世界を変えた教皇 ヨハネ=パウロ2世の行ったこと

1978年10月16日午後6時45分、
20万近くの群衆を前にしてサン・ピエトロ大聖堂の中央バルコニーの窓が開き始めた。
前教皇ヨハネ・パウロ1世の急逝によるコンクラーヴェの結果が発表されるのだ。

枢機卿団団長ペリクレ=フェリチ枢機卿によって告げられた新教皇の名は
カロル=ボイティワ、教皇名はヨハネ=パウロ2世であった。
無名であった彼の名は報道関係者を暫し混乱させた。

オランダ出身のアドリアーノ6世以来
355年ぶりの非イタリア人教皇であり、
初のスラヴ系教皇であるヨハネ・パウロ2世。

ヨハネ・パウロ二世

ヨハネ・パウロ二世

のちに空飛ぶ聖座と呼ばれ、
死後聖人となる彼の教皇としての始まりのときであった。

共産主義との対決

カロル=ボイティワの故郷ポーランドは
近代において他国の干渉を常に受けていた。

ヨーロッパにおける第二次世界大戦は
ナチス=ドイツのポーランド侵攻によって始まり、
またたくまに占領されてしまう。

戦後はその地理的位置からソ連の影響下にはいり、
同国の力を背景にした共産政権が支配する国家となった。

しかし、行き過ぎた共産主義支配は限界を迎えつつあり、
国内では自由・自立を求める運動が始まろうとしていた。

ヨハネ=パウロ2世が誕生したのはそんなときである。
1979年6月、メキシコ、ドミニカ共和国への訪問を終えた
彼が向かったのはポーランドであった。

ポーランドでのヨハネ・パウロ二世

ポーランドでのヨハネ・パウロ二世

彼は故国でポーランド国民の一致団結、
ソ連に従属するポーランドの状況への間接的批判、
カトリック教会の自由を発信する。

そんな体験を経て、1980年、
ポーランドに労働者たちの自主管理組織「連帯」が誕生した。
背景にあるのはカトリック教徒としての団結だ。

そして、教皇はそれを政治的、精神的な面から公に支援する。
「連帯」はそれを力とし、なんとポーランド政府に正式に受けるに至ったのだ。

共産党から独立した労働組合の誕生は
ポーランドの共産主義を動揺させるには充分であった。
これが後の東西の壁の崩壊、ゴルバチョフ政権誕生の遠因となっていく。

空飛ぶ聖座

1979年には教皇は
アイルランド、アメリカ、トルコを歴訪、
翌年にはザイール、コンゴ、ケニア、ガーナ、フランス、ブラジル、ドイツに足を運んだ。

そして、1981年、
パキスタン、フィリピン、グアム島を経由して
ヨハネ=パウロ2世は日本にやってきた。

皇居で昭和天皇と会見。
広島・長崎をも訪問。
全世界に日本語を含む9カ国語を駆使し、核兵器廃絶と平和を訴えた。

彼は教皇即位から死去までに述べ100回以上の海外訪問を行なった。
史上まれに見るその行動力から、
いつしか「空飛ぶ聖座」とよばれるようになったのだ。

ヨハネ・パウロ二世が歴訪した国々

ヨハネ・パウロ二世が歴訪した国々

交流と和解と歴史的謝罪

ヨハネ=パウロ2世の功績のひとつが
他宗教との交流や和解への努力である。

プロテスタント諸派や正教会との和解を模索し、
ローマ市内のシナゴーグを教皇として初めて訪れ、
イスラエルを承認するなどユダヤ教とも和解を図った。

2000年3月12日にはカトリック教会による過去のユダヤ人迫害、
イスラム教徒に対する十字軍や異端審問、
アフリカ・アメリカ大陸先住民への迫害を正式に謝罪するミサを行なった。
教会としての謝罪は史上初である。

2001年には教皇として初の正教会の根拠地であるギリシア訪問、
そしてシリアのダマスカスにおいてこれまた教皇として初のモスク訪問をなし遂げている。

シリアのヨハネ・パウロ二世

シリアのヨハネ・パウロ二世

ヨハネ=パウロ2世以前から行なわれていた仏教との交流も継続し、
1995年には天台宗の酒井雄哉とも会見している。

聖人ヨハネ・パウロ2世

そんな教皇もさすがに衰えを隠せなくなってきた。
2004年8月のフランス訪問が最後の外遊となった。

そして、2005年4月2日、教皇ヨハネ=パウロ2世は天に召された。
最期の言葉はポーランド語で
「父なる神の家に行かせてほしい」であったと伝わる。

後継のベネディクト16世は先代の功績と人気を鑑み、
異例の早さで「福者」認定のための調査を開始する。

そして、2011年1月、「福者」として認定、
更に次の教皇フランシスコが2013年7月に「聖人」として認定するに至った。

カトリック教会の歴史を変えたカロル=ボイティワは、カトリック教会の象徴ともなったのである。

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コインについて

NGC マルタ 教皇ヨハネ・パウロ二世 2005年 10万リラ 金貨 ウルトラカメオ PF69

NGC マルタ 教皇ヨハネ・パウロ二世 2005年 10万リラ 金貨 ウルトラカメオ PF69

今回ご紹介するコインは
マルタ騎士団が2005年に発行した10万リラ金貨である。

マルタ騎士団は正式には
「ロードス及びマルタにおけるエルサレムの聖ヨハネ病院独立騎士修道会」といい、
領土は持たないものの「実権主体」として多数の国に承認され、
外交関係を築いている組織だ。
所在地はイタリアのローマにある。
残念ながら日本は未承認で、外交関係は無い。

マルタ騎士団は
それ単体で物語の主人公として充分に活躍できる歴史を持つので、
ここでは簡単に紹介するに留めよう。

この騎士団はもともと
イスラム勢力が支配するイェルサレムで
キリスト教徒の巡礼者のために宿泊所兼病院を経営していた組織であるが、
第一回十字軍の成功を切っ掛けに軍事色を強め、
騎士団として時の教皇から正式に認可された。

その後、イスラム勢力の反攻によってイェルサレムを追われるが、
ロードス島、マルタ島と拠点を移しながら
オスマン=トルコのスレイマン1世の軍と戦いを繰り広げる。

最終的にマルタはナポレオン軍に奪われるが、組織は存続し、
現在の場所に本拠を構えることになった。

今は軍事色は無く、設立当初の目的である医療福祉を活動の中心としている。

コインの片面はそんな歴史をもつマルタ騎士団の紋章である。
マルタ十字と呼ばれる8つの角をもつ十字が特徴的だ。

もう片面ではヨハネ・パウロ2世が片手をあげて祝福しており、
その下には騎士団の隊列が描かれている。

右上の建物はサン=ピエトロ大聖堂であろう。
右上の文字はROMA・AETERNA、ラテン語で永遠のローマという意味だ。

かつてともにイスラムを敵として戦いを起こした教皇とマルタ騎士団という存在だが、
ヨハネ・パウロ2世はイスラムとの和解と対話を進め、
マルタ騎士団も現在は医療福祉団体だ。

そう考えるとこのコインの持つ意味が見えてくるようで味わい深い。

 

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