スイスの伝統「射撃祭」と「射撃祭コイン」の魅力を徹底解説!

 

スイスの「射撃祭」の伝統と射撃祭コインの魅力

スイスを代表するコインの中で「射撃祭」という名前を聞いたことはありませんか?

スイスでは毎年各地で「射撃祭(Schützenfest)」とよばれるお祭りが開催され、現代射撃祭としては今年2026年で42年を迎えます。

この射撃祭では、参加者が木製の鷲を狙うなどさまざまな射撃競技で競い合い、優勝者は翌年の大会まで「射撃王」の称号を得ることができます。

 

射撃祭のコインは1842年に初めて発行されて以来、一時発行停止の期間などもありましたが、お祭りの開催に合わせてメダルやコインなど様々な形で発行され続けています。

色々な歴史を辿ってきたスイスの射撃祭とそのメダルやコインについて紐解きながら、今年発行されたものもあわせてご紹介します。

 

スイス国民と「銃」の関係性

スイスは「国民皆兵制」を採用しています。

18~34歳までの男性に対し兵役の義務があり、軍隊で使っていた銃を自宅で保管するルールがあります。さらに、兵役が終わった後も一定の条件をクリアすればその銃を自宅に持ち帰って個人の所有物にすることができます。

これだけ銃の所持が多いと「危ない国なのでは?」と思うかもしれませんが、実はスイスでの銃による犯罪や死亡率はとても低く、国全体での銃による死亡率はゼロに近いそうです。

銃は「国を守るためのもの」「スポーツ(射撃)として楽しむもの」という意識がDNAのように深く根付いていて、厳しいルールと高いモラルで管理されています。

 

射撃祭の歴史

現在も続く「スイス連邦射撃祭」は、スイス射撃競技連盟が主催する全国的な射撃大会です。

もともとは中世の時代に、略奪者から自分たちの街を守るために射手たちが自衛のためのクラブを作り、その軍事演習や身体検査に伴って祝祭と祝祭行列が行われたのが射撃祭の始まりとされています。

時代によって近代射撃祭現代射撃祭があります。歴史を追いながら解説します。

射撃祭のはじまり

射撃祭の歴史は古く、14世紀からスイスの都市で始まったと記録されています。当時は銃ではなく、主にクロスボウが使用されていました。

1500年、旧スイス連邦時代の最高会議「連邦盟約会議(Tagsatzung)」において、射撃協会は連邦の祭典を毎年開催するように願い出ました。

この会議は現代のような一つのまとまった「スイス連邦国家」ができる前の中世から1848年まで、各カントン(州)の代表者たちが集まって外交や戦争、共通のルールについて話し合うための会議でした。

しかし、武装した男たちの大勢の集まりに関して、公共の秩序に対する懸念がありました。

なぜなら、1458年のプラッパルト戦争(Plappartkrieg)は、コンスタンツ祭での暴動が引き金となり、小規模な戦争にまで発展したものだったからです。

ちなみに、この「Plappart(プラッパルト)」というのは、当時使われていた硬貨の名前です。 ベルンから来た「Kuhplappart(牛のプラッパルト)」と呼ばれる硬貨が揉め事を引き起こしたことが関係しています。

▲1513年の『ルツェルナー年代記』に描かれている、1458年のコンスタンツで開かれた射撃祭の様子

 

ナポレオンの支配からの「復古連邦体制」と近代射撃祭のはじまり

最初の近代的なカントンの射撃協会は、1802年にヴォー州で設立されました。1817年に「復古連邦体制」のために結成された連邦軍にはそれぞれ100人で構成される20の狙撃兵中隊が含まれていました。

この「復古連邦体制」とは、ナポレオンに支配されていた時代が終わり、昔の『古いスイスのルール』に戻った時代のことをいいます。

最初に行われた「近代射撃祭」

「第1回近代連邦射撃祭」は、スイス北部の「アーラウ(Aarau)」という街で1824年に6月7日から12日にかけて開催され、スイス中のさまざまなカントンから228人の射手たちが集まりました。

