穴あきコインが西洋に無いのはなぜ?
孔の開いたコインは日本では見慣れたものである。
五円玉と五十円玉がこれに該当する。
しかし、インド以西に目を転じてみると
孔の空いたデザインのコインというものは大変珍しい。
そのため、
海外旅行に行く際に日本の五円玉をお土産に持っていったりすると、
現地の人に喜ばれることが多い。
なぜ日本ではありふれた孔の開いたコインがインド以西では珍しいのか。
その答えは、東洋と西洋の貨幣史の違いにある。
今回は少し西洋のコインから離れ、
東洋のコインの発達について古代中国を中心に見てみよう。
銅貨の発達
金属貨幣登場以前、
中国ではタカラガイを貨幣として使用していたとされる。
財、資、貸、貯などカネに関する漢字には
大抵貝が入っているのがその痕跡のひとつだ。
だが、交易が活発になるにつれ、
貨幣には以下のような条件が求められるようになった。
すなわち、
・どの部分をとっても均質であること
・頑丈であること
・軽量であること
・重さで計量して価値を決められること
である。
これらの条件を満たすものとして
金属貨幣が登場してくる。
ただ、ここまでは西洋も東洋もあまり違いがない。
違ったのが使用金属だ。
西洋が金と銀を主要な貨幣としたのに対し、
中国は銅を主要な貨幣としたのである。
なぜなら、中国では金と銀をさほど産出しなかった代わりに
銅が大量に産出したからである。
こうして、中国では銅、
正確に言えば錫との合金である青銅が貨幣として流通するようになった。
ちなみに青銅貨幣として我々になじみ深いのは十円玉だ。
ここで、疑問を持たれる方もいるかもしれない。
中国の歴史的文物には金や銀も多く使われているではないか。
それらはどこからきて、なぜ貨幣に使われなかったのか、と。
現在、中国は再び大国となっているが、近世まではまさに超大国であった。
周辺諸国から貢ぎ物を受け取る立場にあったわけである。
その貢ぎ物として多くの金銀が中国に流入したのである。
かつて、金や銀が世界的に多く産出された日本からも
多く渡っていったに違いない。
こうして、中国も金銀を手に入れるが、
それは権力者の手元にとどまった。
貢ぎ物をわざわざ一般大衆のための貨幣に回すというのは
確かに考えられない。
こうして、光り輝く貴金属は
権力者が造らせた文物にのみふんだんに使用され、
現代に残っているのである。
さて、このように自然的条件から
青銅が貨幣として使われるようになったわけであるが、
当初の形は我々がコイン、と聞いて想像するようなものとは
かなり異なっていたようだ。
当初、古代中国の青銅貨幣は
誰もが欲しがる貴重品を模して造られた。
例えば農作業に欠かせない鋤、
日常的に必要な刃物、
タンパク源である魚
といった具合だ。
それぞれ布幣、刀幣、魚幣と呼ばれる。
銭という漢字は訓読みでゼニと読み、カネを表す漢字だが、
本来は鋤の意味であったらしい。
それが、布幣が貨幣として使われるようになっていくにつれて、
カネそのものを指すようになったのである。
このように、各地で様々な貨幣が造られたが、
転機を迎えるのが紀元前221年以降だ。
そう、秦の始皇帝による中国統一である。
領土だけでなく様々なものを統一した、
もはや統一マニアとさえ言える始皇帝が
貨幣に目をつけないわけが無かった。
始皇帝は半両銭という
円形で四角い孔が開いた貨幣をのみ認め、
他の貨幣を全廃した。
この形態の貨幣は秦が始皇帝の死後あっけなく滅亡した後も、
歴代の統一王朝によって採用され続けるのである。
この半両銭こそが東洋型貨幣の祖とでも言えるであろう。
半両銭の円形は天を表現し、
方孔は地を表すともされる。
孔はひもを通して持ち運びしやすくするという
実用的な意味もあるだろう。
布幣や刀幣にもひもを通す孔が開けられていたのだ。
東西貨幣の孔事情
以上のようにデザイン的、実用的意味で
孔が開けられていた東洋のコインだが、
西洋では孔を開けられない事情があった。
西洋の貨幣は貴金属をハンマーで叩いて伸ばしてつくる。
刻印を入れる場合は熱して柔らかくなったところに
上下から打ち入れるわけだ。
この過程で孔を開けようとなると、
ひとつひとつ作業していかなくてはならなくなり、
膨大な手間がかかる。
では、貴金属を型に溶かし入れてつくる
鋳造法でつくればよいのではないか、となるが、
この方法は叩いて貨幣をつくると破損してしまうような
粗悪な金属を用いる際にのみ用いられた。
鋳造法で貨幣を製造するということは
貨幣の信用性を失うということに直結した。
そんなわけで、西洋型のコインには
孔が開いていないという伝統が生まれたのである。
対して中国では
鋳造法を採用していたために
有孔コインの製造が可能であった。
青銅は日常生活に極めて有用であるとはいえ、
貴金属とまでは言えない。
そのため、ある程度の価値を持たせるには
それなりの量を持ち歩く必要があった。
つまり、大量生産が必須だったわけである。
それには型さえ造ってしまえば、
あとは金属を溶かして入れるだけの鋳造法が最適であったのだ。
そんなわけで、
東洋のコインには伝統的に孔を開けることができたのである。
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