哲学者になりたかった皇帝、その波乱と苦難の生涯

「君が自分の務めを果たすにあたって、
寒いか温かいか、眠いか寝たりているか、
評判がいいか悪いか、死に瀕しているのか他のことをしているのか、
気にかけるな。

なぜなら、死ぬということも人生の行為のひとつだ。
だから、そのことにおいても、
『今やっていることを善くやること』で充分なのだ。」

「次のたったひとつのことに安らぎを見出そう。
それはつねに神を思いながら、
ひとつの使命また次の使命とやり続けることだ」

古代ローマ時代に生きた、とある哲学者の著書にある言葉である。

その著書の題は後年『自省録』と呼ばれている。
著者の名はマルクス=アウレリウス=アントニヌス。

五賢帝の最後の一人、第16代ローマ皇帝である。

哲学者になりたかった皇帝

マルクス=アウレリウス像

マルクス=アウレリウス像

マルクス=アウレリウスは
幼少期から皇帝ハドリアヌスの寵愛を受けて育ち、
後に皇帝となるべく英才教育を受けてきた。

ハドリアヌスの後継者にアントニヌス=ピウスがなるにあたり、
彼を養子とすることが条件のひとつにさえなった。

少年時代のマルクス=アウレリウス像

少年時代のマルクス=アウレリウス像

ローマ皇帝としての人生を宿命づけられ、
先人が敷いたレールの上を歩んでいく少年期と青年期であった。

彼は先述したように英才教育を受けたが、
当時のローマ上流階級の最高教養である修辞学ではなく、
哲学に惹かれたのだった。

惹かれるあまり、哲学者の生活様式まで真似をしだしたが、
さすがに立場上続けることはできず、諦めている。

そんな青年マルクス=アウレリウスを教師のひとり、
コルネリウス=フロントは書簡でこう慰めた。

「あなたもまた、
クレアンテスやゼノンその他の優れた哲学者と同じ、
英知に恵まれていると仮定しましょう。

だが、あなただけはその願望に反して、
哲学者のまとう粗布の短衣ではなく、
皇帝の紫のマントをはおるように運命づけられているのです。」

161年、先帝アントニヌス=ピウスが亡くなると、
40歳のマルクス=アウレリウスは何の支障もなく皇帝となった。

彼自身としては大好きな哲学的思索に没頭したかったであろうが、
帝国の情勢はそれを許さなかった。

多難な皇帝

マルクス=アウレリウスが即位するや否や、
天候不順が続いたことで農作物が大打撃を受け、
大規模な飢饉が発生したのだ。

それへの対処に忙殺されていると、
首都ローマで大洪水も発生し、さらに対策を講じなければならなかった。

そこへ、東の大国パルティアが王自ら侵攻してきたという報が入る。

ハドリアヌス時代以降、
平和が続いていた東方担当のローマ軍団は反応が遅れ、
緒戦は大敗を喫することになってしまった。

もはや、東方の軍団司令官のみでは対応できない事態となり、
矢継ぎ早に人事を行う必要があった。

義弟で共同皇帝のルキウスにベテランの武将をつけて派遣し、
東方戦線を建て直させ、なんとかパルティアを押し戻した。

体制を建て直したローマ軍団は
本来の戦闘力を発揮してパルティア軍を大破して、
領内まで侵入してから引き上げ、
ローマ軍未だ健在であることを示したのだった。

ところが、
この東方でローマ人達はペストに罹患してしまった。

東方で活躍した軍団兵には西方からの増援部隊もあったので、
帰還兵によってローマ西方まで流行は拡大してしまった。

そして、疫病によって弱った西方の防衛力を見て、
ライン川やドナウ川の向こう側に住むゲルマン諸族が
不穏な動きを見せ始めたのである。

マルクス=アウレリウスは
ルキウスとともに対処すべく前線へ向かうが、
ルキウスは病死してしまう。

これで、名実共に彼はひとりで
ローマ帝国を背負わなければならなくなった。

その皇帝に次々と難題が降りかかる。
大規模な攻勢に打って出たローマ軍団が
敵を蹴散らすものの深入りして大敗。
司令官が戦死する。

さらに、軍事力がそこに集中している隙をついて、
別の部族がローマ領内に侵入してきたのである。

ゲルマン戦役地図。緑矢印がゲルマン諸族、赤矢印がローマ軍団の動き

ゲルマン戦役地図。緑矢印がゲルマン諸族、赤矢印がローマ軍団の動き

蛮族達はローマ領内を荒し回り、略奪を行なった。
最終的に駆けつけたローマ軍団によって殲滅されるものの、
300年にわたり、破られることのなかった
国境防衛線が突破された衝撃は大きかった。

活発な動きを続けるゲルマン諸族に対応するため、
皇帝は前線にとどまり続ける。

決して頑健ではなかった身体は病がちであり、
しかしてなお皇帝の責務である膨大な仕事をこなしていった。

『自省録』を書いたのはこの頃である。
冒頭に紹介した文章から、彼の心中が読み取れる。

この哲学を愛し、にもかかわらず、いやだからこそ
皇帝の務めをまじめに行なったマルクス=アウレリウスは
決着をつける大攻勢を準備中に前線で亡くなる。58歳であった。

コインについて

ローマ帝国 マルクス・アウレリウス帝 アウレウス貨

ローマ帝国 マルクス・アウレリウス帝 アウレウス貨

今回ご紹介するコインは
マルクス=アウレリウス=アントニヌス帝が発行したアウレウス金貨だ。

アウレウス金貨はユリウス=カエサルの時代以降盛んに鋳造されたが、
マルクス=アウレリウス時代の後にはその量を減らす。

片面にはマルクス=アウレリウスの横顔である。
月桂樹の冠をつけ、あごひげを蓄えている様子に威厳を感じる。
あごひげは先々帝のハドリアヌスが蓄え始めたのが
後の皇帝にも引き継がれるようになったとされる。

事実、ハドリアヌスより前の皇帝が刻印されているコインを見ても、
あごひげは無い。

周囲の文字は
M ANTONINVS AVG ARMENIACVS であり、
マルクス アントニヌス アウグストゥス アルメニアヌスと読む。

アウグストゥスは皇帝位を示し、
アルメニアヌスはアルメニアを征服した者という称号である。

もう片面はおそらく
ローマ神話における運命と幸運の女神フォルトゥーナであろう。
右手に運命を操るための舵を持ち、
運命が不安定であることを象徴する球体が足元にある。

左手に持っているのは底の抜けた壺であろうか。
これは幸福はいくら注ぎ込んでも満たされることは無い
ということを象徴しているとされる。

周囲の文字はPM TRP XIX IMP III COS IIIである。
最高神祇官、護民官特権、ローマ軍団最高司令官、
首都ローマの最高官職たる執政官を意味している。
これらの地位は皇帝たるマルクス=アウレリウスの権力の源だ。

まじめに、ローマ皇帝という自分に任された仕事を全力でこなし、
不安定になりつつある帝国を支え続けた
哲人皇帝マルクス=アウレリウス。

運命の女神というモチーフは
彼と当時のローマ帝国を象徴しているかのようである。

 

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