛組に取り戻すことに成功した。
また、企業として改組も行い、「株式会社金剛組」となった。

四天王寺金堂

四天王寺金堂

近代化を突き進む金剛組は
コンクリート工法をブラッシュアップし、
関東にも拠点を置き、
マンション建築にも手を広げるなどその在り方を変化させた。

今までも四天王寺以外の寺社の工事も請け負ってきたが、
それは木造であった。
社会変化についていこうとする金剛組の努力であった。

ところが、会社は経営危機に直面することになる。
様々な分野に手を広げようとして大手と受注を競い、
無理な条件で工事を引き受けることが多かったためだ。
世界最古の企業はもはや終わりかと思われた。

だが、世の中は金剛組を見捨てなかった。
高松建設が支援を約束し、
取引先銀行が債権放棄に同意し、
株主達も、自分たちが損をする会社の負債軽減案に賛意を示したのだ。

顧問弁護士がありえないと言ったこれらの実現は、
金剛組が代々蓄積してきた信用、技術、歴史という目に見えない部分に、
関係者が資産価値を見いだしたからに他ならない。

無事に倒産の危機を乗り越えた金剛組は高松建設傘下に入り、
以降は寺社関係の事業のみを扱う原点回帰を行なうことになった。

2013年39代金剛利隆が後継者不在のまま死去し、
後継社長には金剛一族ではない人物が就いた。
ここに、「現存する最古の創業者一族が経営する企業」の看板は下ろされたが、
「最古の企業」としてはまだ続いていく。

歴史を経たものにはそれだけで価値がある。
そこに内容が伴えばなおさらである。
金剛組はこれからも目に見えない資産価値を増やし、
我々に浪漫を感じさせてくれるだろう。

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