日本一の国際派造幣局!大阪造幣局の海外コイン発行
現代の我々は、
一国には独自の通貨があって当たり前だと思っている。
しかし、
ドル紙幣が一種の国際通貨の役割を果たしているのと同様、
自国に独自の通貨があるというのは
どこでも当たり前というわけではなかった。
また、自国に独自の通貨があっても
信用の問題から外国貨幣が流入することもある。
例えばソ連末期では
ソ連国内でもソ連のルーブルより
時にアメリカドルで支払いを求められたそうである。
現在でも途上国で政治不安や経済が混乱すると
海外貨幣が法定通貨代わりになるのはよくある事である。
日本も中世に貨幣経済が崩壊していた時に
宋銭などが流入していたことは歴史で習ったことがあるだろう。
宋銭や明銭は貨幣の質が良かったこともあってか、
東アジア全体から果ては中東でまで決済に使われることがあった。
一種のドルのように存在になっていたのである。
東国では永楽銭の価値単位を基準とした
「永高」という表現が年貢関係に残ったのを見ても
その影響力をうかがわせる。
(もっとも日本では名前だけ渡来銭で自国生産も多かったようだが)
流通で外国銭にも抵抗がないぐらいだから、
実際の貨幣の製造も外国に任せるケースも多い。
例えば日本も明治通宝の紙幣は自国生産ではない。
古銭収集の世界で通称ゲルマン札の名があるように、
当時フランクフルトにあった
ドンドルフ・ナウマン社という
民間の紙幣・債券の製造会社に発注したものである。
合計で二億枚ほど注文したそうだ。
また同社で働いていた優れた画家・版画技術者であった
エドアルド・キヨッソーネ(西郷隆盛の肖像を描いた人物)を
スカウトして、初期の日本紙幣や債券、切手をデザインさせ、
技術移転も行った。
近代化の糸口についたころは
世の東西を問わずこの手のことは良く見られる。
例えば日本の造幣局だって
海外からの注文を受けたケースがあるのだ。
大阪造幣局の仕事
<一般通貨>
帝政ロシア貨幣 15・10コペイカ銀貨
意外にも日本が初めて外国から通貨製造の依頼を受けたのは
ロシアからであった(併合前の朝鮮の貨幣も製造したこともある)。
知っての通り戦前の日本はロシアと武力衝突が多かったが、
実は文化や商業では割合通行が途絶えなかった。
「対立してても商売は別」というのは
現代の国際社会でもよく見られるが、
日本はロシアと軍事的に対立する傍ら、
六十万挺以上の三八式歩兵銃や数百万発単位の砲弾弾薬など
兵器まで輸出する仲だったのである。
第一次大戦中の出来事だ。
ロシアは本格的に戦争参加していたこともあって、
産業のあちこちで生産活動が追い込まれていた。
ここから自国のコペイカ銀貨(ルーブルの百分の一の価値)の製造を
日本に依頼してきたのである。
近代の日本史で外国から貨幣の製造依頼があったのは
これが初である。
額面は15と10の二種類だったが、
合計で一億六千万枚、
2150万ルーブル相当という大規模なものであった。
当時の大阪の造幣局設備は
年産二億枚程度の生産能力しかなった。
かつ戦時の忙しい時期である。
職員が残業や休日出勤してやっと対応したという。
大阪造幣局が製造した1916年度のコインは
基本的にペトログラードの造幣局と同じタイプのものであった。
表面のデザインとしてはロマノフ王家紋章であり
またロシアの国章でもある双頭の鷲が表面にあしらわれている。
しかしロシア製は当時のロシアの造幣局長
ヴィクトル・スミルノフのイニシャル「В.С.」が
鷲の両脚の横に刻印されており、
大阪製とは今でも区別がつけられる。
タイ 1サタン青銅貨
造幣局は大正八年から十一年にかけて設備を増強、
年産四億枚の生産能力を持つまでになった。
しかしながら関東大震災が発生し、
昭和四年からは世界恐慌に巻き込まれ
いまいち景気がふるわない。
造幣局の仕事も減って過剰設備の状態に追い込まれていた。
ここに運よく舞い込んだのが外国からの仕事である。
なんとタイの法定貨幣の製造であった。
大正十五年、
タイ政府は国際的に貨幣製造の競争入札を募る。
5サタンのニッケル貨と1サタン銅貨が対象である。
これに入札したのが日本の三井物産であった。
5サタン分はベルギーが落札したが、
1サタンの方は三井が競り勝ったのだ。
その仕事が造幣局に回されてきたのである。