このアーラウでの開催期間中に連邦射撃協会である「スイス射撃協会」が設立され、その後の数年間の連邦射撃祭は、スイス連邦国家の政治においてとっても重要な役割を果すことになります。

連邦国家が成立した後、1849年に再びアーラウで開催された連邦射撃祭は、ゴットフリート・ケラーの小説『七人の強き男の旗(Das Fähnlein der sieben Aufrechten)』の中で大きく取り上げられています。

▲ケラーの書籍の中での1907年の射撃祭の様子

ケラーはこの作品の中で「できたばかりの若いスイス連邦国家が直接民主制を守っていくためには、射撃クラブが不可欠な存在である」と書いています。

「現代射撃祭」とは

その後、1859年から1977年にかけて2年から6年の不規則なペースで射撃祭が開催されました。
先の二つの世界大戦の影響により、1910年〜1924年・1939年〜1949年の間は開催されませんでした。

そして1985年以降、定期的に開催されるようになり、これを「現代射撃祭」と呼んでいます。

ちなみに2020年は新型コロナウィルスの蔓延に伴い、2021年に延期されました。

▲1899年の射撃祭宣伝ポスター

 

射撃祭で使用される武器とその歴史

スイスの武器の歴史とも言える射撃祭。使用される武器の変遷には様々な歴史があります。

スイスの英雄ウィリアム・テルとクロスボウ

一番最初の射撃祭は、クロスボウ(石弓)がメインでした。
クロスボウは威力が強く、特別な訓練がなくても扱いやすいため、防衛のための最強の武器として大活躍していました。

スイスの英雄「ウィリアム・テル」が息子の頭の上のリンゴを射抜いた伝説でもおなじみです。

▲1803年から1804年にフリードリヒ・シラーが書いた戯曲の挿絵

当時、スイスのウーリ州を支配していたハプスブルク家の悪代官ゲスラーは、広場のポールに自分の帽子を掲げ、通りかかる村人全員にその帽子に向かってお辞儀をするように命令しました。

しかし、クロスボウの名手で誇り高い村人だったウィリアム・テルは、これを無視してお辞儀をしませんでした。激怒したゲスラーは、ウィリアム・テルとその息子を捕まえます。

ゲスラーは弓の名手であるウィリアム・テルに「息子の頭の上に置いたリンゴを射抜いてみろ。失敗すれば二人とも死刑だ」と言いましたが、ウィリアム・テルは見事にリンゴだけを射抜いて息子を救います

この出来事がきっかけで、スイスの人々は「私たちも立ち上がろう!」と団結し、ハプスブルク家の支配から独立するための反乱を起こしたと言われています。

このウィリアム・テルは、何度も射撃祭のコインのデザインに採用されています。

火縄銃の登場と「2つの武器」の共存

15世紀頃になると、ヨーロッパで初期の銃、いわゆる火縄銃などが使われ始めました。しかし、最初の頃の銃は「雨の日は使えない」「弾を込めるのに時間がかかる」「命中率が悪い」という弱点があり、クロスボウの利便性には勝てませんでした。

そのためこの時代の射撃祭では、「クロスボウ部門」「銃(火縄銃)部門」の両方が同時に開催されており、新旧の武器が一緒に使われる過渡期でした。

完全な「銃の時代」へ

19世紀になると、銃の性能がどんどん進化し、遠くまで正確に撃てるようになります。戦争の主役は完全に銃へと移り変わりました。

ここで重要になるのが、射撃祭の「国を守るための訓練」という本来の目的です。スイス軍が本格的な軍用ライフル(1842年型歩兵銃など)を正式に採用すると、「実戦で使う武器で訓練しないと意味がない」ということで、射撃祭でも軍の正式な銃を使うことがルールになっていきました。

こうして、近代スイスの国づくりが進むにつれて、お祭りの主役は完全に「ライフルやピストルなどの近代的な銃」へとバトンタッチしていきました。

しかし、伝統的なクロスボウの文化は完全に消えたわけではありません。

メインの連邦射撃祭で使用する武器は銃になりましたが、スイスの人たちは伝統的なクロスボウも大切にしており、今でも「連邦クロスボウ射撃祭」というクロスボウの技術を競うお祭りが開催されています。

