真実の愛とともに激動を生き抜いた女王

イギリスと聞くと、
大英帝国を思い浮かべる方が多いのではないだろうか?

19世紀中ごろより20世紀前半まで、
地球上の4分の1を支配していた大英帝国。

「太陽の沈まぬ帝国」と言われる所以である。

しかし、大英帝国の功績は輝かしく、
現代社会の礎を形成している事は間違いない。そんな大英帝国の歴史を振り返ってみる。

 

現代産業の根幹である産業革命と資本主義誕生

産業革命

産業革命

イギリスにおけるそれまでの産業といえば、
イギリスのイメージどおり、羊毛中心の毛織物から綿布生産に変わったことにより、
手技から産業に変革されたのがまさに、この瞬間である。

綿布の需要は世界的に増大し1730年の技術革新が始まり、
どの歴史書に書かれている産業革命に突入となるのである。

機械による大量生産、国家の後押しもあり、
産業による資本が形成され、その波は農業にも影響して、
資本主義的農場経営が展開されるようになった。

領土が少ないイギリスは、
産業革命後、莫大に得た資金を基に、海外植民地を巡った戦いの歴史が始まるのである。

アメリカの独立とフランス革命を経てヴィクトリア時代へ突入

度重なる植民地を巡った戦争を繰り広げるなか、
7年戦争と呼ばれるフランスとの植民地戦争の影響で、
今まで隆盛を誇っていた大英帝国の財政が圧迫されるようになった。

この当時からフランスとは世界中を巻き込んだ争いを起こし、
市民に大きな影響をもたらしていた。
後に両国に重大な革命がおこるきっかけともいえるのである。

財政が苦しくなったイギリスは、
植民地に対し課税を強化する方針を打ち出し、
次第に植民地支配に陰りが出始め、アメリカの独立戦争が勃発するのである。

対し、フランスでも、長いイギリスとの戦争により、
国全体が疲弊している中、近代資本主義社会の完成のきっかけと言われるフランス革命がおこるのである。

その後、しばらくはヨーロッパを中心とした激動の時代を経て、
英国の歴史の中で、長期にわたって君臨したヴィクトリア女王の時代となってくるのである。

英国で最も輝かしい時代がヴィクトリア朝

19世紀後半の半世紀をヴィクトリア朝と言われ、
産業革命後の工業力が他国を圧倒して、広大な植民地を支配し、
強力な軍事力を背景に繁栄した時代である。

繁栄の象徴ともいえる祭典が1951年に開催されたロンドン万博博覧会であり、
その後の美術・工芸に多大な影響を与えるものであり、世界中に先進工業国として威信を示したことになった。

イギリスの議会政治の基となる二大政党制もこの時代に実現され、
王室・議会・国民の階級とは異なった国のシステムが出来上がった時代であったともいえるのではないだろうか。

この時代のシンボルとされたのが、
女性の国王として君臨したヴィクトリア女王であり、人柄や人生までが現代でも語り継がれている。

女王ヴィクトリアの人生

若き日のヴィクトリア女王

若き日のヴィクトリア女王

近代イギリスの輝かしい時代を生き抜いたイギリス女王のヴィクトリアの人生を振り返ってみる。

ヴィクトリアは1819年5月24日イギリス史の中でも重要な王である、
イギリス王ジョージ三世の息子を父に持って生まれた。

当時のイギリス王室は後継者不足になっていたため、
若くして、王位を継承することになった。
その年なんと18歳!

若くして女王になったため、周囲の評判はあまりいいものとは言えなかったようだ。

結婚は21歳。
相手はドイツ出身のアルバート公子であり、
ヴィクトリアが信頼を寄せていた、ベルギー王の叔父から招待され、一目で気に入ったようだ。

結婚相手であるアルバートは大変有能な人物で、
王室内部の改革や王室と議会の調整、
さらには、前述したロンドン万博博覧もこのアルバートがいなければ、成功していなかった。
と言われるほどの人物だったようだ。

ヴィクトリアと共に有能さを十分に発揮していたのだが、
ヴィクトリアが42歳の時にアルバートは病に倒れ、帰らぬ人となった。

その後、ヴィクトリアも数年間公の場には姿を見せないようになったことから、受けた悲しみの大きさを感じる。

後年、ヴィクトリアは再び公務を行い、在位64年1901年1月22日81歳の生涯を閉じた。

慈愛の女王ヴィクトリア

ヴィクトリア女王が現在でも語り継がれている理由は、
英国史上隆盛を極めた時代であり、歴史的価値もうかがえるが、
アルバートとの出会いと愛、自らの使命を全うする若き女王の姿が人を感動させている。

ヴィクトリア女王と聞くと、「真実の愛」や「慈愛の女王」として現在でも若い女性のあこがれにもなっている。

ヴィクトリア女王の人柄がわかる心あたたまるエピソード

国の貴族が多数出席した食事会で、
招かれた貴族がフィンガーボールの使い方がわからず、誤って中に入っている水を飲んでしまった。
そこで、ヴィクトリア女王はその方に恥をかかせまいと、フィンガーボールの水を飲んだのである。
もちろん、正式なフィンガーボールの使い方は知っているのにもかかわらず。

彼女の行動で、その場も和みすばらしい食事会になったようだ。

こんな一面を聞いただけでも、ヴィクトリア女王の素晴らしさが伝わってくる。

コインについて

1847年クラウンゴシック銀貨 イギリス

1847年クラウンゴシック銀貨 イギリス

今回ご紹介するコインは、
英国史上最も繁栄と輝きの時代を生き抜いた「ヴィクトリア女王」をデザインした、
ゴシッククラウン アンデシモ 1847年 【PF64】。

このコインはヴィクトリア女王の即位10周年を記念して発行された銀貨で、
プルーフ状態で発行枚数は8,000枚。
銀貨の中でも最も美しく見栄えがするとして、コイン収集家の中でも評判が高い。

さらに、彫刻師はコイン史上の重要人物である、William Wyon(ウィリアム・ワイオン)。
英国で最も長きに渡り、実績を残した人物のデザインであることも、このコインの希少性を物語っている。

英国史上長きにわたり、王室を収めたヴィクトリア女王の姿をウィリアム・ワイオンが見事に表現した
ゴシッククラウン アンデシモ はまさに至高の逸品と言えるのではないだろうか?

 

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