神聖ローマ帝国 黄金のアウクスブルク
アウクスブルクという都市をご存じだろうか。
世界史を高校で履修した方であれば、
神聖ローマ帝国がルター派プロテスタントを容認した
「アウクスブルクの和議」で記憶にあるかもしれない。
あるいは欧州サッカーに詳しければ
FCアウクスブルクの本拠地として頭に残っているかもしれない。
だが、いずれにしろ日本ではそれほど知名度が高い都市とは
言い難いのではなかろうか。
しかし、アウクスブルクは古代ローマに端を発する長い歴史を持ち、
その全盛期は「黄金のアウクスブルク」と讃えられた
欧州経済の中心都市であった。
その全盛期を演出したのがフッガー家という商人一族である。
今回はアウクスブルクという都市とともに、
フッガー家の繁栄を築いたヤーコプ2世という人物に焦点を当ててみよう。
アウクスブルク、帝国自由都市への道
紀元前15年、ローマ軍団が駐屯地としたのが
この町の始まりとされている。
その後、ローマ市民が植民してこの地域の中心都市として発展し、
初代皇帝アウグストゥスから名をもらってアウクスブルクと呼ばれるようになった。
ゲルマン人侵入によるローマ帝国崩壊を経て、
8世紀にはキリスト教の拠点である司教都市として歴史に姿を現す。
しかし、徐々に商人を中心とする市民が経済力を背景に力をつけ、
支配者である司教に対抗するようになっていく。
そして,13世紀から14世紀にかけて国王や皇帝から勅許を得て、
アウクスブルクは帝国自由都市という立場を確立した。
これは、皇帝のみに従うとすることで、
司教などの地方領主の支配下から脱したことを意味する。
自由を手にしたアウクスブルクは
現地南ドイツの麻と東地中海産の綿を組み合わせた織物を名産とするなどして
活発な経済活動を行い、急速に発展していった。
こうした状況を背景に、満を持してフッガー家が登場する。
「富豪」ヤーコプ=フッガー2世
フッガー家がアウクスブルク市民権を得たのは
ヤーコプ2世の祖父ハンス=フッガーの代である。
彼とその妻は織物販売で着実に財産を増やして子ども達に残した。
そのうちのひとりヤーコプはこれまた堅実に商売を続け、
納税ランキングで7位にまで食い込むようになる。
ヤーコプの財産を受け継いだのは3人の息子だが、
上二人はまもなく死去し、末弟のヤーコプ2世が財産を運用するようになった。
このヤーコプ2世がその類まれなる商才を発揮し、
爆発的に資産を増やすのである。
ヤーコプ2世が目をつけたのは各地の君主が持つ、
銀山と銅山に対する特権だった。
この特権は、市場価格より安く、採掘された銀や銅を購入できるというものだ。
彼はこの特権を君主から一時譲渡してもらうのと引き換えに
現金を貸し付けるという商売を始めたのである。
顧客はハンガリー王室、神聖ローマ帝国皇帝マクシミリアン1世といった
そうそうたる相手であった。
これが莫大な富を産んだ。
いくつかの鉱山の全生産量を独占し、必要に応じて市場操作を行い、
また顧客の権力と結びついて
関税をライバルに不利になるように設定させることもあった。
フッガー会社は振替・送金業務も行なった。
顧客は主なローマ教皇庁、そして各地の司教領だった。
献金の送金や給料の支払いの他、あの免罪符の売上代金の振替も委託されていた。
ヤーコプ2世率いるフッガー会社はヨーロッパに名だたる銀行となったが、
その最も大きな取引が、1519年神聖ローマ帝国皇帝カール5世即位に際しての
選挙資金援助であった。
神聖ローマ帝国皇帝は選帝候が投票権をもつ選挙によって決まる。
この際の莫大な政治工作資金を支出したのだ。
その額53万グルデン、現在の日本円の価値にして約636億円である。
こうして、ヤーコプ2世はその資金力でもって
皇帝の地位をも買うことができるようになったのだ。
このフッガー家をはじめとして全盛を迎えたアウクスブルクだったが、
次第に宗教改革の波、プロテスタントとカトリックの対立に
巻き込まれていくようになる。
そして、1618年に勃発し、
ヨーロッパの大半を灰塵に帰した30年戦争に飲み込まれ、
歴史に埋没していった。
この都市が再び工業都市として蘇るのは19世紀のことである。
コインについて
今回ご紹介するコインは
1627年にアウクスブルクで発行されたターレル銀貨である。
ターレル銀貨は16世紀以降数世紀にわたって欧州中で流通していた貨幣で、
ターレル(Taler)の名はドル(dollar) などにその名残を残している。
片面には双頭の鷲が刻印されている。
双頭の鷲はシュメールにも存在していた古い紋章であり、
主に東ローマ帝国及びローマ帝国の後継を自負していた神聖ローマ帝国、
またそれらと関係する一族や国家等の紋章として使われた。
ハプスブルク家の紋章もまた双頭の鷲である。
神聖ローマ帝国、ひいては皇帝を輩出する一族であった
ハプスブルク家の双頭の鷲は皇帝の力を表す剣と
十字架のついた宝珠をもつのがその典型である。
このコインの鷲は宝珠ではなく、
先端に十字架のついた棒状のものを持っており、かなり珍しい図案だ。
周囲の文字、IMP: CAES: FERD: II. P.F.GER: HVN: BOH: REXは
皇帝フェルディナンド2世兼ドイツ及びハンガリー及びボヘミアの王という意味である。
フェルディナンド2世は30年戦争を引き起こした皇帝だ。
もう片面はアウクスブルクの市街地が描かれている。
上部中央に描かれているのはアウクスブルクのシンボルである松かさだ。
松かさは古代ローマでは豊穣と多産の象徴であり、これをこの都市は受け継いできた。
ちなみに松かさは今でもアウクスブルクのシンボルであり、
市の紋章をはじめとして街のいたるところで見ることができる。
松かさの両隣には天使が舞う構図である。
下部中央のMDCXXVIIはローマ数字で1627、すなわち発行年を示している。
周囲の文字、AUGUSTA·VIN DELICORUM(アウグスタ・ヴィンデリクム)は
アウクスブルクのローマ時代の古称である。
ちなみにコインではUがVと刻印されているが、
これはこの時代の欧州ではUとVの区別が無いゆえだ。
悠久の歴史を誇るアウクスブルク。
このコインはその歴史の一瞬を写し取ったものと言えるだろう。
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