 

射撃祭のメダルとコイン

射撃競技では、鳥の模型などの標的に射撃の技術を競います。翼や嘴など特定の部位を狙うことで特別な賞が授与されることもあります。

射撃祭の優勝者に送られるメダルとカップは、金・銀・青銅・白金属・アルミニウムなどさまざまな金属で製造されており、メダルは銀で製造されるのが最も一般的です。

その発行枚数は700~800枚と非常に少ない上に、のちに地金として溶かされることもあり、メダルの希少性は年々高まっています。

 

「射撃祭ターラー(Schützentaler・Shootingtaler)」とは、その名の通り射撃祭に合わせて発行されたターラー銀貨のことをいいます。

1842年にグラウビュンデン州の管轄下にあったクールで開催された第1回スイス連邦射撃祭で発行が始まり、1855年から1934年までのシューティングターラーは、連邦政府の管轄下で法定通貨の5フラン銀貨として発行されました。

▲2026年の様子

ちなみに、今年2026年の第59回連邦射撃祭は最初に開催された都市と同じクール6月5日から7月5日の期間に開催されました。

5,000人のボランティアが参加し、合計約10万人が集まったそうです。発射された弾薬の総数は約250万発にものぼりました。

今年のデザインは表面にウィリアム・テルがデザインされています。
裏面にはスイスを象徴する寓意的な女神と市のシンボルである角のあるヤギが描かれています。

 

発行の歴史と「ラテン通貨同盟」による発行停止

1842年から発行されるようになったスイス射撃祭コインでしたが、その後射撃祭は連邦射撃祭として隔年で全国大会が開催されるようになり、それに伴ってコインも同じ頻度で発行されるようになりました。

その後の1865年、フランス・ベルギー・イタリア・そしてスイスなどの国々が集まって「ラテン通貨同盟(LMU)」が結成されます。

これは、「金貨や銀貨の重さ・サイズ・純度を統一して、国境を越えてどこの国でも同じようにお金を使えるようにする」という、現代でいう「ユーロ」のような画期的なシステムでした。

スイスが射撃祭にあわせて1855年から発行していた射撃祭ターラー銀貨は、このラテン通貨同盟の厳しい基準である重さ25グラム・銀の純度90%などを完全にクリアして作られていました。

本来はお祭りの「記念硬貨」でしたが、基準を満たしている「貨幣」でもあったため、市中の買い物などにも使用することができました。その結果、この射撃祭ターラー銀貨はスイス国内にとどまらず、国境を越えてフランスやイタリアなど、他の同盟国にもどんどん流れていきました。

 

しかし、ここで大きな問題が発生します。

ラテン通貨同盟のルールでは、「貨幣のデザインは、各国の王様の顔や国章など誰が見ても分かりやすい標準的なものにする」という決まりがありました。しかし射撃祭ターラー銀貨には「銃を持ったスイス人」「お祭りのシンボル」のような独自のデザインが描かれていました。

これに対して、特にフランスなどの他の同盟国から「ローカルな祭りのデザインのコインを、勝手に流通させないで欲しい」とクレームが来てしまったのです。

その結果、ラテン通貨同盟は「記念硬貨を法定通貨として発行してはいけない」という厳しいルールを徹底することになり、スイス連邦造幣局は1885年のベルン大会を最後に公式な射撃祭ターラー銀貨の発行をストップさせられてしまいました。

スイス射撃祭コインの復活

1885年に製造停止になったスイス射撃祭コインでしたが、その後99年の空白を経て1984年に復活することになります。

復活するきっかけとなったのは、チューリッヒでコイン商を営んでいたハーマン・ハバリングスイス射撃祭コインを再評価したことでした。これにより、ハバリングは連邦財務局や射撃祭協会と話し合い、結果として1984年にスイス射撃祭コインの再発行が実現しました。