当初は2000万枚の契約だったが事業は継続され、
昭和四年までに合計一億枚もの製造を行った。
バングラデシュ 2タカ・ステンレス貨
バングラディッシュとは記念銀貨の製造も受注しているが、
平成二十五年に一般通貨2タカ貨幣の生産も受注した。
2タカは日本円で約2円の価値だ。
バングラディッシュ中央銀行主催の国際入札であったが、
5億枚を5億2千万円で落札した。
デザインは
表に眼鏡に口髭を蓄えたバングラデシュ初代大統領ムジブル・ラーマン。
裏にはバングラディッシュの国章である
4つの星と花、稲に囲まれたスイレンの花が描かれている。
◇記念貨幣系
ニュージーランド 1ドル記念銀貨
日本が戦後初めて外国貨幣を製造することになったのが、
ニュージーランドの記念銀貨である。
平成19年、
ニュ-ジ-ランドポスト社
(ニュージーランド中央銀行から貨幣の調達や販売を委託されている)
からの注文で、貨幣デザインは表にエリザベス二世女王の肖像、
裏面にはニュージーランドで最も高い山である
マウント・クック(現地名アオラキ)と
マウントクック・リリ-の花があしらわれている。
オマーン 1リヤル 国祭日記念銀貨
オマーン中央銀行が募った国際入札で受注したもので、
オマーンの第44回国祭日の記念銀貨である。
造幣局が中東地域の硬貨製造を行うのはこれが初となる。
1リヤルは当時の日本円で約300円相当で一千枚製造された。
デザインは
表がオマーンの国章である短剣ハジャールをあしらったもの、
裏側は国会議事堂である。
純銀製で全てオマーンの銀行に納入されたため
日本では販売されていない。
1リヤル ニズワ・イスラム文化首都2015記念銀貨
これは2015年に再び日本が受注成功したケースである。
同じくオマーン中央銀行が実施した国際入札であるが
「ニズワ・イスラム文化の首都2015」を記念するもので
テーマは異なる。
当時の1リヤルは約315円に相当し、
純銀製で約2千枚を製造した。
表はオマーンの国章である短剣ハジャールをあしらったもの、
裏は「ニズワ・イスラム文化の首都2015」の記念ロゴである。
他にも記念硬貨の受注はいくつかあるが、
これは日本と相手国の「友好○○周年記念」といった行事的なものである。
スリランカ 1000ルピー記念銀貨
国交樹立60周年を記念したもの。
戦後二件目の外国記念銀貨。
1000ルピーは約600円に相当。
表のデザインは日本のODAと日本企業に建設された
アッパーコトマレ発電所、
裏面は日の丸とスリランカの国旗が交差した公式ロゴマーク。
片面カラーで2万枚発行。
カンボジア 3000リエル記念銀貨
日本とカンボジアの友好60周年を記念した物。
3000リエルは日本円で約73円。
表のデザインは日本企業が修復作業にも入っている
アンコール・ワット、
裏は日本とカンボジア友好60周年公式ロゴ。
約一万枚発行。
ブルネイ30ブルネイ・ドル記念銀貨
日本とブルネイの外交関係の樹立30周年を記念したもの。
30ブルネイドルは日本円で約2400円。
五千五百枚発行。
表のデザインはハサナル・ボルキア・ブルネイ国王の肖像で、
裏は日本とブルネイの国旗と象徴する花
(日本:桜、ブルネイ:シンプール)。
両面カラー。
ミャンマー5000チャット記念銀貨
日本とミャンマーの外交関係樹立60周年を記念した貨幣。
5000チャットは日本円で約550円に相当する。
一万枚発行で片面カラー。
表のデザインにミャンマーのバガン仏教遺跡、
裏に日本とミャンマーを象徴する花
(日本:桜、ミャンマー:パダウ)
ラオス 5万キープ記念銀貨
外交関係樹立60周年記念の貨幣。
1万枚発行。
5万キープは日本円で約740円。
表にはラオスのタート・ルアン寺院と
裏に外交関係樹立60周年ロゴと両国の国花(桜とラチャンパー)。
片面カラー。
最後に
素人目だと一国の通用貨幣を外国に頼んで
大丈夫なのかという気もするが、
国をまたいだ注文はそう珍しいことでもないようだ。
貨幣はいわば経済の血液であり、
それなりの技術とデザイン、信頼性が要求されるためであろう。
現在では海外から注文を受けるのは
技術力や信頼の証として称賛されるべきことかもしれない。
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