戦いの女神-アテナが愛した帝国とは

女神に愛された国アテナイ

ギリシア神話の女神アテナは知恵と美術工芸及び戦の女神である。

彼女は主神ゼウスと知恵の女神メティスの娘であり、
ギリシア全土で信仰を集めた。

その使いとしてフクロウが、
象徴としてオリーブが聖なるものとされていた。

あるとき、
神々が自分を特に信仰してくれる都市を決定することになり、
アテネはとある都市にオリーブの木を植えて自身のものであると主張した。

海の神ポセイドンもその地を望み両者は争ったが、
調停の結果アテネに軍配があがることになった。

アテネはこの都市に自身の名前からアテナイという名前をつけることになる。

この都市こそ現代に残るギリシャの首都アテネの前身であり、
今回の物語の主人公、
古代ギリシアにて繁栄を誇った都市国家アテナイである。

現代も都市の象徴として、
或いは観光名所として残る世界遺産パルテノン神殿は
アテネを祀る神殿としてアテナイによって建造された。

祖国防衛戦~ペルシア戦争~

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アテナイが歴史にその名を轟かせるのはペルシア戦争においてである。

紀元前550年に建国し、
現在のイランからトルコ方面にまで勢力を拡大してきた
アケメネス朝ペルシアは当時の超大国であった。

ギリシャ勢力とペルシアは
小アジアのギリシア植民都市を巡って対立することになり、
ペルシアがギリシアに侵攻する形でペルシア戦争は始まる。
ギリシアの各都市国家にとっては存亡をかけた祖国防衛戦であった。

紀元前490年、
ペルシアは1万数千の大軍をもってギリシアに侵攻し、
都市国家を陥落させながらアテナイに迫った。

それに対し、
アテナイは将軍ミルティアデスらが率いる
ギリシア特有の重装歩兵部隊、
援軍も含めて約1万をもってマラトンの地で迎撃の陣を布いた。

ミルティアデスは、
ペルシアのまず弓を射かけてから白兵戦に持ち込むという
得意戦法を逆手にとり、
敵の弓の射程距離まで歩いて前進し、
そこから急に駆け出して一気に白兵戦に持ち込むという奇襲戦法で賭けにでる。

この策があたり、
アテナイはペルシア軍撃退に成功した。
この「マラトンの戦い」の勝報をもって
アテナイまで駆けた伝令の逸話がいわゆる「マラソン」の語源だ。

マラトンの戦い

マラトンの戦い

紀元前480年、
ペルシアは雪辱を期して王クセルクセス1世自ら
30万とも言われる大軍をもってギリシアに侵攻し、
テルモピュライの戦いでギリシア最強の陸軍を持つ
スパルタを中心とするギリシア連合軍を大破し、
再びアテナイに迫った。

アテナイの指導者テミストクレスは
非戦闘員の市民を避難させてアテナイを空にし、
すべての戦闘可能な男子を軍船に載せて
海上決戦を挑むという作戦に打ってでた。

祖国を守るため、
そしてなにより避難している家族を守るため、
アテナイの男達の士気は高かった。

サラミス水道という地元に
ペルシア艦隊を誘い込んだアテナイ艦隊とその援軍は
ペルシア艦隊を見事に撃破し、防衛を果たしたのである。

このあまりの完敗に
ペルシア王クセルクセス1世は帰国してしまったほどだ。

残存したペルシア軍は紀元前479年に再び前進するが、
プラタイアイの戦い及びミュカレの海戦によって
ギリシア連合軍に殲滅され、
ここにギリシア遠征は失敗に終わったのである。

ギリシアは守られたのだ。

アテナイの黄金時代とその最期

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プラタイアイの戦いの後、
再度のペルシア侵攻、そして反攻に備え、
アテネを盟主とするデロス同盟が結成された。

本部をデロス島に置き、約200もの都市国家が参加した。

初めは諸国は平等の発言権を持ち、
相互に独立していたのだが、
次第にアテナイがその軍事力と経済的発展を背景に
他の加盟国に干渉するようになった。

果ては同盟の金庫を
デロス島からアテナイに移すということまでやってしまう。

デロス同盟の資金はアテナイの発展に横流しされ、
アテナイは黄金期を迎える。
外交的にも他加盟国を圧し、
デロス同盟は「アテナイ帝国」とでも呼ぶべき状態となった。

しかし、無論、
アテナイによる圧力を面白く思わない国が出てくることになる。
こうした国々がもともとアテナイの台頭をよく思わないスパルタが結成していた、
ペロポネソス同盟に助けを求めたのだ。

スパルタの戦士

スパルタの戦士

これを期にデロス同盟とペロポネソス同盟は
紀元前460年から長い戦争状態に入る。
そして、紀元前404年、
ペロポネソス同盟軍の前にアテナイは降伏し、
スパルタの占領下となった。

「アテナイ帝国」デロス同盟は解体され、
ここにアテナイの黄金期はその凋落をもって終わりを告げたのである。

コインについて

古代ギリシャ アッティカ アテナ フクロウ BC404-454年 テトラドラクマ

古代ギリシャ アッティカ アテナ フクロウ BC404-454年 テトラドラクマ

今回紹介するコインは
アテナイで鋳造され、ギリシア各地で流通していた
テトラドラクマ銀貨である。

テトラとは4という意味だ。
日本では「テトラ」ポッドで有名だろう。
つまり、テトラドラクマとは4ドラクマという意味である。

ドラクマはアテナイの貨幣単位であり、
現代でもギリシャの通貨単位はユーロ導入以前、ドラクマであった。

このテトラドラクマ銀貨の片面は
アテナイの守護神アテナの横顔で、
彼女がその格好でよく描かれる甲冑姿である。

もう片面ではフクロウが目立つ。
フクロウは冒頭で説明したようにアテネの使いである。

また、左上にはオリーブの葉が見える。
これはアテネの象徴であると同時に
彼女がアテナイにもたらしたとされるものでもある。
そして、右側に見える文字は「アテ」と読み、アテネの意味である。

また、細かく見ればわかるが
フクロウとオリーブの間に三日月がある。
なぜ三日月が刻印されているかは定かではないが、
アテネの異名ヘロティスは「大きな顔をした女」の意味であり、
満月を象徴していたようだ。

三日月の象徴としてはアルテミスがおり、
彼女はアテネを慕っているとされている。

また、アルテミスより古い月の女神としてセレネがおり、
彼女は不老不死をも象徴した。
この三日月の意味について
ギリシアの月信仰に思いを馳せながら考えてみるのも楽しいかもしれない。

この柄のテトラドラクマ銀貨は
アテナイ全盛期からペロポネソス戦争に敗北した頃まで発行されていたが、
アテナイの凋落によって発行されなくなった。

しかし、テトラドラクマ銀貨は
その刻印の中身を変えつつも
アレクサンドロス大王やササン朝ペルシアによって
発行され続けることになる。

衰退し、滅びてなお存在感を持ち続ける
古代ギリシアの雄アテナイの偉大さがテトラドラクマ銀貨にはあるのだ。

 

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