それ以来、この記念コインは射撃祭が開催される度に発行されています。

 

射撃祭のコインのデザイン

長年発行されている射撃祭のコイン。金貨の他にプラチナが発行された時代もありました。
ここでは特に人気のデザインの銀貨をご紹介します。

1842年

グラウビュンデンで開催。

記念すべき、初めての射撃祭が開催された年のものです。

表面上部に「CANTON GRAUBÜNDEN(グラウビュンデン州)」、下部には「4 SCHWEIZER FRANKEN(4スイスフラン)」と刻まれています。

まだラテン通貨同盟の前の時代のため、古い基準の額面が使用されています。

中央には3つの盾が並んでおり、真ん中の盾にはグラウビュンデン州のシンボルである「立ち上がったアイベックス(野生のヤギ)」、左右の盾には兵士や野人(ワイルドマン)のような姿が描かれています。

これは当時のグラウビュンデンを構成していた「3つの同盟」を表しています。

盾のすぐ上には雲の中から現れた「2つの手が固く握手」する様子が描かれ、そこから後光が差して強い団結や平和を神聖に表現されています。

裏面には「EIDGENÖSSISCHES FREISCHIESSEN IN CHUR(クールでの連邦自由射撃祭)」と書かれていて、記念すべき第1回コインの証である「1842」の年号が刻印されています。

中央には大きく「スイス十字の盾」が配置され、その後ろにはたくさんの旗や交差したマスケット銃(ライフル)が何本も並んでいます。

さらに盾の上には「羽根飾りがついた帽子」、盾の下には火薬を入れるための「火薬入れ(パウダーホーン)」がぶら下がっています。

発行枚数は6,000枚です。

1855年

ゾロトゥルンで開催。

ゆったりと座った女神ヘルヴェティアが描かれており、表面の上部に大きく「HELVETIA(ヘルヴェティア)」と刻まれています。これは、スイスという国そのものを擬人化した女神の名前です。右手は遠く、未来や希望を指さすように伸ばされていて、左手は「スイス十字の盾」に寄りかかっています。

人気のデザインのため、現代射撃祭の時代にも何度も採用されています。

ヘルヴェティアの背後には、スイスの象徴であるアルプスの山々が描かれ、右側には麦の穂がデザインされています。そして左端に、1867年のコインと同じ「A. BOVY」のサインがデザインされています。

裏面中央には額面の「5 Fr.(5フラン)」、その下に「1855」という年号がシンプルに配置されています。文字を囲むように、オーク(柏)の葉っぱとどんぐりの2種類の植物を合わせた美しいリースが描かれています。その他、アルプスの花々やシャクナゲやリンドウなどの植物もデザインされています。

発行枚数は3,000枚

1859年

チューリヒで開催。

向かい合った2頭のライオンが、2つの盾をしっかりと支えています。ライオンが持っている盾の上側が「スイス十字」、そして下の方は「チューリッヒ州の紋章」で、国と州の団結を表しています。

もう片方の周囲には「EIDGENÖSSISCHES FREISCHIESSEN(連邦自由射撃祭)」という刻印があります。当時は「Schützenfest(射撃祭)」ではなく「Freischiessen(自由射撃)」という言葉もよく使われていました。

右手に長いマスケット銃(ライフル)を持って岩山に立っている射手がデザインされています。

射手の右足のすぐそばあたりの「KORN」という小さな刻印は、このコインを彫刻したデザイナー(フェルディナント・コルン)の名前です。

発行枚数は6,000枚

1867年

シュヴィーツで開催。

後ろ足で立ち上がった勇ましいライオンが右手には大きな剣をしっかり握り、左手はスイス十字が描かれた盾に添えられています。ライオンの足元には、矢筒や弓のような武器の束が置かれています。

表面の一番下に小さく「A. BOVY」と刻印がありますが、これは当時スイスの硬貨を数多く手掛けた有名な彫刻家アントワーヌ・ボヴィのサインです。

裏面中央にはスイス十字の盾がデザインされ、後ろには交差した複数のライフルや、ハルバードと呼ばれる槍斧、旗が後光のように放射状にデザインされています。盾の下部には、オーク(柏)や月桂樹の葉を編み込んだリースが飾られています。これは勝利や名誉を讃える意味があります。

発行枚数は8,000枚

1934年

フリブールで開催。5フラン銀貨。

金貨も発行されている人気のデザインです。

連邦造幣局によって最後に発行された2つの射撃祭ターラー(1934年と1939年)のうちの1つです。

表面はナポレオン時代のような立派な二角帽子をかぶった兵士が、右手に長いマスケット銃を持って立っているデザインです。

裏面の中央にはフリブール州の紋章が入った盾、上には王冠が乗っています。

周りには勝利を表す美しい月桂樹の枝がデザインされ、下部にある「5 Fr.」の下に小さく「B」とあるのはベルンのミントマーク、右下の「Huguenin Grav.」は、このコインを彫刻したユグナン社のサインです。

さらにその周りを囲んでいるフランス語の「BON DE 5 Fr. REMBOURSABLE AVANT LE 31 AOUT 1934」は、「1934年8月31日まで、5フランとして払い戻し(交換)可能」という意味です。

ラテン通貨同盟からのクレームのため貨幣としての発行はできなくなっていましたが、この1934年のコインは、「法定通貨ではなく、お祭りの期間だけ使える『5フラン分のチケット(引換券)』」という名目で発行されました。

通常貨幣は32,789枚、プルーフは650枚の発行。
(写真はプルーフ)

2002年

チューリヒで開催。50フラン銀貨。

2002年は大人気のイギリスのウナとライオンをモチーフにした年号のため、現在でも人気の1枚です。

表面には「EINLÖSBAR AM SCHÜTZENFEST」とドイツ語で刻印されていますが、これは「射撃祭にて換金(利用)可能」という意味です。1934年発行のコインに刻印されている「払い戻し可能」という刻印と同じく、「国が作った正式な貨幣ではなく、射撃祭用のトークン」という名目での発行は、現代にも引き継がれています。

裏側はチューリヒの紋章の上にリース、下には交差したライフルがデザインされています。

プルーフのみ、発行枚数1,500枚です。

2022年

ウーリで開催。50フラン銀貨。

表面には肩に大きな「クロスボウ」を担いだ力強い男性はスイスの伝説の英雄「ウィリアム・テル」が描かれています。

裏面はロシア語(キリル文字)で「ГЕНЕРАЛИССИМУС АЛЕКСАНДР В. СУВОРОВ(大元帥 アレクサンドル・V・スヴォーロフ)」と刻印されており、馬にまたがった立派な軍人スヴォーロフ将軍の姿がデザインされています。

1799年、スヴォーロフ将軍がロシア軍を率いてフランス軍と戦うためにウーリ州の険しいアルプス山脈(峠)を越えたという、歴史的な出来事がありました。

ウーリ州には今でも彼の巨大な記念碑があり、歴史の深い繋がりが表現されています。

発行枚数は1,000枚

 

⏩2026年発行のものはこちらで販売中です。

 


▶︎500フラン金貨

▶︎1000フラン金貨

全てNGCのスペシャルラベル+最高鑑定確約です!

お取り扱い数もわずかなため、ぜひお問合せください!

 

まとめ

いかがでしたか?今回はれーこが担当しました🎀

わたしの周りには、害獣駆除のための銃のライセンスを持っているかっこいい女性がいます。

彼女が作るジビエを使ったシチューのパンはとても美味しくて、いつも感動します。

これまたジビエをこよなく愛するため銃のライセンスをとったという友達もいます。

亡くなった叔父は役者をしていたのですが、ドラマ『西部警察 PART-I』の第77話は「38時間の戦慄」(1979年4月15日放送)で犯人役としてライフルを使用しています。

射撃祭を改めて振り返り、生きるために銃を手に取った歴史について学ぶことができました。


射撃祭のコインについて気になる方はまずはご相談を!🇨🇭